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Channel: プレインズのブログ
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伝説の夜

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2015・10・31
 
この日、僕達は呉に伝説を作った
 
 
しかしその伝説を作ったのは宴を主催した僕達”呉オールドモータースクラブ”だけじゃない
 
その伝説を作ったのは昨夜会場に来て下さった沢山の御来場者の皆さん
会場となった森沢ホテルの皆さん
 
PA照明・設備・撮影などを担当して下さった各関係者の皆さん
前座を担当して下さったロールオーバーとチャビーファンキースの皆さん
 
そして忘れてはならないのが今年デビュー40周年を迎えたCOOLSの面々
元ヴィーナスのコニーさん、更にはクールス事務所の方々・・・
 
 
昨夜宴に関わって下さった人全員で伝説を作ったのだ!
 
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本当に皆さん、ありがとうございました!!
 
 
ちょっとしたハプニングもありましたがライブは生物
ハプニングも思い出になったし宴は大成功だと思います
 
 
ライブレポはまだ記事が間に合っていませんから
来週のお楽しみと言う事で乞うご期待! ジャンジャン!!
 

THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” <1>

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10月31日土曜日 午後12時15分
 
ライブ当日COOLSは午後1時52分広島着の新幹線で広島入りする手筈になっていた
 
クールスの広島入りに合わせ午後1時に執行部の清水と二人でマイクロバスに乗って
広島駅にメンバーを迎えに行く手筈になっていた僕の携帯電話に着信が入る
 
「ホテル側との行き違いで機材の搬入がまだ出来ないんですが・・・」
 
電話の主は今回のライブでPAをお願いしてた”U”さんからだった
 
パーティー会場になっていた森沢ホテル2階フロアは当日午後1時まで
先約が使用しているという事で、それまで会場の設営が出来ないって事だった
 
ホテル側との打ち合わせでは機材の搬入は何時でも出来るという事だったのだが・・・
 
 
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PAさんからの電話で用件は理解出来たが、行き違いの状況がよく分からない
ライブパーティーの開場午後5時と言う事になっている
 
クールスは3時からリハをする予定になっていたから会場がフリーになる1時からの2時間で
会場や舞台の設営、照明、音合わせ、前座のチャビーファンキースのリハまで終えとかないといけない
 
ギリギリのタイムスケジュールを組まざるを得なかったから時間がない
 
すぐさま僕は執行部メンバーに連絡を入れて早めの会場入りを促す
と、同時にホテル側に連絡を入れるが社長さんと連絡が取れない
 
折り返しを待っていても埒が明かないという事で急遽会場に足を運ぶ
行き違いの理由は最後まで曖昧だったが(笑)先客の好意で12時45分に会場がフリーになった
 
そこから執行部も手伝って機材の搬入が始まった
それを見届けた僕と清水は急いでマイクロに乗り込み広島駅に向かった
 
 
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午後1時40分、僕と清水は広島駅に到着
 
清水をマイクロに残して僕は単身 新幹線降り口に急ぐ
新幹線ホームから出てくる改札口で僕はクールス一行の到着を待つ
 
時計の針は到着時間の1時52分を過ぎた
その時僕の心臓の鼓動はちょっと高鳴っていた 笑!
 
そりゃそうだ! 13・14歳のガキの頃から憧れだったクールスがやってくるのだ
僕はこれまでクールスのステージを観た事あるし、ムラさんとは何度か話をした事もある
 
でも今回はこれまでとちょっと事情が違う
僕達が主催するイベントにクールスがやって来るのだ
 
僕達はプロの興行師でもなければプロのミュージシャンをプロデュースした経験もない
だから業界の常識も知らないし接し方もよくわからない
 
期待と不安が交差するのも致し方ない事だろう 笑!
 
 
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新幹線口のホーム出口にクールスが姿を現した
 
サポートメンバーとクールス事務所のマネージャーさんを合わせ総勢8名
各自スーツケースを持っている
 
ギタリストであるジェームスさんとフランクさんはギターケースも抱えている
 
ーおいおい ホンマにクールスが来たで! 本物じゃ!! 爆!
 
会場に先乗りしてたクールススタッフが僕の写メをマネージャーさんに送信してくれていたので
マネージャーさんは僕に気付いてくれたようだ
 
「初めまして!呉オールドモータースクラブの山下です・・・」
 
マネージャーさんと名刺交換してクールスのメンバーにもご挨拶
その後待機させていたマイクロに乗り込み呉を目指す
 
「ムラさん、今日は朝早かったんじゃないです?」
 
「超早かったよ、6時には起きたからね」 笑!
 
 
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ちなみにバス中の写真はありません 
さすがの僕もまだ会って数分しか経ってないメンバーの方の写真をバシャバシャ撮れない 笑!
 
でもメンバーの皆さん、とっても気さくで色んな話をして下さった
ムラさんと秀光さんは後部席でくつろいでおられた
 
僕の隣にはジェームスさん、後ろの席にフランクさん
ジェームスさんとは広島や呉の歴史の話や横山剣さんの話をした
 
「ジェームスさんが歌う ”君の窓辺に” や ”風が変わる前に” 何かを聴くと
今でも当時の事を思い出して切なくなっちゃうんですよね~・・・」
 
「そうなんだ、そう言われるとオレもっと真剣に歌わないといけないって思うよ
真剣に歌ってないって訳でもないんだけど40年近く同じ曲歌ってるとね~
オレらの歌を今でも聴いてくれてる人ってそんな思いを持ってくれてるんだからね・・・」
 
 
フランクさんとは僕の現在の愛車であるマッハH2の話で盛り上がった
フランクさんがバイクチームCOOLSの時代にカワサキ マッハH2に乗ってた事を僕は知っていた
 
その流からアルバム「ハローグッバイ」に使われている写真のエピソードや
当時のクールスのメンバーのバイクでの逸話を教えて貰った
 
「フランクさん、”ひび割れたグラス” ”クライマックス” 最高ですよね! 今日も歌って下さるんでしょ?」
 
「いや~ 実は自分が歌ってる姿を映像で見ると今でも恥ずかしくて嫌になっちゃうのよ
自分でイメージしてる感覚と実際の映像で見る自分にギャップがあってね~・・・」
 
そんな会話をしながら僕はこう思っていた
 
ーこれって夢じゃないよの~ 
ワシってあのクールスのジェームスさんやフランクさんと話ししようるで! 笑!
 
 
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その後バスは呉に入り呉の観光名所の一つである
陸揚げされている潜水艦の下を通って会場入りした
 
会場に到着すると熱心なクールスファンが早くも集まっていた
 
 
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秀光さんのショップ”チョッパー”で制作されたと思われるトライクが開場前に並んでいた
 
 
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トライクのオーナーと思われる人と談笑する秀光さん
 
その姿を撮影する茶髪のオネエチャン
 
更にその風景を撮影するウチの長男 笑!
今回ウチの長男はスタッフの撮影係という役割だったんですよね
 
 
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クールスが森沢ホテルに到着した時、会場では前座のチャビーファンキースリハをしていた
メンバー御一行はチェックインを済ませ各自の部屋に・・・
 
「秀光さん、クールスのリハは3時からを予定しております、宜しくお願い致します!」
 
「あ~ そうなの? わかった! オレも背は高い方なんだけど君背が高いね~ 何センチあるの?」
 
「181cmです」
 
「歳はいくつ?」
 
「今年52歳になりました」
 
「52歳か~ まだまだ若いね~ でもオレ今でも鍛えてるから負けないよ・・・!」
 
自分では歳取ったって思うけど秀光さんにそう言われると
まだまだ老け込んではおれないと思った僕でした 笑!
 
こうして僕達呉オールドモータースクラブ執行部にとって長くもあり短くもある1日が始まったのである
 
と、言う事で今日はこれまで! ジャンジャン!!

THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” <2>

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午後3時過ぎ
 
予定時間を少し押してクールスのリハが始まった
 
最初にステージに姿を現したのはサポートメンバーのベースマン・キーボード・サックスの3人と
リードギターのジェームスさん、サイドギターのフランクさんだった
 
ドラムスの秀光さんとボーカルのムラさんはまだ下りて来ない
 
 
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グレッチのギターを入念にチューニングするジェームスさん
 
黙々とチューニングする姿は自分の世界に入ってるって感じだった
 
てか、ギターを弾くジェームスさんは独特のオーラを感じましたね
 
 
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「アチキのアンプはどこ~~!?」
 
フランクさんが自分の事を”アチキ”って言ってるのがちょっと笑えた 笑!
 
バスの中での会話の時も感じましたがフランクさんはシブイ外見とは違いとってもお茶目でフランク
だから”フランク”ってあだ名になったんだろうか?
 
 
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そうこうしてると秀光さんが姿を現した
 
マネージャーさんとPAさんが手助けしながらドラムのセッティング
 
セッティングの微調整をしながら秀光さんが軽快なリズムを刻み始める
 
 
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リハーサルと同時進行で「COOLS 40th」のフラッグと
「呉オールドモータースミーティング」のフラッグを設営
 
 
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各楽器の音合わせが済むとジェームスさんとフランクさんのボーカル曲のリハが始まった
 
バスの中でフランクさんと話した”ひび割れたグラス”が始まると
まだリハの段階なのに感情が込み上げてきて胸がいっぱいになり目頭が熱くなった 笑!
 
 
その後コニーさんが現れてコニーさんのリハが始まった
 
前日に岡山でライブがあったコニーさんはクールスとは別で今回のツアーマネージャーでもあり
コニーさんのご主人でもある土屋さんと岡山から直接会場入りされた
 
 
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午後4時
 
クールスのリハは続いていますが開場1時間前と言う事で
ホテル側とクラブ執行部・スタッフで最終打ち合わせ
 
 
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今回、ウチの万凛ちゃんは女子大生のお姉さんたちと一緒に受付スタッフとして頑張ってくれた
 
「万凛ちゃん 頑張ってよ!」 笑!
 
 
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最終打ち合わせが終わって会場に戻るとムラさんが歌っていた
ムラさんは「MYマイク」を持参されていた
 
ムラさんはけっこうシビアにPAさんに指示を出していましたね~
さすがプロ!ミスターCOOLS!!
 
てか、元メンバーの横山剣さんから楽曲提供された新曲「泣きながらツイスト」をリハで演ってた時
 
「秀坊、ちょっとリズムテンポが遅くない?」
 
「そんな事ないだろう!」
 
「ちょっとテンポ上げてやってみてよ・・・」
 
「これじゃ如何に言っても早すぎる!」
 
こんなメンバーの会話を聞けるのも主催者の特権でしょうな~ 笑!
 
 
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クールスのリハを感慨深く見つめる執行部の面々
 
僕はこの日、真っ赤なブレザーを絶対に着ると決めていた
 
僕はこの真っ赤なブレザーには一方ならぬ思い入れがある
まあその辺りの事は追々と・・・ 笑!
 
 
てか、クールスのリハって僕が想像していたより遙かに時間をかける事にちょっと驚いた
 
時計の針は4時半になろうとしていた
 
この後、もう1バンド、ロールオーバーのリハ照明チェックが残っている
マネージャーさんにはその諸をお伝えしたのであるが・・・
 
 
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4時40分
 
やっとクールスのリハが終わり、ロールオーバーのリハの前に
出演アーティスト・関係者・クラブ執行部・スタッフで顔合わせとご挨拶
 
当日の成功を願い皆で健闘を誓い合う
 
 
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キャロルのコピーを演奏してくれるロールオーバーのリハが始まったのが
何と開場時間15分前の4時45分
 
「もう時間がないんじゃけど、リハ何分いる?」
 
「最低10分は下さい!」
 
照明の最終チェックも10分かかるという報告を受けた
 
「オ~イ!開場時間10分遅らすけん誰か受付に言って来て~!!」
 
と、言う事だったんです
 
当日ご来場の皆様には大変申し訳ございませんでした! 笑!
 
