男命イカを堪能した僕達夫婦が向かったのは昨今世界文化遺産登録と相成った
かの明治維新の精神的指導者として有名な吉田松陰先生の松下村塾がある松陰神社でした
実は松陰神社は一昨年の「次男を訪ねて三千里」の時の帰りにも立ち寄ったのですが
その時は時間もなく僕も体力の限界だったから萩城址の見学に留まったんですよね~
で、今回はじっくり見学しようと思い松陰神社に訪れたという事です
2015年の今年はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」では萩が主な舞台になってるし
松陰先生や妹さんの文さんが描かれてますからな~
と、言う事で先ずは松陰神社境内の境内にある維新の源流が見えてくる
「吉田松陰歴史館」の見学をします
短くも激しい吉田松陰の生涯が20シーン70余体の等身大の蝋人形で再現されています
と、言う事で今日は幕末から維新へと新しい日本の時代を切り開く祖になった
吉田松陰先生の人生と軌跡を僕と共にお勉強しましょうね! 笑!
文久13年(1830年)、萩城下松本村で長州藩士「杉百合之助」の次男として生まれた松陰先生は
叔父の吉田家の養子となり吉田寅次郎と名乗ります
杉家は長州藩の下級武士であり半農の生活をしていたそうです
吉田家の養子になった寅次郎ですが文学の才に秀でており
同じく叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受けます
寅次郎11歳の時、長州藩主「毛利慶親」への御膳講義の出来栄えが
見事であった事により、その才能が認められます
松陰は子供時代日中は父や兄の梅太郎とともに畑仕事に出かけ草取りや耕作に励みます
夜は四書五経の素読やその他山鹿流兵法などを父が音読し兄弟は学びます
しかしアヘン戦争で清が西洋列強に大敗した事を知って山鹿流兵法が
時代遅れになってる事を痛感すると西洋兵法を学ぶために九州に遊学します
その後寅次郎は江戸に出て佐久間象山に師事します
嘉永5年(1852年)友人である宮部 鼎蔵らと脱藩して
見解を広げるために会津や東北を旅します
翌年浦賀にペリーが来航すると黒船を視察して西洋の先進文化に心を打たれます
で、外国留学を決意しロシア軍艦に乗り込もうとするが失敗に終わります
更には翌年日米和親条約のために再航したペリーの軍艦に乗り込もうとしたが
拒否されたため下田奉行所に自首しました
この密航事件に連座したとみなされた佐久間象山も投獄されます
幕府の一部ではこの時に象山、寅次郎を死罪にしようとする動きもありました
しかし川路 聖謨の働きかけで老中首座の安倍正弘が反対したため助命されます
長州に檻送され、後に野山獄に幽囚されます
安政2年(1855年)に出獄を許されますが実家の杉家に幽閉の身となります
安政4年(1857年)に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ
杉家の敷地内に松下村塾を開塾します
この松下村塾において松陰は久坂玄瑞、高杉晋作・・・などの面々を教育していきます
松陰の門下生だった久坂玄瑞と妹の文は結婚します
ここで我が故郷、呉の長浜出身の宇都宮黙霖 (うつのみやもくりん)が登場します! 笑!
宇都宮黙霖は明治維新の勤皇僧として、吉田松陰・月照たちと交わって討幕に奔走し
数奇な運命のもとに活躍した人物であります
僕達長浜人は宇都宮黙霖さんの事は長浜にある石泉文庫と共に幼い頃から学ばされます! 笑
松陰は幕府が日本最大の障害になっていると批判し同志に倒幕をも持ちかけていました
結果幕府の知る所となり松陰は捕らえられ野山獄に幽囚され更には江戸に送られます
江戸に送られる寸前の松陰と杉家での別れの様子ですな~
こうして松陰は罪人として江戸に送還されました
松陰は幕府の評定所で厳しく取り調べを受けます
結果、幕府大老の井伊直弼による安政の大獄で処刑される事が決定します
死して不朽の見込みあらば いつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらば いつでも生くべし
松陰先生の残された言葉です
と、言うのが吉田松陰先生のざっとの経緯です
その後の日本の歴史はみなさんもよく御存じのように約300年続いた徳川幕府が滅び
大政奉還の後、明治維新という新しい日本の夜明けがやって来たという事です
吉田松陰先生は本懐を遂げずこの世を去りましたが
松下村塾で学んだ多くの門下生は維新で大活躍します
この蝋人形は松下村塾で学び日本の初代内閣総理大臣になった伊藤博文氏(右)と
明治政府では軍政家として手腕をふるい日本陸軍の基礎を築いて
「国軍の父」とも称され後に総理大臣も務めたた山縣 有朋氏(左)ですね
討幕、大政奉還、明治維新と新しい日本を創るうえでの中心を担った長州藩である
現山口県からは多くの総理大臣が排出されています
初代伊藤博文をはじめ計8人が歴任し、8人合わせた在任期間はなんと約38年
上の写真の伊藤氏、山縣氏以外にも桂太郎氏、寺内正穀氏、田中義一氏
岸信介氏、佐藤栄作氏、そして現総理の安倍晋三氏
そういった歴史的背景もあってか山口県民は
「日本の政治は山口県民が引っ張って来たんだ!」
って誇りやプライドが少なからずあるそうですぞ 笑!
と、言う事なんですが、ひと通り吉田松陰歴史館の展示物を見終えた僕が出口前の
長州ファイブのポスターを眺めていると背後に人の視線を感じた
振り返ってみると例の(笑!)ボランティアガイドさんが話しかけたいと目で訴えている 笑!
「どちらからお見えになられたんですか?」
「広島の呉ですよ・・・」
「宜しければ1分ほど時間をいただけないでしょうか・・・?」
僕が承諾すると彼は怒涛のように長州藩の事に付いて語り始めた
まあそうなると僕も素人じゃないので否が応でも話が盛り上がる
結局僕はガイドさんと20分もの間、長州や維新の事に付いて語り合った 笑!
僕は乗せ上手ですからな~! 爆!
いや~ 個人的に大変興味がある事なので濃い話をするのは超楽しい
やはり観光名所を訪ねたらガイドさんを捉まえて根掘り葉掘り聞かないとね~! 笑!
と、言う事で僕達は吉田松陰歴史館を出て松陰神社の境内へと向かったのである
今日はこれまで! ジャンジャン!!