写真は昨年の西日本豪雨で法面が崩壊し防護柵の鉄合板が取り付けられた
9月頃の物ですが現在も長浜の方々にはご不便をおかけしております
1日でも早い復興を目指して現在各方面と調整・協議を進めておりますので
長浜線をご利用の方々にはご理解いただける様心からお願い申し上げます
と、いう事なんですがこの長浜線が、いつ開通したかご存じでしょうか?
もともと、ここは左右の山に挟まれた麓の歩行路であり山を切り崩して道路が作られたんです
道路が開通したのが83年前の1936年(昭和11年)2月10日だったそうです
太平洋戦争開戦から5年前という事ですが、まだ防空壕が掘られてない事がわかる
この写真の左側の黄幡山一帯は大日本帝国呉海軍の広工廠が建立されたんですが
長浜港から武器や弾薬、部品などを運ぶために道路が作られたんだと思います
この道路の開通により現在の米軍基地門辺りにあった広工廠門前から
長浜港まで電車が開通して芸南電軌による「長浜ー川原石」間の
電車の運行が可能になったんだそうです
ウチの祖父母宅の登記簿を見ると祖父母宅は昭和15年に建てられている
この写真の4年後に祖父母が当地に住み始めたという事ですね
そして翌年には太平洋戦争が開戦して昭和20年3月にはこの辺りは
広工廠があったため呉空襲で爆撃の集中投下に遭っている
祖父は広工廠勤務だったし自宅の場所柄もあり
先祖はよく死なずに生きてたと思いますよ
ジャンジャン!!
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