 
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リハを終えたジェームスさんと記念撮影!
 
ハイ、チーズ! パシャ!!
 
 
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「リーダー! 本番バッチリお願いしますね!」
 
「もうバッチリよ!!」
 
と、言う事でいよいよ伝説の夜スタートするのであった! ジャンジャン!!
 

THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” <3>

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午後5時10分
 
思いの外COOLSリハが押したため開場時間が10分ずれ込んだという事で
会場の1階ロビーは入場を求める御来場者で溢れ返していた
 
 
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5時10分に開場し御来場者を入れ始めたのだが確かに人は多いが
皆さんちゃんとマナー良く整列して下さってる
 
僕がイベント前に心配してた事はこの段階では案ずる事もなかったようだ 笑!
 
 
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開場直後の混雑が過ぎると、わりとスムーズに入場できるようになったようだ
 
愛娘の万凛ちゃんが受付スタッフとして、ちゃんと対応できてるか心配だった僕だったが
どうやらこちらも案ずる必要もなかったみたいだ 笑!
 
 
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話は変わるが、今回のイベントにおいてのチケット販売は通常のライブイベントのように
ローソンチケットやチケットぴあのような公共のチケット販売機関を一切使っていない
 
僕達呉オールドモータースクラブ執行部が全て手売りで捌いたのだ
 
それはなぜか?
 
答えは今回のイベントの目的は僕達呉オールドモータースクラブの5周年記念という事であり
呉オールドモータースミーティングに参加下さってる人達や関係者各位様
更には僕達クラブ執行部メンバーが これまでの人生で縁があったり
お世話になった人達に贈る”感謝イベント”という意味合いだったからだ
 
その感謝の表れが「THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” 」という
タイトルには込められているし僕が再三言って来た「昭和の大同窓会」だった訳だ
 
実際に僕も会場で超久しぶりに会った人も多かったし懐かしい顔が沢山あった
御来場者様からも「懐かしい」って言葉のキーワードを多数聞いた
 
僕の持論では人間は「懐かしい」と言う過去の記憶の中に「感動」が秘められていると思っている
僕達の世代くらいになるとなかなか日々感動するような事もない
僕はいつまでも感動を求めたいと思ってる
 
もちろんその”懐かしい”って言葉にはクールス・コニーさんや
彼らの楽曲という意味も含まれていたという事も事実だろう
 
と、言う事で今日は明日と2回に分けて会場内の雰囲気
昭和の大同窓会にご来場下さった方々の最高の笑顔をご紹介しようと思う!
 
 
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どうです? 楽しそうでしょ?! 笑!
 
この雰囲気が欲しくて敢えて「COOLSコンサート」ではなく
「ロックンロールパーティー」にしたんですよ
 
だから「THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”」主役は当日ご来場下さった皆様であり
COOLS & CONNY さんはスペシャルゲストという位置づけだったんです
 
昭和の大同窓会に集まった皆でクールスのデビュー40周年をお祝いしようという事だったんですよ
 
と、言う事で続きはまた明日! ジャンジャン!!

THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” <4>

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当日イベントに花を添えてくれたのがCOOLSCDグッズ販売ブースでしたね~
 
先乗りで会場入りされた物販ブースのスタッフの方は先日発売されたクールス40周年記念特集号
「BIKER-MON 11月号」にも登場してる方達3人でしたが皆さん気さくで
クールスやライブにおけるアドバイスを沢山いただいた
 
「クールスに対しての要望や分からない事があったら何でも言ってください」
っておっしゃってくれて、ずいぶん心強かったですね
 
ライブ終了後には秀光さん自らも店頭にも立たれてましたね~!
 
 
 
てか、今回のCOOLSを招いてのイベントが実現に至るまでは本当に棘の道程だった
 
元を正せば今年6月7日広島市で行われたジョニー大倉さんの追悼ライブ
「BONDS OF ROCK'N ROLL」に参加した僕は、今回のCOOLS40周年ライブツアーの
ツアーマネージャーをされている土屋さんに再会した
 
それから2~3日後に土屋さんから連絡が入り呉でCOOLSをやりませんかと打診を受けた
僕は生粋のクールスファンだから やりたい気持ちはあったがとても一人で受けれる話ではないと思った
 
そこで僕の頭に浮かんだのが呉オールドモータースクラブという存在だった
 
呉オールドモータースミーティングも今年で5周年と言う事でクラブ執行部内では
記念パーティーでもやりたいという声が上がっていたんですよね
そこに何とかCOOLSを絡ませないだろうか・・・
 
そう思った僕はまず執行部内の同級生達に相談した
 
尾崎・カツジ・清水と僕の4人人でシュミレーションして悩んだ挙句
もし赤字が出たら自分達で被る覚悟を決めた
 
やるなら「COOLSコンサート」ではなく呉オールドモータースクラブ主催
「ロックンロール パーティー」にするという事も決めた
 
 
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腹を決めた僕達は一つ下の3人の執行部メンバーのトミー、ナオキ、佐川に事を打ち明けた
 
彼らは僕達4人の先輩が提案した事に賛同同意すると言ってくれた
もしこの時彼らが賛同していなかったら、この話もなかった事になってたかも知れない
 
こうして呉オールドモータースクラブで話を受ける事になった僕達はまず会場探しに奔走した
同時期に呉オールドモータースミーティングの会場探しも並行してやっていたので本当に大変だった
 
会場が決まりクールス側に正式に返事をしたのが盆前だった
この頃、ツアーマネージャーの土屋さんから新たにコニーさんのゲスト出演を打診され了承した
 
そこから急いでポスターチケットを制作し詳細を煮詰めて告知チケット販売を開始
この辺りも呉オールドモータースミーティングと並行していたので僕の頭はパニック状態だった 笑!
 
そんな僕を助け再三アドバイスしてくれたのが
”ブルーベルベッツ”カキちゃんであり呉の先輩”来音”ヒサシ君だった
 
あの頃この二人のアドバイスや励ましの言葉が無かったら僕の地雷は爆発していただろうと思う 
何せ相手がある交渉事は殆ど僕の役割でしたからね~ 笑!
 
 
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そんな中で幸いだったのが予想以上にチケットの販売が好調だった事だ
昨日の記事に書いたようにチケットの殆どは僕達執行部員が手売りした
 
僕は毎晩人数を決めて携帯の電話帳にある友人知人に1人ずつ隈なく電話した
一人ずつイベントの趣旨を話し決して無理に売るような事はしなかった
 
それでも本当に多くの友人知人が更に友人を誘ってくれ自分でも驚くくらいの結果が出せた
それは僕に限らず執行部全員の横や縦の繋がりで得た結果だった事は間違いない
 
本当にチケットを購入してくれた沢山の友人知人には感謝しています
おかげ様で10月に入る頃には製作していたチケットはほぼ完売
 
呉オールドモータースミーティングの頃クールス側から物販の販売をする事になったと報告を受ける
そして本番当日を迎える事になったのです
 
ここでは書けませんが、ここに至るまで大小合わせて沢山のトラブルもあった
そのトラブルを一つ一つ解消するために僕は奔走し友人にも助けてもらった
 
かなりのストレスにもなったが本番を迎えご来場下さった沢山の人に
お礼の言葉や労いの言葉を沢山いただいた
 
その一人一人の「楽しかった!大成功じゃん よかったね!」って言葉に
僕は苦労が報われ救われたような気がした
 
何より僕も楽しかったし執行部の面々も楽しかったって言っている
何とか赤字を出さずにも済みましたしね 笑!
 
やはり大事なのは「人」であり「仲間」なんですよね
 
 
そんな仲間の当日の写真、昨日に引き続き笑顔をご覧ください!!
 
 
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今回のツアーマネージャーの土屋さん
 
本当にいい機会を与えて下さりありがとうございました!
 
と、言う事ですがTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”の記事
まだまだ続きますぞ!乞うご期待! 笑! ジャンジャン!!

THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” <5>

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5時55分
 
6時開演に先駆け定刻通りの5分前に開会式が行われた
 
呉オールドモータースクラブ代表である尾崎開会宣言、挨拶、お礼の言葉、注意事項
一連の流れで開会式は進んだ
 
この二人の並びは例年の呉オールドモータースミーティングで見慣れた光景だ 笑!
 
オールドモータースミーティングの時には差ほど緊張してないように見える尾崎も
さすがにCOOLSを迎えてのパーティーでの挨拶では勝手が違ったようだ
 
本来汗っかきの尾崎だが額から玉のような汗が流れ手の平も汗でびっしょりになっていた
 
「ワシ やっぱり駄目じゃ、オマエ代わりにやってくれ~や・・・」
 
                「何をビビッとるん?!身内みたいな奴ばっかりじゃん
              ワシがやるのは簡単じゃけど、ここは代表の尾崎がやらんと筋が違うよ!」 爆!
 
こうして伝説の夜はスタートした
 
 
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午後6時
 
サイドギターの激しいカッティングでステージの幕が開いた
 
今回のライブステージの最初のナンバーはキャロル「ヘイ・タクシー」
会場の空気をヒートアップさせるには持って来いのナンバーだ
 
演奏するのは前座のロールオーバー
 
待ってましたと言わんばかりにリーゼントでキメた元テディーボーイ
サーキュラースカート元テディーガール(笑)がダンスフロアで踊りだす
 
出足は上々だ!!
 
 
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今回のイベントに花を添えてくれたのがグッズ販売ブースだとしたらステージに花を添えてくれるのが
前座を務めてくれたロールオーバーチャビーファンキースの二つのアマチュアバンドだろう
 
ステージトップバッターはキャロルのコピーを長年やってる
地元の後輩を中心に構成されたロールオーバーだ!
 
 
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クールスファンは往々にしてキャロルファンでもある
 
もちろん どっちが好きかって好みはあるとは思うが昭和の時代に青春してたヤンチャな
テディーボーイやテディーガールはキャロル~クールスの流れに乗っていた
 
ビートルズに影響されたブリティッシュロックキャロルに対して
シャナナの影響を感じさすアメリカンロッククールス
 
サウンドの違いはあるが当時のティーンエイジにはそんな事はどうでもよかった
黒い革ジャンリーゼントをキメて激しいビートを奏でるキャロルクールスに夢中になった
 
今振り返っても本当に良い時代だったと思う
 
 
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ちなみに僕達執行部は基本全員ステージ最前列の両脇にいた
 
これにはちょっと理由があってたんです
 
一つは最前列にいてダンスフロアーを盛り上げる役目
もう一つはステージに乗り出したり、ステージに上がろうとする人を止める役目
 
実はクールススタッフの方から事前に聞いた話ではボーカルのムラさんは
ステージに乗り出したり、上がってくるという行為を極端に嫌うという事だった
 
そういった人が出てくるとテンションが下がりステージも盛り上がらなくなるという事だった
 
クールススタッフからの要望では最前列にロープを張ってほしいとの事だったが
生憎ホテルにロープがなかったのだ
 
椅子を置こうかという案も出たが、それでは見栄えが悪いとムラさんに言われ却下
代わりにスタッフに最前列で待機してほしいとの要望だったのだ
 
 
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いや~ しかし最初っから派手に盛り上がりましたな~
 
てか、踊ってる人の多くは現在”中年”って言われてる人ですからね~
たぶん次の日は体中が痛かったんじゃないでしょうかね~ 笑!
 
 
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ロールオーバーのステージが終わって次に登場したのが
広島KENTOSのバンドメンバーを中心に集まったチャビーファンキース
 
KENTOSと言うだけあってジャンルはアメリカンオールディーズ
 
 
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誤解を恐れずに言えばキャロルもクールスも音楽のルーツを辿ればここに行き付く
 
さながらロックンロールの原点なのだ
 
サックスのソロも素晴らしい
 
てか、彼らはアマチュアと言うよりセミプロですからな~!
 
 
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いきなり女性ボーカルが現われステージで歌いだす
 
魅せるステージは流石だ!
 
