昨年末の記事「どこ? だれ? 情報求む!」で取り上げたイギリスに住む
従姉から送られてきた「皇太子殿下御成婚記念樹」の碑に寄りかかる青年の写真
彼が誰なのか、この場所がどこなのかも未だ全然手掛かりがないのだが
実を言うとこの写真を始めて見た時に僕はどこかで見た事あるような気がしてた
この写真は叔母がイギリスに渡った1956年(昭和31年)前後に
呉のどこかで撮られた物である事はたぶん間違いないと思う
僕が勝手に似てると思う方の経歴からして可能性は「0」じゃないと思うのだが・・・
肩を組む3人の青年
僕は以前見たこの写真の左端の青年に似てると直感した
髪型こそリーゼントと、角刈りの違いはあれど猿顔だし、太い眉も似てると思わせる
この青年は誰かって?
この写真を見て写真に写る3人が誰かというのがわかる人は
相当の仁義なき戦いファンでしょうな~ 笑!
この写真もおそらく上の写真と同じ日に撮られた物だと思うが
左は後に共政会小原組三代目組長に就任された「門広」氏
その横が門氏の兄弟分だった「石谷恒雄」氏
その隣が舎弟だった「三宅譲」氏であり右端も舎弟だった「平本義幸」氏
そう!仁義なき戦いファンにはよく知られる共政会初代である呉の山村組の
若頭だった「佐々木哲彦」氏を射殺した面々なんですよね
その実行犯だったのが、三宅、平本両氏なんですよね
いや~ あくまでこれは僕の勝手な思い込みかも知れないが
写真冒頭の青年と三宅譲氏が似てると思ったんですよ
更に言えば宴会の写真の前列左から4番目のタバコを持つ青年が三宅譲氏にも思えるし
その隣の面長な青年は兄貴分の石谷恒雄氏に見えない事もない
佐々木哲彦氏が三宅、平本両氏に射殺されたのが1959年(昭和34年)10月7日
その3日後に三宅、平本両氏は誰かにチンコロされ逮捕されている
その3~4年前の写真だという事になれば時代的にはマッチする
昭和30年代の呉と言えば仁義なき戦いの真っ最中でもあるし
時代は朝鮮戦争の真っ只中でもある
戦後の呉で裏社会の人達と欧米の兵士が繋がっていても何ら不思議はない
そう言った時代だったのだ
三宅、平本両氏の兄貴分だった石谷恒雄氏の晩年の写真を見ても
宴会をやってる写真前列中央の人が歳を取った姿にも見えない事もない
大胆な仮説を立ててみたが、これらは、あくまで僕の私見であり確証はない
さてさて、真相はどうなのか? ジャンジャン!!