大空山山頂から戦中に大日本帝国呉海軍広工廠があった黄幡山を指差し眺めるご老人
ご老人は戦中に広工廠・第11海軍航空廠に従事されていた87歳の春藤さん
現在、春藤さんは故郷の四国徳島に住んでおられるのだが
四国放送のフォーカス徳島という報道番組の特集ロケで
昨年12月3日に70数年ぶりに呉を訪れたのだ
特集のタイトルは
「14歳で学徒動員 海軍の工場の記憶」
戦中・戦後にかけて広の町が焼け野原になっている景色を実際の目で見た春藤さんは
復興を遂げ昨今急激に開発が進む広の町を見て何を思ったのだろうか・・・
1945年(昭和20年)5月5日の子供の日の午前11時
広上空に突如現れた148機の米軍戦闘機B29の編隊は爆撃を開始する
世にいう「広空襲」だ
雨あられのように落下する焼夷弾に広空襲は壊滅状態に陥った
写真はB29から撮影された物だそうだが、この爆煙の下に春藤さんがいたのだが
僕の祖父母や伯父叔母も、この下にいたという事だ
黄幡山の麓にある長浜港で作業されていた春藤さんは上司に促され防空壕に逃げ込んだ
春藤さんは運良く爆撃を免れたが春藤さんを促した上司は逃げ遅れ命を落とした
今でも黄幡山の麓や長浜港から三角浜までの道沿いには
防空壕や地下壕、地下工場が残っている
そんな悲惨な経験をされた春藤さんは爆撃地に佇み防空壕に向かって手を合わされた
「先輩たちのおかげで わし達(当時の)年少工は今現在命が繋がっている・・・」
てか、春藤さんの命が繋がったからこそ春藤さんの子供さんや
孫がこの世に存在する事を忘れてはいけない
この後、春藤さんはウチの実家に来て母と戦中の話で対談ロケを行い
この特番は昨年12月8日の太平洋戦争開戦日に合わせて徳島で放送された
生憎番組の尺の関係で我が家でのロケ映像はカットになっていたが
この時の放送のDVDを春藤さんに送って頂いた
この放送が呉でなかった事は非常に残念だがYouTubeにアップさせていただいたので
この映像を一人でも多くの呉市民に見て頂きたいと切に願っています
映像の中で春藤さんもおっしゃってるように、現代を生きる戦争を知らない世代の我々が
平和を唱えるのなら先の太平洋戦争の事を知らないと話にならないと思う
特に呉に住み呉で生活を営んでる呉市民は呉が戦争や海軍と
どう関わり、どんな歴史を辿ったかを知らずして何とする
今の呉の若者は自分が生まれ育った呉の歴史をどれだけ知っているのだろうか?
もしかしたら呉空襲の事も知らない人が多いのではないだろうか?
一昨年末から昨年にかけてアニメ映画「この世界の片隅に」が大ヒットしたから
映画をご覧になった方も少なくはないとは思う
しかし書物を読んだり、映像を見る事も大事な事だが一番説得力があるのは
やはり歴史の生き証人から生身での体験談を聞く以上の事はない
戦後から73年経った現在では戦争を体験した方も少なくなっている
今回の春藤さんの特番はそんな数少ない生き証人の生の声だ
ジャンジャン!!
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