 
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ティーンエイジと思われる女の子もノリノリ
 
いや~ こんな娘を見るとオジサンは「イイネッ!」って思っちゃう!! 笑!
 
 
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ジルバを踊るカップルも!!
 
 
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もう会場はご覧の通り!
 
老いも若きも、男も女もLet's Dancing!
これぞ”昭和の大同窓会” 圧巻の500人!!
 
いや~ ホントにイイね~
 
ティーンエイジの頃を思い出しますな~ 笑!
 
マジでこんなパーティー、では今時まず無いぞ
しかしまだパーティーはこれからだ
 
と、言う事で今日はこれまで! ジャンジャン!!
 

THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” <6>

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1974年12月 東京原宿
 
リーゼントヘアーに革ジャンパー
そしてサングラスという出で立ちの若者たちがいた
 
巨大なオートバイを乗り回していた17人の若者たち
そんな中から ロックンローラーCOOLSは生まれた
 
 
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全身で感じる音 若さをぶつけられる歌
これこそCOOLSの目指す音楽だった
 
COOLSに迷いはなかった
彼らは言う「ロックンロールこそ俺たちの青春をぶつけられる音楽」だと
 
 
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オートバイの爆音のようにCOOLSの歌は若者たちを引きつけ
彼らは一体となって熱い血を燃えたぎらした
 
そして今・・・
 
 
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1977年にリリースされた舘ひろしさんクールス脱退ライブを収録した
キングレコード時代のラストアルバム「ハローグッバイ」冒頭のナレーションが流れ 
ついにCOOLSのステージの幕が開いた
 
個人的にはこの「ハローグッバイ」も思い入れがあるアルバムで感慨深い
 
粋な演出だ!
 
クールスのメンバーがステージに登場すると会場は地響きのような歓声に包まれる
オープニングナンバーの演奏が始まると会場はまさに”昭和”と化した
 
が、ここでまさかのハプニングが起きる
な・な・何とブレーカーが落ちてムラさんのマイクの音が途中で切れたのだ 笑!
 
すぐさま慌てて対応に追われるPAさん、照明さん、会場関係者・・・
COOLSは気持ちを切り替える為に一度ステージ袖に引っ込んだ
 
ーいったい何が、どうなったんじゃ・・・?
 
間を持たすために僕は急遽ステージに上がって下手なパフォーマンスをした
 
「ワシが何かやりましょうか~? えっ!お呼びじゃない?!こりゃまた失礼しました!」 爆笑!
 
暫らくすると電源は復活したが、すぐさま2度目の電源落ち
後から聞いた話では音響のタコ足配線に問題があったのではないかと言う事だったが・・・
 
「ま、ライブは生モノですから、こんなハプニングもありますよ・・・」
 
ムラさんのMCにリスナーは熱狂する、ホッと胸をなで下ろした僕達執行部! 笑!
 
 
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濱野(飯田)和男
 
1955・5・28生まれ
 
出身地 東京
 
通称 フランク
 
サイドギター & ボーカル
 
 
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COOLS最年少のフランクさん
バイクチームCOOLSの頃はまだ10代だったそうだ
 
キングレコード時代のセカンドアルバム「ロックンロール・エンジェルス」のアルバムジャケットで
口をひん曲げてドラム缶を持ち上げる姿は超インパクトがあった
 
フランクさんが歌う「ひび割れたグラス」「クライマックス」は僕の大好きなナンバーで
もちろん今回のライブでも披露して下さいましたね!
 
これらの曲は当日のリハでも聞いたし 今年春には長崎でも聞いた
何度聞いても良い物は良い!
 
 
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佐藤秀光
 
1951・4・1 生まれ
 
出身地 東京
 
通称 ヒデミツ・リーダー
 
ドラムス & ボーカル
 
 
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舘ひろしさんが脱退しトリオレコードに移籍した1977年からCOOLSのリーダーを務めている
バイクチームCOOLSのサブリーダーだった岩城滉一さんとは大学の同級生
 
デビュー前から一貫してハーレーに跨り「トライク」「カスタムハーレー」ビルダーとしても名高い
ハーレー&トライクカスタムショップ「CHOPPER」のオーナーでもある
 
当日はキング時代の名曲の一つ「言えなかったんだ」
ドラムを叩きながら歌ってくれた
 
 
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ジェームス藤木
 
1951・3・15 生まれ
 
出身地 東京
 
通称 ジェームス
 
リードギター & ボーカル
 
 
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ロックンロールバンドCOOLSの屋台骨ジェームスさん
 
クールスの楽曲の殆どをジェームスさんが作曲しているし
その音楽センスはメンバーの中では随一で近田春夫さんは「天才」と称している
 
独特のハスキーボイスで歌う「恋のおわり」「君の窓辺に」「風がかわる前に」など
ジェームスさんボーカルの曲には名曲が多いが
当日ちょっとメインボーカルが少なかったと感じましたね~
 
 
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スペシャルゲストのコニーさんが登場!
 
CONNY
 
1979年スクールメイツを経てヴィーナスボーカルとして加入
 
THE VENUSに改称後1981年「キッスは目にして」で大ブレーク
ポニーテールサーキュラースカートがトレードマークだった
 
THE VENUS解散後もCONNY(コニー)名義でソロや複数のユニットを通じて
オールディーズ主体の音楽活動を続けている
 
当日は往年の大ヒット曲「キッスは目にして」はもちろんだが
先日発売されたクールスの40周年記念トリビュートアルバムコニーさんがカヴァーされている
クールス時代の横山剣さんの代表曲「シンデレラ リバティー」は最高に盛り上がりましたね!
 
 
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ライブ途中のMCでステージ最前列で踊っていた女の子を
ステージに上げてインタビューするムラさん
 
関東から車に乗って来たって言ってましたぞ 笑!
一生の思い出になったでしょうな~
 
 
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アンコール前の舞台で今年40周年を迎えたクールスとコニーさんに花束を渡す
 
 
コニーさんにはウチの長男が男代表として花束を渡した
 
クールスのメンバーには女子大生のお姉さんに混じってウチの万凛ちゃんが・・・
どうやら万凛ちゃんはフランクさんに花束を渡したみたいですね、イイ~ネッ! 笑!
 
 
 
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村山一海
 
1951・6・17 生まれ
 
出身地 京都
 
通称 カズウミ・ムラ
 
リードボーカル
 
 
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言わずと知れたCOOLSの”顔” ミスタークールスムラさん
 
ロックンロールバンドCOOLS結成時の1975年からフロントマンとしてボーカルを担当
甘いマスクで元メンバーの横山剣さん曰く「芸能界一リーゼントが似合う男」だそうだ
 
クールス40年の活動の中で、唯一一度も脱退せずにクールスの看板を守る
クールスの象徴的存在である
 
当日のキングレコード時代の「バースデイー」も良かったしトリオ時代のアルバム
”BE A GOOD BOY”収録の「LET'S GO TO THE CHARITY」「あの娘はマタニティー」「QUTY SUE」
 
更には”NEW YORK CITY・N・Y・”収録の「恋するオールドレディー」も良かった
 
僕は完全に中高生の頃にタイムスリップしてましたね~! 笑!
 
 
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アンコール 
 
ラス前の曲はムラさんの代表曲「シンデレラ」
そしてステージ最後の曲はCOOLSを象徴するデビュー曲「紫のハイウェイ」
 
こうしてTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”のステージの幕は閉じた
そして この瞬間2015年10月31日という日の夜は呉の伝説となった
 
僕達は呉に一つの伝説を創った
その伝説はこの日、この場所にいた皆で創った伝説だ
僕もこの歴史の1ページに携わる事が出来た事を本当に幸せに思う
 
COOLSの皆さんを始め、このイベントに関わって下さった方
「本当にありがとうございました! 感謝しています!」
 
と、言う事なんですがTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”の記事
もう少し続きます、来週をお楽しみに! ジャンジャン!!

THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” <7>

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ライブが終了して一段落ついた所でクールス関係者13人執行部7人計20人のみで
友人が営んでる炭火焼「鳥長」にて打ち上げを行いました
 
今回のTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”実現には
本当に多くの人にご協力していただいた
 
しかしもって打ち上げに執行部以外の人を呼ぶとなると
あの人も、この人もという事になり収集がつかなくなるという事で
苦渋の決断で執行部とクールス関係者のみとさせていただきました
 
それはクールス側のご要望でもあった事をご了承いただきたい
 
 
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会食は和やかな雰囲気で行われました
 
てか、これを読まれてる皆さんも意外に思われるかもしれませんが
現クールスのメンバーでお酒を飲むのはジェームスさんとフランクさんのお二人
ムラさんと秀光さんは酒を一滴も飲まない
 
煙草を吸うのは秀光さんのみで、残りのお三方は煙草も吸わない
 
う~ん 不良代表のようなクールスですが
やはり皆さん健康に気を使われていらっしゃるのか? 笑!
 
 
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色紙やCDにサインを書いて下さってるジェームスさんとフランクさん
個人的にどうしてもと頼まれた物だけにサインをいただきました
 
 
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しかしもって今回のポスターの製作担当だった僕は実はポスターを少々隠し持っていた 笑!
 
実質このポスターは200枚しか制作していませんから お持ちの方はお宝必定ですぞ!
 
 
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その僕の隠し持ってたポスターにクールスのメンバーとコニーさんに直筆サインを入れてもらった
 
サイン入りポスターは10数枚あるのですが僕達執行部が1枚づつ取っても余りが出る
 
う~ん、今回特にお世話になった人にプレゼントするか?
それとも来年の第6回呉オールドモータースミーティングでのビンゴの景品にするか?
 
その辺りは今の所未定という事で・・・ 笑!
 
 
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秀光さんとトライク談義に花が咲くカツジ
 
 
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動画を秀光さんに見せて盛り上がる清水
 
 
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そうこうしててらジェームスさんとフランクさんは広島の知人の接待で
広島市まで飲みに行くと言う事で一足先に帰ると・・・
 
まあクールスくらいの有名人になると全国どこに行っても引っ張りだこなんでしょうな~
 
てか、フランクさん アイリッシュセッターを履かれておりましたが靴が超デカい! 笑!
 
 
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お茶目なフランクさん!
 
 
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シブイ ジェームスさん
 
お二人様 一足先にお帰り~~!
 
 
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と、いう事で鳥長のYOKOちゃんも交えて店の前で記念撮影
 
ハイ、チーズ! パシャ!
 
 
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当日、紅一点のコニーさん
 
 
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この後、お忍びで呉のロックンローラーが営んでる某お店に行かれたそうな!
 
 
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「リーダー、今日はお疲れ様でした、本当にありがとうございました!
             ホテルに帰ってゆっくりお休みになってくださいね!」
 
 
と、いう事だったんですが、この後ホテルに帰って屋台に行ったとか行かなかったとか・・・ 笑!
 
この後執行部は解散しましたが僕は個人的に沢山の人がチケットを買ってくれた
一つ上の先輩の輩たち(笑)が集合して飲んでいるという「来音」にお礼に参上しました
 
皆さん上機嫌で口々に「楽しかった、ありがとう!」って言って下さいました
諸先輩達にそう言われると僕も骨を折った事が報われた気持ちでしたね!
 
「次はいつやるんな~?」
 
って口々に言われてましたが「今はホトホト疲れました、勘弁してください」って言いました 笑!
 
と、いう事で明日はいよいよTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”最終回
乞うご期待! ジャンジャン!!

THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和” <最終回>

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11月1日日曜日 午前9時半
 
前夜の興奮がまだ冷めやらぬ月が替わった翌日の朝
 
前日マネージャーさんからの報告でクールス御一行は10時半に呉を出るという事だったので
執行部のメンバー数人でホテルにお見送りに来ました
 
ホテルに着くとマネージャーさん、物販スタッフの方達とフランクさん、ムラさんが朝食を取っていた
 
「昨日はお疲れ様でした!ゆっくり眠れましたか?」
 
お酒を一滴も飲まないムラさんはスッキリした顔をされてた
 
と、それとは対照的に打ち上げ後に広島に酒を飲みに出たフランクさんは疲れ切った表情だ
 
「フランクさんおはようございます! で、昨夜は何時頃帰られたんですか?」
 
「今さっき・・・」 爆!
 
憔悴した顔のフランクさんは30分ばかり寝るからと部屋に上がられました 笑!
 
 
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フランクさんと入れ替わりで今度はジェームスさんが下りて来られた
 
ジェームスさんも昨晩はフランクさんと一緒に広島に出られたんですが
そんなに憔悴してるって感じでもなかった
 
僕は持参してた僕が中学3年生だった1978年(昭和53年)に発行された
「クールス ロカビリークラブ」写真集にサインをいただいた
 
「よくこんなの持ってるね~ この写真集は今じゃ貴重だよ!」
 
ジェームスさんは懐かしそうにページをパラパラめくりながら当時のエピソードを語ってくれた
その話の流れから さんや、岩城さん、ピッピさんの昔の事もいっぱい話してくれた
 
僕は聞く事全てが夢のようでもあり真綿が水を吸うように(笑)ジェームスさんの話に聞き入った 
 
 
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当然の事と言えば当然なんですが、僕達執行部はクールスとの打ち上げ会場や
クールスの宿泊ホテルの事は一切外部には漏らしていなかった
 
が、当日朝には熱心なクールスファンがメンバーを出待ちしていた
 
 
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出待ちのファンは各々色紙やグッズを持ちメンバーにサインを求めていた
中にはヘルメットまで持って来た強者もいた 笑!
 
てか、写真左の人はファンではなくクールスのスタッフの方ですよ 笑!
 
 
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午前10時半になりいよいよクールスとのお別れの時が来ました
 
てか、この記事を書いている今もそうですが、あの伝説になった2015・10・31の夜の事は
まるでを見ていたような感覚でもあり嵐のようにやって来て嵐のように去って行ったとも感じています
 
 
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秀光さんとも最後のお別れの挨拶
 
「リーダー、是非45周年、50周年と続くように頑張ってくださいね
機会がありましたら、また是非その時には宜しくお願い致します!」
 
「ありがとう! その時には宜しくね!」
 
ちなみにフランクさんは下りて来られると同時にバスに乗り込み爆睡されてました 笑!
 
 
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当日11月1日には福岡でライブに出演される予定だったクールス&コニーさん
秀光さんの”HUNGRY GOD”のバスと乗用車に分乗して呉を後にされました
 
こうして伝説になったTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”は幕を下ろしました
そして僕は現在”燃え尽き症候群”と戦っておりまする 笑!
 
今回のイベントに参加下さった御来場者の皆さん、更には関係者各位様
そしてクールスの皆さん、コニーさん、お二人のマネージャーさん、クールススタッフの方々・・・
 
皆さんと夢のような時間を共有できた事を嬉しく思うしクラブ執行部一同本当に感謝しています
 
また機会がありましたら、もしかしたら何かしらのイベントも開催するかもしれません
 
呉オールドモータースミーティング共々、その時にはまたよろしくお願い致します!
 
 
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最後に・・・
 
個人的な事になりますし 今の今まで誰にも言っていませんでしたが・・・
 
僕はライブ当日、17歳の時にバイク事故で亡くなった幼馴染の親友と
中学時代に一緒に写った写真をブレザーの内ポケットの中に忍ばせていた
 
クールスを聴き始めたのも、拙いギターでクールスを弾き始めたのも
髪にポマードを初めて塗ったのも、煙草を初めて吸ったのも奴と一緒だった
 
奴と一緒にこの場にいたかった・・・
 
きっと奴も天国からステージを笑顔で喜んで見ていたと思う
 
まだ幼さが残るあの頃の顔で・・・
 
 
長らくのご清聴、本当にありがとうございました! ジャンジャン!!
 

マッハ & CB メンテナンス

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11月2日 月曜日
 
COOLSを招いてのTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”
余韻がまだ冷めやらぬ翌々日の月曜日のお休み
 
実は先月の紅葉見学プチツーリングの帰りすがり僕はマッハのクラッチの違和感を感じた
クラッチを切ってシフトチェンジしてクラッチを離すとレバーの戻りが悪い
 
ーん? こりゃたぶんクラッチワイヤーが切れかかっとるど・・・
 
グッチの店ゲットオートまで帰ってクラッチワイヤーをチェックすると
やはりワイヤーが切れかかっている
 
いや~ これが先月の「俺たちの旅」の道中じゃなくて幸いだった
カツジのアクセルワイヤー切れは奇跡的に何とかなったがコアな車両の
マッハのワイヤーなんてそうそう置いてる店なんてないでしょうからな~ 笑!
 
と、いう事ですが先日はそのまま家まで乗って帰る途中にワイヤーが切れたら
めんどくさい事になるので、その日マッハちゃんはグッチの店に置いて帰ってたんですよね
 
で、ワイヤーを東京八王子のガレージ310斉藤さんに送っていただいて部品が到着していたので
アキースメカニック班の尾崎さんにゲットオートで当日交換してもらう手筈になっていた
 
 
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で、当日朝
 
尾崎さんに車で迎えに来てもらってゲットオートへの道すがら
尾崎さんのスマホにカツジからラインが入る
 
運転中の尾崎さんは僕にスマホを手渡しそのラインを読ます
 
「出来たらCBをバラしたいんじゃけど・・・」
 
先月の「俺たちの旅」の道中でフロントディスク辺りのスピードメーターケーブル差し込み口辺りから
異音が出て応急処置を施していたカツジのホンダ CB750K0
 
すぐさま尾崎さんのスマホから折り返しの電話を入れる
 
「ワシもマッハのクラッチワイヤー交換で今尾崎とグッチの所に向かいようる所じゃ・・・」
 
 
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ゲットオートに着くとGANちゃんもいるじゃないか
 
「GANちゃん仕事は?」
 
「今から仕事で三原に行くんじゃけど時間がちょっと空いたんで合間に寄ったんよ・・・」
 
 
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で、先に僕のマッハから済まそうと尾崎さんがサクサクとマッハをバラし
ワイヤーを交換しようとしたのだが思いの外手こずった
 
どうもワイヤーのクラッチ盤方向のタイコの手前にあるスプリングの長さが違うのだ
そのまま取り付けるとクラッチが切れない・・・ん?・・・・
 
と、いう事で先にカツジのCBに取り掛かる
 
カツジのCBはWディスクにしているのだが、どうやらホンダ純正ではない加工品Wディスクの
ワンオフ製作部品が不備を起こし異音が出ていたようだ
 
しかしそんなワンオフみたいな部品どうにもならんぞ・・・
 
と、思われたが何とメカニック班長のグッチが部品を加工し直して作ってしまったじゃないか
 
恐るべしメカニック班長! 爆!
 
 
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その間僕はグッチの事務所のパソコンでマッハのクラッチワイヤー交換の情報を探す
 
いや~ 便利な世の中ですよね~ 
どこかのショップがわざわざ写真入りで詳しく説明しているじゃないか
 
ま、メカにそれほど詳しくない僕には糠に釘ですが(笑)尾崎さんに読んでもらうと
 
「フムフム、ワイヤーによってはリレーズの調整がいるんじゃの~・・・」
 
と、原因さえわかれば作業はあっという間に終わったのである 笑!
 
 
てか、僕のブログのアクセス解析の記事アクセスランキングを見ると
もう何年も前の記事なのに今でも「マッハレストア日記」の視聴率が高い
 
現代はSNSでの情報交換ってのは便利なツールなんですな~
 
 
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朝の早から10代の頃からツルんでる50歳も過ぎたオヤジ達が雁首揃えて
COOLSが流れてる空間で工具片手に「あーでもない、こーでもない」ってやってる光景は
ホントに僕等がまだガキだった10代の昭和のあの頃とまったく変わってない 
 
変わったと言えば顔の皺と髪の毛の量くらいのもんか! 笑!
 
この後、僕は故郷「長浜」に用事があるという事で早々に退散したのである! ジャンジャン!!

入江神社祭

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11月2日月曜日 夜・・・
 
この日では秋の小祭りの前夜祭が各地で行われていた
当日は僕の故郷の長浜も翌日11月3日の入江神社祭の前夜祭が行われていた
 
と、いう事でマッハの整備を終えた僕は遅くなったという事でそのままマッハに乗って故郷長浜を訪れた
 
少子高齢化の波に飲み込まれた故郷長浜は僕の母校である長浜小学校・長浜中学校は廃校になり
小坪小学校と統廃合され小・中一貫の広南学園として数年前に再スタートを切った
 
毎年11月3日に行われる入江神社祭は長浜の伝統行事なのだが昔に比べ
世帯数も減って青年部や子供の数が少ないから運営も苦労していると聞く
 
そんな状況下において祭り愛好会なる組織を立ち上げ伝統行事を守ろうとしてる後輩達がいる
 
僕は故郷を離れ28年の歳月が流れたという事で長浜で育った約24年を上回った
しかし近所の人には悪いが今の住居が属してる地域の祭りには何の思い入れもない 笑!
 
やはり僕には幼少期から結婚した24歳までを過ごした
故郷長浜の祭りの方が思い入れがあるんですよね~
 
 
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と、いう事で幼馴染の同級生を誘って入江神社前夜祭に顔を出してきた
とは言っても僕は祭りが近づくと血が騒ぐ「祭り命」のような”祭り男”でもないんですよね 笑!
 
僕の幼馴染にも”祭り男”はいますね
普段はほぼ消息不明なのに祭りで故郷に帰ると必ずいて張り切ってる 笑!
 
僕的には”故郷愛”から後輩達への激励と少々の寄付をするために帰省するという事です
だから祭りに帰省したからといっても殆ど実家にも立ち寄らない
 
1時間くらい神社で地元の人達や後輩と立ち話をして太鼓を少々叩いて帰るってパターンですね~
 
 
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当日僕は待ち合わせてた幼馴染の同級生と3人で祭りが終わって町内の路地探検をした
 
長浜という所は新興住宅地や団地じゃなく昔ながらの田舎町だから
無数の毛細血管のようなバイクも通れないような路地が張り巡らされているんです
 
子供の頃はその路地から路地を抜けて学校にも通ったし友達の家にも遊びに行った
長浜の路地なんて中学生の時以来歩いた事もなかったが40年近く経った今も覚えてるもんですな~
 
3人で歩きながら「この辺りに○○の家があった」とか、「○○商店があった」とか
昔を思い出しながら30分くらい歩いただろうか
 
当時と比べて家は建て替わり路地裏の景色も変わってはいますが路地はあの頃と変わりなかった
 
「オイ、今度は明るい時に歩いてみんかい」
 
って約束して僕達は家に帰ったのでした! ジャンジャン!!
 
 
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おまけ
 
先日仕事をしていると店の外で物凄い剣幕で誰かを恫喝してる罵声が・・・
その声をよく聞くと聞き覚えのある声だ
 
久し振りに聞くその声の持ち主は呉の有名人であるクレーマー男「O」ではないか 笑!
僕は懐かしい友が(笑)訪ねてきたのかと思い外に出てみた
 
「オイ!四ツ道路でバス待っとるんじゃけどバスが来んじゃないか!
                                                                 どうなっとるんな?おぉ~!」
 
どうやら友はダイヤ通りに来ないバスに腹を立てて広電クレームの電話を入れていたようだ
しかし物凄い剣幕でしたな~ 相も変わらずやってるんですな~ 笑!
 
 
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友は相変わらず自慢の愛車「車椅子」を使っている
が、友は自らの足でシャキシャキ歩き車椅子は荷物置きになってる 笑!
 
クレームを言い終えた友は僕に気付いたようだ
しかしどういう事だ、目が合ったのに目を背けるじゃないか
 
ー友よどうしたんだ? 俺の事を忘れちまったのかい? 爆!
 
友は遅れてやって来たバスに自ら車椅子を楽々持ち上げ積み込んだ
以前は運転手をわざわざ呼び出してやらせていたのに・・・
友よ!少しは大人になったのかい? 笑!
 
こうして友は去って行った・・・
 
が、今日もどこかでデビルマン・・・じゃなかった
今日もどこかで誰かにクレームを付けてるんだろうな~ 笑!

CAROOLS 70’s (5) クールスロカビリークラブ

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さて、何やかんやで今年6月13日以降やっていなかったキャロル&クールス1970年代
アルバムと共に当時のエピソードや世相、僕の思い出を振り返るシリーズ「CAROOLS 70’s」ですが
先日のTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”の記事の中で
「当日僕は赤いブレザーを着ると決めていた」と書きました
 
その種明かしをする意味合いもありシリーズCAROOLS 70’としては
時代考証的にも順番抜かしでもありますが1977年6月にリリースされたCOOLS
「クールスロカビリークラブ」というアルバムにスポットを当てて書き進めてみたいと思います
 
 
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A1、HIGH SCOOL QUEEN 2、ROCKIN' NIGHT 3、KEEP A KNOCKIN'
4、I’M IN LOVE 5、RUMBLIN' MAN
 
B1、LOMELY BASSMAN 2、TEENAGE GIRL 3、ホットな気持ち
4、MACK THE KNIFE 5、LONELY BLUE BOY
 
 
1977年(昭和52年) 6月も終わろうとしてたある日
今にも泣き出しそうな梅雨雲が空を覆っていた日の放課後
当時中学2年生だった少年は親友と二人でチャリに乗りの町に来ていた
 
少年たちが目指した所は当時広交差点から国道沿いに東に少し行った所にあった
「第一産業」という名の電気屋さん
 
少年の目的は先日リリースされたばかりのCOOLSのニューアルバムを買うという事だった
 
レコード売り場は正面入り口から入った真正面にあった
少年は「ク」の段からクールスを探し出しお目当てのLPを手にした
 
そのクールスのLPは舘ひろしさんが脱退してCOOLS ROCKABLLY CLUBと改名され
トリオレコードに移籍した第1弾アルバム「クールスロカビリークラブ」というLPだった
 
アルバムジャケットを見た少年は衝撃を受けた
 
「ぶちカッコえ~!」 笑!
 
クラッシックなハーレーに触ったと思われる真面目そうな青年の胸ぐらを
筋肉隆々の秀光さんが掴み恫喝している
 
キングレコード時代には革ジャンにジーンズというイメージだったクールスのメンバーは
思い思いにドレスアップしたジャケットやスーツに身を包んでいる
 
ーこういうのをロカビリーって言うんじゃろうか・・・?
 
てか、これは余談だがこのLPジャケットの写真イメージは実際に
事前にストーリーを考えて撮影された物だそうだ
 
この話は先日のTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”の時に
ジェームスさんから直接教えて貰った事だから間違いない
 
場所は当時の東京のディスコのハシリみたいな店の前でゲリラ的に行ったと言われていた
 
 
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ちなみにこのアルバムはCOOLSの歴史の中で最大の駄作とも一部では言われている
 
実際に僕はクールスがこのアルバムの曲をステージで演ってるのを一度も見た事がない
(実際には演った事はあるのだが)
 
それはなぜか?
 
これも先日ジェームスさんが言われていたし当時のクールスの事を書いた元メンバーの
大久保喜市さんの著書「ストレンジ・ブルー」にも書かれているが
要は移籍したトリオレコードの人達に体よく騙されて出来上がったアルバムだからだ
 
当時クールスはさんが脱退して新たな局面を迎えていた
舘さんはそのままキングに残りソロでデビューする事が決まっていた
 
それより先にアルバムをリリースしたかったトリオはクールスのオリジナルの曲を却下
トリオ主導の作曲家・作詞家で曲を作り、演奏もスタジオミュージシャンを使い
ボーカル入れだけクールスが行ったという作品にしてしまった
 
アルバムはCOOLSのネームバリュームでそこそこは売れたらしいが評価は低く
クールスにとっても思い入れのないアルバムになってしまったという事だろう
 
ま、当時の少年はそんな事知らないしキング時代とサウンドは変わったとは思ったが
このアルバムはアルバムで好きな曲もあるし思い出も多いアルバムの一つになったのだが・・・
 
 
 
 
 
HIGH SCOOL QUEEN / クールスロカビリークラブ 1977
作詞・高坂実 作曲・大浜和史&MIKI
 
 
君に捧げる僕の心は 夜空にまたたく 星屑のようさ
 
君は町中のあこがれの娘 誰も近づけない OH MY BABY HIGH SCOOL QUEEN 
腰をふりながらウインクすれば うしろついてくる YES SHE IS MY HIGH SCOOL GIRL
 
ひと目で恋をした 恥ずかしがらないでも 君は俺のものさ 打ちあけたよ
いつものところで 待ってるあの娘 早くキスしたい OH MY BABY HIGH SCOOL QUEEN 
 
ハーイ! ハニー! 
 
COME ON FOLLOW ME  I WAN'NA MAKE LOVE TO YOU TONIGHT
YOU LOOK SO SWEET  いかしてるぜ
 
君は一番の気取り屋の娘 みんな口笛ふく OH MY BABY HIGH SCOOL QUEEN 
二人でかわした このクラスリング 誰も知らないのさ YES SHE IS MY HIGH SCOOL GIRL
 
ひと目で恋をした 恥ずかしがらないでも 君は俺のものさ LOVE YOU LOVE YOU BABY
いつものところで 待ってるあの娘 早くキスしたい OH MY BABY HIGH SCOOL QUEEN 
 
 
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アルバムB面最後の2曲「MACK THE KNIFE」「LONELY BLUE BOY」は英語のカヴァー曲だが
少年は他の曲は歌詞カードなしでも歌えるくらいに聴き込んだ
 
少年にとってはそれくらい思い入れを持って聴いたアルバムになったが
実はもう一つ少年にとって深く脳裏に焼き付いた物があった
 
それがアルバムジャケットに写るムラさんが着ていた赤いブレザーだったのだ
 
1977年当時の少年はまだアイビーって物もコンチって意味もよく知らない
 
赤いブレザーって言えば古い映像や雑誌で見る1964年の東京オリンピックの
日本選手団が着ていた物や前年に行われたコマネチフォーバーに沸いた
モントリオールオリンピックの日本選手団の制服くらいの認識しかなかった
 
ーあの赤いブレザーはどこに行ったら売っとるんじゃろうか・・・
 
長浜という田舎者の少年にとって当時はまだVANショップなんて気軽に出入りできるような
店ではなかったしVANがどっちを向いてるのかもよく知らなかった 笑!
 
 
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それから月日は流れ暦は1979年(昭和54年)になり少年は高校1年生になっていた
 
高校生になった少年は2学期が始まった頃無免でHONDA CB 400FOURを買って
あれやこれやとドレスアップに精を出していた
 
先輩から買ったフォーワンの月賦やバイクのパーツ代を稼ぐために少年は
当時ニチイと言われてた広のデパート内にあった「やじきた」という飲食店でバイトに励んでいた
 
その前年だったかニチイのライバル?だったジャスコが近所にオープンしていた
そのジャスコの中の紳士服売り場に確か「ミクニ」だったと記憶しているが
今思えばアイビー系のショップが入っていた
 
そこにディスプレーされていたのがムラさんが着ていた真っ赤なブレザーだった
思いがけない出会いに少年の心は中学2年の時の衝撃が蘇った
 
ー欲しい・・・
 
そう思ったが高校1年の少年が気軽に買えるような値段ではなかった
バイト代はほとんどバイクにつぎ込んでいたからお金がない
 
そこで少年が思いついたのは学校を休んで”立ちんぼ”に行くという事だった 笑!
 
”立ちんぼ”って言うのは呉の方言かもしれないが分かりますかね?
 
当時前田病院の前に朝、作業服を着て立っていると土木業者
土木作業員として日雇いしてくれるというシステムがあったんですよね
 
確か当時の立ちんぼの相場が1日5000円くらいだったと記憶していますね
 
たかが5000円と言うなかれ
 
当時は喫茶店でバイトしても時給350円の時代ですからね 笑!
 
 
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少年にとって学校を休む事なんて然したる問題でもなかった
それでなくても学校生活の1/3は停学だったしやりたい放題の学校生活でしたからね~ 笑!
 
しかし今思えば「欲しい」とか「やりたい」って思ったらどんな方法を使っても
必ず実現するって性格はこの頃始まったような気がします
 
バイクもそうだしだって無免で買ったし秀光さんのお店「チョッパー」
革のファラオコートを特注したのもこの頃だった
 
もちろん自慢できるような事でもないし親を騙したり他にも悪い事もしましたけどね 
ま、その分痛い目にも数多く遭いました 笑!
 
で、買った真っ赤なブレザーは「ハーバード」ってメーカーのブレザーだった
さすがにブレザーエンブレムはムラさんのドクロは手に入れる事は出来ませんでしたがね 
 
ちなみにアイビーの老舗だったVANは前年の1978年倒産していた
白いパンツは呉の”JUN”ショップで、はメーカーは覚えてないがホワイトバックスを買った
 
この恰好で当時の土曜日の夜暴走族やってる本通りを歩くと誰もが振り返った
自己満足の優越感を感じたし注目される快感を知ったのもこの時だったかもしれない
 
だって少年を含め当時の族やってる連中や見物人の多くの恰好は・・・ 笑!
 
 
 
 
 
TEENAGE GIRL / クールスロカビリークラブ 1977 作詞・作曲 伊藤銀次
 
ハロー TEENAGE GIRL ひとりぼっちの TEENAGE GIRL 
ラストダンスは僕と踊ろう 夜が明けるまで ルルル
 
ハロー TEENAGE GIRL はにかみ屋の TEENAGE GIRL 
恋にあこがれてる 内気な子供 TEENAGE GIRL 
 
だれかにふられたのかい 悲しい顔して
そんな子供みたいな おまえが好きさ OH-OH-OH
 
ハロー TEENAGE GIRL 涙ふいて TEENAGE GIRL 
今夜からは僕が守ってあげるから ルルル
 
だれかにふられたのかい 悲しい顔して
そんな子供みたいな おまえが好きさ OH-OH-OH
 
ハロー TEENAGE GIRL ひとりぼっちの TEENAGE GIRL 
ラストダンスは僕と踊ろう 夜が明けるまで ルルル
 
ハロー TEENAGE GIRL ハロー TEENAGE GIRL・・・
 
 
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真っ赤なブレザーを中学2年の13歳の時に見て憧れた当時の少年は52歳になった
 
三つ子の魂百までですよ
 
だからこそTHE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”の時には
絶対に赤いブレザーにグリーンのネクタイ、白いパンツに白い靴だと決めていたんですよ
 
しかもそのイベントは自分達の手でプロデュースしたイベントだった
本家本元のクールスのムラさんや自分の家族の前で少年の時憧れた赤いブレザーを着た事は感慨深い
 
「クールスロカビリークラブ」LPジャケットを見て衝撃を受けた1977年から38年も経った2015年
こんな日が来ようとは当時まだ13歳だった少年は夢にも思っていなかった
 
ま、完全な自己満足の世界ですけどね! 笑! ジャンジャン!!
 
 
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おまけ
 
 
キャロルジョニー大倉さんが逝って早1年が経った
 
と、いう事で11月8日銀座KENTO'Sにてジョニー大倉一周忌追悼特別公演
JOHNNY FIRST MEMORIAL LIVEが行われたようだ
 
ライブは生前のジョニーさんやクールスのムラさんが中心になって活動していた
BONDS OF ROCK'N ROLLのメンバーを中心に行われたが
な、な、何とライブには元クールスピッピさんの姿が・・・
 
 
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まあ生前のジョニーさんとピッピさんは旧知の間柄だから分からぬでもないが
ムラさんとピッピさんが同じステージに上がって歌ってるなんて
オリジナルCOOLSファンにとってはまさに夢の共演
 
いや~ あくまで僕の想像ですがこの共演に尽力した人は
さぞかし骨が折れたんじゃなかろうか・・・
 
内情はいろいろあるんでしょうが一人のクールスファン、ピッピファンとしては
特別ゲストでもいいからピッピさんとクールスの共演が見たいですな~!

ヨコワケ ハンサム?ボーイ? 笑!

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11月10日火曜日
 
「シャチョー 今日はどんなにしましょうか?」
 
「基本的にはお任せじゃけど ちょっと試しにヨコワケリーゼントにしてみようか?!」
 
「了解です!」
 
「でも分け目付けたら髪が薄いのが強調されるかね?」
 
「ぜんぜん大丈夫じゃと思いますよ!」
 
 
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先月10月は
 
「第5回呉オールドモータースミーティング」「俺たちの旅」「THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”」
と、イベントが続き慌ただしさのあまり髪を切りに行く暇がなかった僕
 
クールスの前には髪切っておきたかったんですがね~
 
こうなったらちょっと伸ばそうかとも思ったんですが
どうも髪が伸びてくると残り少ない資源の髪のボリュームがなくなり貧相な感じになる 笑!
 
と、言う事で先週の火曜日に仕事が終わって広島のブルーベルベッツまで髪を切りに行って来た
 
店に着いたのが9時と遅かったんですがカキちゃんは快く僕を迎えてくれた
 
 
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と、言う事で冒頭の会話になるのだが出来上がったスタイルがこれだ!
 
 
 
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あまり上からマジマジと見ないでね!
 
う~ん ギリギリか~?! 笑!
 
 
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今回の「THE DREAM NIGHT ”REMEMBER 昭和”」開催において
中心的な役割を担った僕は以前ライブイベントを何度も開催し
COOLSもプロデュース経験があるカキちゃんに沢山相談もしたしアドバイスももらった
 
イベント成功の裏には本当に多くの人の協力やアドバイスがあったんですよね
 
で、そのお礼も兼ねてと思い散髪の後食事に誘ったのだが
僕がトイレに行ってる間にカキちゃんが支払いを済ませていた
 
「いやいや、それじゃ筋が違う、ここは僕が・・・」
 
「たまには僕にも払わせてくださいよ・・・」
 
 
カキちゃん、イベントの事を含め その節は大変お世話になりました
更には飯まで奢ってもらって恐縮ですよ
次は必ず僕が御馳走しますからまた行きましょうね!!
 
 
と、言う事ですが散髪したという事を踏まえ最後に僕にとっての
青春ソングをお届けして今日は終わりにしようと思います
 
まさに この歌詞のような青春時代でしたね~
 
でも本当に良い時代でしたね! ジャンジャン!!
 
 
 
 
 
悲しきテディーボーイ / ブラックキャッツ 1981 作詞・ブラックキャッツ 作曲・東山光良
 
 
 
オフクロ嘆いて言うことにゃ オレの自慢のリーゼント マクラカバーにグリース ペッタンコ
Oh Mamy says to me Everyday  Hey Teady boy get out  Don't don't don't mind・・・
 
もう Soon やさぐれロカビリー もう Soon やさぐれロカビリー 
Hey I'm 俺は ロカビリースター
 
先生あきれて言うことにゃ いつも試験の答案に 先生大好き とっても Love you
Oh She says to me Everyday  Hey Teady grow up   Don't don't don't mind・・・
 
もう Soon やさぐれロカビリー もう Soon やさぐれロカビリー 
Hey I'm 俺は ロカビリースター
 
あの娘がぼやいて言うことにゃ いつもデートの公園で 胸にさわって Kiss me kiss me
Oh Baby says to me Everyday  Hey Teady boys・・・  Don't don't don't mind・・・
 
もう Soon やさぐれロカビリー もう Soon やさぐれロカビリー・・・・ 
Hey I'm 俺は ロカビリースター・・・・

蘇った記憶 ”タロウ”

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11月15日日曜日 天気 晴れ
 
先日の日曜日は第3日曜日という事で今年最後の日曜日休みだった
 
で、毎月第3日曜日に宇品の1万トンバースで行われている車の展示イベント
”キマグレミーティング”に尾崎さんと、ウチの長男と3人で行ってきました
 
 
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金曜日から降り始めた雨は日曜日の未明まで降り続き
家を出た午前7時頃にはまだ路面が濡れていた
 
こんなコンディションだから車も少ないかと思いましたが
どうしてどうして、メイン会場に入れない程の車で賑わっていた
 
 
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昨今、呉オールドモータースミーティングクラブの認知度も上がり
僕の書く拙いブログやクラブのFBの普及も一役買って
僕もこのジャンルの界隈でもそこそこ顔が売れてきた 笑!
 
と、いう事で開場に到着すると本当に多くの人から声を掛けて頂く
そんな中に20数年ぶりに会った僕の故郷である長浜の後輩の女の子がいた
 
「お兄さん久しぶりです・・・・あっ、噂の尾崎さんですね!」
 
「えっ?ワシ噂ですか?」 
 
と、こんな事がよくある 爆!
 
”同じ穴のムジナ”とはよく言った物で、御来場者の中には
先日呉オールドモータースクラブCOOLSを招いて開催したロックンロールパーティー
THE DREAM NIGHT ”RIMEMBER 昭和”に参加して下さった方も少なくない
 
「いや~ 先日は楽しませてもらいました・・・」
 
って類の声を沢山頂いた
 
そんな声は素直に嬉しいし今後のクラブ活動の活力にもなりますね!
 
 
と、いう事ですが恒例の当日キマグレで僕が気になった車両のご紹介をしたいと思います
 
 
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ダルマ セリカ
 
 
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いすゞ 117 クーペ
 
 
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マツダ ミゼット
 
 
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ルノー 2CV
 
 
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ベンツ
 
 
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プリンス スカイライン・コスモスポーツ・フィアット パンダ
 
 
と、いう事ですが他にも現行のランボルギーニなどもいましたが
やはりどうしても旧車に目が行ってしまう
 
そんな中で今回特に僕が気になった車両は・・・
 
 
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「尾崎さん、あの車って何?」
 
「ホンダのバモスよ」
 
「この車って古いん?」
 
「当たり前よ~オマエ知らんのんか~・・・」
 
 
って言われてバモスの記憶を掘り起こしたんですが思い出した!
 
ーそうじゃ! 思い出したど!この車は確か・・・
 
 
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♪タロウ ウルトラマンNO・6! 
ウルト~ラの父がいる ウルト~ラの母がいる
 
 そしてタロウがここにいる・・・と、いう事で
ウルトラ兄弟の6男(笑)のウルトラマンタロウ東光太郎が所属してた
宇宙科学警備隊ZATが使用してた特殊車両じゃないか! 笑!
 
いや~今改めてバモスホンダをベースに製作された「ラビットパンダ」と命名された
この車両を見たら超滑稽に見えますな~
 
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当時爽やか路線だったウルトラマンタロウ事、東光太郎役を演じた篠田三郎さん
 
ウルトラマンタロウが放送されたのは1973年4月からという事で
僕が小学校4年生の時ですがタロウ以前のウルトラシリーズに登場する特殊車両は
子供心ながらにカッコいいと思う物が多かったんですがね~
 
こりゃまさにデコトラの元祖じゃないのか~? 笑!
 
と、いう事で古い記憶を甦らせた僕は当日の予定を消化するために
呉に帰ったのでありました! ジャンジャン!!

カフェ ”おへそ”

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”キマグレミーティング”から帰った僕はウチの大明神様と万凛ちゃんを乗せて
長男と待ち合わせていた広島空港を目指します
 
広島空港で長男と合流した僕達はフライトロードを抜けて世羅方面に向かいます
 
 
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で、到着した所は世羅町にある”ある所”でした
 
 
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車を停めて坂を上がると日本家屋古民家が見えてきました
 
そこには「おへそ」と書かれた看板が・・・
 
 
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ここは長男が調べて予約を入れておいてくれたレストランカフェなんですが
お洒落な感じと言えばそうなんですが、僕的にはお洒落というより
どこか懐かしさを感じる子供の頃おじいちゃん家に来たような感じがしました
 
店はご覧のように純和風の古民家なんですが
実は”おへそカフェ”スペイン料理のお店なんですよね
 
しかも料理を調理しているのはスペイン人と思われるような外人のシェフなんですよ
 
 
 
と、いう事で店内に入り、さっそく料理を注文します
 
 
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まずはスペイン料理の定番「パエリア」
 
鶏肉と世羅野菜をふんだんに使ったパエリアは超美味い
 
以前マツダ ズームズーム球場の裏にある某アメリカンスーパーで
パエリアを買ったんですが食べると後味が漂白剤の味がした 笑!
 
その時のパエリアがトラウマになってたんですが
完全にトラウマを払拭する事が出来ましたね! 笑!
 
 
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こちらは「イカ墨のリゾット」
 
僕はイカ墨ってのは確かバブル時代頃に流行ったイタ飯ブームの時に
初めて食べたような記憶があります
 
真っ黒な食べ物って当時斬新に思えたし興味津々だった
このリゾットも超美味かったですぞ!
 
 
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こちらは「4種のチーズのピザ」
 
チーズが大好物の僕は特にエグイとされるチーズが大好きです
あのブルーチーズの独特の匂いや味も大好きです
 
本格的に窯で焼かれ4種のチーズを使ったピザが不味いわけはない
充分満足できる味と量でしたね!
 
 
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実は当日はウチの長男はSteady Girl とのDateの予定だった
そこに僕達3人が割り込んだ 笑!
 
う~ん よくよく考えてみたらこんな家族も珍しいのかもね~
 
てか、自分が長男くらいの歳の時に両親がデートに同行するなんてあり得ない事だった 笑!
 
押しかけたのは僕達だから僕達が子離れ出来てないのかな~・・・?
ま、これが我が家のスタイルなんですがね~! 笑!
 
 
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個人的な事ですが・・・
実は当日11月15日は僕達夫婦の28回目結婚記念日だった
 
28年前の11月15日に挙式をした僕達ですが結婚式から28年後の結婚記念日に
こんな環境になってるなんて夢にも思わなかった
 
結婚式に参列してくれた多くの悪友たちは28年も続いたなんて「奇跡」と言います 笑!
 
でも奇跡ってのは案外偶然には起こらない
山あり谷ありの人生の中で何かしらの”意思””意志”があったからこそ奇跡は起きたんだと思う
 
ここに辿り着くまでにはお互いの両親や子供達を始め多くの人に支えられた
本当に沢山の人に”感謝”ですよね!
 
とは言いながら人生はここで終わりじゃない
先の事はどうなる事やら・・・ 笑!
 
 
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と、いう事で美味しいスペイン料理を堪能した僕達は
次への目的地に向かったのであった! ジャンジャン!!

紅葉を見に行こう!

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”おへそカフェ”で美味しいスペイン料理をいただいた僕達は
季節柄もあり紅葉見学と洒落込もうという事で「ある所」を目指します
 
目的地に向けて順調に走っていた僕達ですが目的地が近づくと
交通整理のオジサンが各所に立っていて目的地に行く順路を指示してる
 
どうやら通常は対面通行になってる道が紅葉の時期という事で一方通行になってるようだ
だから目的地に着くには山道を大回りをしなければならない
しかもその山道は大渋滞でUターンも出来ない
 
一度入り込んだら最後、どれだけ渋滞していようと時間が掛かろうと行くしかない
 
ーこりゃいったい何時間かかるんな・・・
 
 
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ライレーは渋滞に弱い
長い事アイドリング状態でいるとオーバーヒート気味になる
 
救いだったのは渋滞が下り坂だったという事だ
 
「オイ!ライレーのブレーキランプが点灯しようらんど!」
 
「だってエンジン切っとるもん・・・」
 
ライレーはエンジン停止して人の体重移動とブレーキだけで進んでいるようだ 笑!
 
 
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ゴル子ちゃんは幌を開けてオープンにしていたのだが
さすがに山間部の長時間の渋滞で寒くなってきた
 
「万凛ちゃん寒い?」
 
「寒いよ!幌閉めてや!」 笑!
 
かと言ってせっかくの紅葉見学なのだからフルオープンで見たい
 
と、いう事でヒーターをフルにして暖をとる
 
 
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「ほれほれ、上を見てみんさい! 紅葉が綺麗じゃろ?!」
 
「・・・・・・・・・・・・・・寒い・・・・・・・・・・・・・」 爆!
 
 
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渋滞に巻き込まれて30分くらい経ったであろうか・・・
 
木立を抜けると目的地が見えてきた
 
 
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所がどうだ!
 
目的地の駐車場は「満車」になってるじゃないか・・・
 
駐車場整理のオッサンは満車を促し先に進めと・・・
 
ーおいおい、まさかの目的地に行けず通過だけで終わりか~??
 
 
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と、思われたが何と目的地から2kmほど離れた所に特設駐車場が・・・
 
で、よく見ると目の前に先程の渋滞に巻き込まれた山道の入り口が見える
 
ーオイオイ、こんな事ならわざわざ大回りさすなよ・・・ 笑!
 
 
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と、いう事でテクテク歩いてやっと何とか無事に目的地に到着
 
ここはどこか?・・・
 
それは明日のお楽しみという事で今日はこれまで! ジャンジャン!!

佛通寺

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僕達が紅葉見学に訪れたのは広島県下では有数の紅葉のメッカと言われる
三原市高坂町にある佛通寺でした
 
佛通寺には3年ほど前のの時期に尾崎さん達とバイクで訪れましたが
やはり佛通寺は紅葉だという事で家族で紅葉見学に訪れたんです
 
 
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総門を潜り仏殿玄関に入ると達磨大師が僕達を迎えてくれます
 
三原市は「三原ダルマ」と言われる達磨があり昔からダルマの製作が盛んな土地柄です
 
 
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玄関奥にある大方丈(だいほうじょう)
 
法要や法話など多目的な広間として使用される部屋です
元々の意味は住職の居室という事だそうです
 
 
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佛通寺は応永4年(1397年)沼田荘地頭小早川春平公が開いた寺で小早川一族の帰依を受けて隆昌し
最盛期には山内塔頭八十八ヶ寺末寺三千ヶ寺を数えました
 
 
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応仁の乱後、数度の戦乱に巻き込まれ 小早川隆景公の治世に一時復興したものの
福島正則公による寺領の没収により存亡の危機に立たされました
 
後に浅野家の外護のもと再建修繕が行われましたが永享の大火、寛政の大火と不幸は繰り返し
明治初年には廃仏、国による寺領没収となり往年の祈願護国寺としての面目は失われました
 
仏殿には小早川、浅野両家の位牌が奉られています
 
 
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明治38年、臨済宗十四本山の一つとして独立
 
専門道場を備えた西日本唯一の大本山として法灯はおおいに挽回されました
 
 
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境内から巨蠎橋を望む・・・
 
 
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と、いう事なんですが結論から先に言うと11月15日の時点で
佛通寺の紅葉は最盛期を過ぎ終わりかけてた 笑!
 
地元の人に聞くと例年佛通寺の紅葉の最盛期は11月の20日前後で
例年通りなら当日は一番の見頃のはずだった
 
しかし今年はなぜか紅葉が早く11月上旬に見頃を迎えたという事だった
 
ーOH MY GOD! 何てこった! 笑!
 
 
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本当ならこんな景色が見れるはずと期待して行ったんですけどね~ 笑!
 
 
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と、いう事で見頃を過ぎてた佛通寺の紅葉ですが
僕的には自分達の28回目の結婚記念日にこうして家族と時間を共有出来た事が
良かったと思うし思い出にもなりましたね!
 
もし来年機会があったら是非リベンジしたいと思います! ジャンジャン!!

水口晴幸 語る!

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元COOLS 水口晴幸 1952・10・19日生まれの63歳 通称 ピッピ
 
1975年デビューのロックンロールバンドCOOLSフロントマンとして主にバスボーカルを担当した
 
1977年にリーダー&メインボーカルだった舘ひろしさんが脱退した後は
現COOLSの”顔”である村山一海さんと共にクールスロカビリークラブツインボーカルを形成する
 
1979年、アルバム NEW YORK CITY N・Y・の参加を最後にクールスを脱退
1980年、RVCからアルバム BRACK or WHITE をリリースしソロデビューし現在に至る
 
僕は生粋のクールスファンであるが、もちろん同様にピッピファンでもある
 
だからこれまでピッピさんの記事も沢山書いてきたし その記事たちは今でもアクセス数が高い
 
 
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ピッピさんはなぜクールスを脱退したのか?
 
これは舘さん脱退もそうだが各メンバーの著書やインタビュー記事で見解が違う
まあこれは僕がいつも言う「立場が変われば思いや見解が違って当然」という事だろう
 
以前記事にした「舘ひろし & 水口晴幸」の雑誌のインタビューでは
「メンバーと上手くは行ってなかったんだろうな」とは感じさす事は
両者語っているが肝心の部分は語られていない
 
2002年発行の元メンバーの大久保喜市さんの著書「ストレンジ・ブルー」には
「ピッピがバンドを脱退した」とは書かれているが理由については一言も触れられてはいない
 
しかし先日発売された現クールスリーダーの佐藤秀光さんの著書「ハングリー★ゴット」には
 
「ピッピが突然クールスを脱退する事になった、舘が脱退した時は持ちこたえた俺も
さすがにピッピの脱退はショックだった、特に俺はピッピとは一番仲が良かった
だから奴が役者の仕事に興味がある事もソロとしてやりたい気持ちがある事もわかっていた・・・」
 
と綴られている
 
その本の影響かどうかはわからないがクールス脱退についてピッピさんがついに重い口を開いた
コアなファンはもうご存じだとは思うがピッピさん自身がご自分のブログに思いを綴ったのだ
 
 
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(以下の分はピッピさんのブログからの抜粋です)
 
 
原宿駅から明治通りに向かって左側を歩いていると地下鉄明治神宮前駅の出入り口がある。
その少し手前にCOOLSがたむろしてた頃から今でも営業している
数少ないレストラン銀座コロンバンがある
 
この店に入って左奥、窓際の席で大将(舘ひろし)始めバンドメンバークールスと
進行役を務めてくれたキャロルのスタッフだったM氏
 
「今日、集まってもらったのは、報告しておきたい事があります。
単刀直入に言えば、舘さんが、バンドを脱退してソロでやる事になりました。
で、皆さんはどうしますか?」と。
 
突然の事に驚ろいた。
とは言え、いつ頃からか薄々感じてはいた。
 
「何言ってんだよ、俺たちはバンドやりたくて集まったんじゃないんだよ!
頭が辞めるっていうなら、スパッと解散した方がカッコいいよ!それがCOOLSだよ!」
 
皆んなは、と見ると下向いたまま誰一人口を開こうとしないで黙り込んでる。
沈黙のまま時は過ぎて行き僅かな時間で解散しその場を後にした
 
 
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その日から、俺の部屋に入れ替わり立ち替わり残されたメンバー達が口説きにやって来た。
一番最初に来たのが秀ボウ
 
「俺たちだけでやろうぜ!」
「解散した方がカッコいいよ!俺たちらしい生き方だぜ!」
 
「ピッピ、ひろしに騙されてんだぜ!あいつ一人、レコード会社から金貰って楽してんだ!」
 
「何言ってんだよ秀ボウ、大将一人で事務所の家賃や経費
皆んなの給料を毎月工面して支払ってるんだよ
 もし、秀ボウが言う事が本当だとしても、俺は血判捺したんだよ!
 
あの規約書の最初に「このチームは、ボスによる独裁制である」
って書いてるのを納得した上で、右手中指での契り交わしたんだよ!
ってことは、大将が何をしようが従うということだぜ!」
 
「…また来るよ!」
 
ジェームス、喜市、フランクと口説きにやって来たが村山だけは一度も来なかった
 
 
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何日かして再度秀ボウが、今度は幼い娘を連れてやって来た。
 
「頼む!ピッピ力貸してくれ!コイツの為にも。家族養っていかなきゃいけないんだ。」
と、頭を下げた。
 
「止めろよ!そんな事するなよ!秀ボウ、こうなったのもバンド始めてチヤホヤされだしてから
いつしか皆んな天狗になってバラバラになって、陰で大将の悪口言ったりして、
こんなになるんならバイクチームのままの方が良かったよ!」
 
「俺に出来ることあったら、何でもやるから頼む!」
 
「頭上げてくれよ!…わかったよ。でも、条件として皆んなを纏めてくれよ!陰で支えるから。
それと、やるからには、大将をライバルにする。
お互い切磋琢磨して、やっぱりCOOLSはカッコいいよって思われなきゃ
今まで応援してくれた皆さんを裏切ることになるから!」
 
「わかった!約束する!俺が纏める。
それと、洋服屋をやろうと想うんだけど、俺は服のことは全く分かんないから
デザインとかやってくれないか?家族食べさせなきゃいけないから!」
 
「いいけど、もう名前とか決めたのか? 佐藤秀光の店って言っても知らない人が多いから!」
 
「もちろん!COOLS 佐藤秀光の店 " Chopper "でいくよ!
COOLSの名前付ければ全国から来ると想うぜ⁉」
 
「そうかぁ!ただ、COOLSの名前使ってやる以上、バイクチームのメンバーが困った時
いつでも使えるように売り上げの10%でも15%でもいいから貯金しといてくれよ!
看板料だから!その事を約束してくれるなら、無償で引き受けるよ!」
 
「分かった!約束するよ!」
 
「で、スタッフはどうする?」
 
「店長は、太にやらせる。後は周りにいる奴等に手伝わせるよ!」
 
そんな訳で、仲間の事だからと無償で引き受けスタートした。
 
 
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その間、Cools Rockabilly Club
 
(まだ、king Recordとの契約が残っていたのでプロデューサーのK氏が骨を折ってくれて
COOLS単体での使用をしないという条件で移籍する事が出来た。)
 
その後、揃いのユニフォーム作ろうということで、俺がCOOLS結成以前、
六本木のPants Shopにいる頃作ったPharaoh coatで作ってメンバー全員で着た。
 
それを後にChopperでも作って売り出すと、バカ当たりして飛ぶ様に売れた。
 
一年ほど経った頃、毎晩のように泊まりに来てた太に
 
「店はどんな感じだよ?売れてんのか?」
 
「メチャクチャ売れてますよ!かなり儲かってますよ!」
 
「じゃあ、COOLS貯金も相当貯まってんだろうなぁ〜⁉」
 
「何ですかそれ?」
 
「COOLSの看板料として、メンバーが困った時に使えるように
貯金しといてくれと約束したから、引き受けたんだぞ!」
 
「そんなの、貯金なんかしてないですよ!」
 
「え〜ッ!嘘だろ?メチャクチャ儲かってるっていう金はどうしてんだよ?」
 
「自分のハーレーやポーカーゲームに使いまくってますよ!」
 
「もう一度聞くけど、貯金してないのか?間違いないのか?」
 
「してないですよ!」
 
 
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…その夜は一睡も出来ず朝を迎え、と同時に心が崩れ落ちる感じで、
部屋から出る気にもなれず一日中茫然と過ごした。
 
仲間に裏切られたショックが大きく
COOLSメンバー全員を裏切ってしまったような居た堪れない気持ちで、
暫く何も考えられず、何も手につかずの状態だった。
 
その事は、ジェームス、一海、フランク、喜市にも言えず一人で抱え込んでいた。
それでも、いつも通りライブで全国飛び回っていた。
 
その時の俺の様子を見抜いていたのが今でも付き合いのある東北連合三代目総長の鈴木で
しょっちゅう電話で話したり、時々上京しては
幹部連中と3、4人で俺の部屋で雑魚寝したりしていた。
 
何かあったんだろう?俺とオメェの付き合いだ、わかるよ!
そっちの性格だから誰にも話さねぇで、一人で悩んでんだべ?俺には話してくれ!」
 
…⁉」
 
「メンバーのことだべ⁈見てたらわかる!話してくれ!
オメェが寂しい顔するのが気になるから言ってくれ!
力になれないかもしれないが⁉頼むから話してくれ!」
 
 
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「ヤスシ、仲間に裏切られたことあるか?それが血判まで捺して絆を誓い合った仲間に!」
 
「やっぱりそうかぁ!何かあると想ったよ!誰にだ?」
 
「俺たちは、バンドやりたくて集まったんじゃなく、原宿にたむろしてたバイクチームなんだ。
こんな奴等でも事を起こせば何とかなるって、そういうのを理解してくれたから
ヤスシ達もそうだけど皆んな応援してくれてるんだろう⁉ 俺は、バンドやってる以上は
バイクチームの代表だと思ってやってるんだよ!
 
だからダサい事出来ないし、裏切るなんて以ての外で、メンバー全員が同じ想いだと信じてた!
秀ボウがChopper始める時、服の事は分からないからと頼み込まれて引き受けたけど
最初に約束した看板料としての貯金もせず、ポーカーゲームやったり
好き勝手にやってる事が分かったんだよ!」
 
「何だよ、舘に騙されてるんだって言ってた奴に騙されたのか!
だけど酷いなぁ!で、これからどうするつもりだ?」
 
「まだ、Record会社との契約が残ってるからそれまでは目一杯やる!
COOLSはダサい事出来ないから!
この事は誰にも言わないでくれ!約束だからな!ヤスシは裏切ることないけど!」
 
 
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そんな訳で、Cools Rockabilly Clubを離れる日まで葛藤が続いた。
大将が、バンドCOOLSを脱退した後のことは何かの形で、いつか書くとして…!
 
(要約して言うと…)あの裏切られたこともそうだけど、その後のライブやコンサートにも
俺がいる頃のポスターを送って勘違いを誘ったりして、会場に行った何人かの人から、
出演してると想って行ったのにとか、先日のバイカーズ雑誌 "BIKER - MON"の表紙に
許可なく使用されたり、大将が居た頃の写真も無断で使用したりで、
思わず衝動買いしてしまい騙されたとか、俺が黙り続けてきたことで皆んなに迷惑かけてきたり
それらの事について何も言わないのは俺も片棒を担いでるんじゃないかと!挙げればキリがない!
 
この間
「俺は一度も、バイクチーム解散しようぜ!なんて言ってないよなぁ!ピッピ。」
と、大将
 
血判捺してる以上、大将が「やるよ!」と言えば、やるしかない立場である!
だから、大将が「やろうぜ!」と言わない限りありえません
 
以前、の親父が「お前は武士のようだなぁ!」と言ってたけど、
今の時代それでは済まない事があるんだね!親父。
 
それによって、淋しい思いや心配かけてしまう事があるんだね!
沈黙してると、勝手に絵図描かれて、あたかもそれが事実の様に広がって行く
 
皆さんには、迷惑かけて申し訳ありません。
体調も回復しました、ありがとう
これからも宜しくお願い致します
 
水口晴幸
 
 
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以上の文はピッピさん自ら書いたのだから確かにそう言う事もあったんだろう
しかし秀光さんも ハングリー★ゴットはご自身が書いた物だろう
 
ピッピさんのブログには当時リーダーだった舘さんに
ピッピさんは昔も今もも忠誠を誓っているように書いてあるが
喜市さんのストレンジ・ブルーによると映画「男組」の出演に関して
 
「今度また映画やるらしいぜ、主役は舘ひろしで俺たちは脇役だぜ・・・」
 
って不満をぶちまけ結局ピッピさんとジェームスさんは映画出演を拒否したと書いてある
 
何が正しくて何が間違っているかという事は僕にはわからない
それこそ冒頭でも言ったように立場が変われば物の見方も見解も違ってくる
 
しかも当時と今とでは立場も環境も違うから心境に変化もあるだろう
それぞれの言い分もあるだろうし、そこはファンレベルの人間がとやかく言う事でもない
 
ただ一ファンとして言えるのは出来得るなら醜い争いは見たくない
 
ピッピさんを含むオリジナルCOOLSには思春期に沢山夢を与えてもらった
キャロルが結局あのような形で終わった事は個人的には残念でならない
 
先日ピッピさんはジョニー大倉さんの追悼ライブでムラさんと同じステージに上がった
いつの日か喜市さんを含むオリジナルCOOLSのステージを見たいと思う
 
そこに舘さんもいれば、それに越した事はないのだが・・・ジャンジャン!!
 

引退・・・

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ちょっと古い話になりますが、第56回広島県吹奏楽コンクール8月7日から13日の7日間
広島市中区の広島文化学園HBGホールで開催されました
 
11部門に計267団体、約9千人が出場し心のこもった演奏を
仲間と一緒に会場いっぱいに響かせました
 
 
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生憎僕は仕事でコンクールを見に行く事は出来ませんでしたがウチの愛娘の万凛ちゃんも
所属する中学校の吹奏楽部としてコンクールに参加したんですよね
 
 
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万凛ちゃんの担当楽器はホルン
 
 
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僕は実際に演奏を見ていないので当日の事はよく分かりませんが
きっと万凛ちゃん達も日頃の練習の成果を十二分に発揮し頑張ったんだと思います
 
その結果「銅賞」という成果を得る事が出来た・・・
 
てか、銅賞ってのは決して高評価を得たとは言えないのかも知れませんが
彼女達はアマチュアなのだから結果よりプロセス意義があるんだと思います
 
日頃の練習の成果を出せたんなら個人的には結果は二の次だと思いますね
 
それより何より吹奏楽を通して中学時代に仲間や先生、先輩、後輩と共に
青春の1ページに思い出という宝物を刻み込めた事に意味があると思いますね
 
 
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コンクールが終わってしばらくたったある日、中学最後の吹奏楽コンクールという事もあったのか
主催の朝日新聞さんが”笑ゥせぇるすまん”よろしく「思い出」という商品をウチの店に売りに来た 笑!
 
写真冒頭の「記念号外」「フェイスタオル」はサービスだったが
言葉巧みに「ホルンのミニチュア」「記念Tシャツ」をプレゼントするから
是非数ヶ月朝日新聞を購読してくれないかと・・・
 
てか、決して僕はそれを押し売り行為だなんて思ってませんよ 笑!
これらのシステムは上の2人のお兄ちゃんが野球やってた時に何度も経験してる
 
リトル時代からシニア、高校野球とその時代時代で大きな大会になると必ずあった事だ
決して安くない額入りチーム集合写真を何回買ったか 笑!
 
僕は仕事柄、殆ど万凛ちゃんの演奏会は見てやる事が出来なかった
父親として新聞数ヶ月分で万凛ちゃんの思い出が買えるなら安いもんですよ 笑!
 
 
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思い返せば2年7ヶ月前の2,013年4月に万凛ちゃんは中学に入学し吹奏楽部に入部した
 
小学校卒業を間近に控えた頃、家族で食べに行った「ほらふき」の旧知の女将カオルに
「中学に入学したら是非吹奏楽部に来て」って熱心に誘われた
 
その時大量の中学の制服やカオルの娘の私服をいただいた事が
つい昨日の事のように思い出される
 
 
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そして万凛ちゃんは中学に入学して吹奏楽部に入部しホルンを担当する事になった
 
個人的には彼女が1年生の時は呉市の演奏会も見に行ったし
盆休み中に行われたコンクールも見に行った
 
管楽器を始めて数ヶ月だった万凛ちゃんは大丈夫かとちょっと心配した物だ
 
しかし僕は万凛ちゃんの吹奏楽の事には一切口出しはしなかった
上の2人の息子達の野球にどっぷりハマった経験と男と女の違いからの判断だった
 
僕は自分がやると決めたら妥協はしないし自分にも厳しいがそれに伴う人にも厳しくなる
こんな性格だからいろんな所でいろんな人と摩擦も生じる
 
男の息子達なら力でも捻じ伏せれるが女の娘にはそうもいかない
二人の息子達にはずいぶん厳しい事を言ったが
女である娘には父親としてはそこまで厳しくは言えない 笑!
 
だから僕は万凛ちゃんの吹奏楽には一切介入しなかった
 
介入するという事はリスクも負って腹を据えてかからねば只のモンスターペアレントになる
中途半端に介入するという事が一番やってはいけない事だと僕は経験上学びましたからね
 
 
 
 
 
帰らざる日のために/いずみたくシンガーズ 1974 作詞・山川啓介 作曲・いずみたく
 
 
生まれてきたのは何故さ 教えて僕等は誰さ  遠い雲に聞いてみても 何も言わない
だから探すんだ君と でかい青空の下で  この若さを全て賭けて いい何かを
 
愛する人がいるなら 求めるものがあるなら  何にも怖くはないさ そいつが青春
涙は心の汗だ たっぷり流してみようよ  二度と戻らない 今日のために
 
生きてる事って何さ 走って行くのはどこさ  風は寒く笑いながら 頬を打つだけ
だから記すんだ君と 荒れ果てた土の上に  この力をすべて込めた 足跡を
 
愛する人がいるなら 求めるものがあるなら  何にも怖くはないさ そいつが青春
燃えてる夢を命を 残らず使ってみようよ  二度と戻らない 今日のために
 
愛する人がいるなら 求めるものがあるなら  何にも怖くはないさ そいつが青春
涙は心の汗だ たっぷり流してみようよ  二度と戻らない 今日のために
 
 
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僕が最後に万凛ちゃんの演奏を聴いたのが今年盆のミズトヒ祭りの時だった
 
今年万凛ちゃんは最高学年になり今月吹奏楽部を引退した
引退式には沢山の後輩達のがあったと聞いた
 
その話を聞いた僕もちょっと感極まる感情が湧いた
その後輩達の涙は尊いと思うし青春時代の涙は心の汗なのだとも思う
青春時代にいっぱい心の汗をかく事が長い人生においての財産になるのだ
 
年が変わるといよいよ万凛ちゃんは受験が始まる
僕は彼女の進路に関しても一切口出しはしない
それは決して無関心という事ではない
 
高校に入学して吹奏楽を続けるのかどうかも僕は今の所知らない
でも続けるにしても新しい事にチャレンジするにしても
心の汗をたっぷり流せる3年間にしてほしい
 
それが父親としての僕の一番の願いなのだ! ジャンジャン!!

年増の厚化粧 笑!

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1982年(昭和57年)生まれのVW GOLF Ⅰ カブリオである
ウチのゴル子ちゃんは今年で御年33歳になった
 
ホイールハンドル、タコ足、マフラー、ショックアブソーバなど多少の改造点はあるが
外装、内装など、主だった部分は概ね33年前の出荷当時の姿を留めている
 
しかしメーカー出荷時の純正であるが故、至る所に経年劣化経年変化が見られる事も確かだ
ボディーの小傷は至る所に見られるし電気系統のトラブルはいくら修理しても万全になる事はない
 
電気系のトラブルには必ず理由があるので原因さえ判明すれば修理は簡単なのだろうが
車が電気化され始めた草創期のゴルフⅠは旧車と言えど電気系も複雑なのだ
 
 
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これくらいの年式の車になると軽量化や耐久性、コストの問題もあるのだとは思うが
以前の「鉄」という素材の使用率が減り、代わりにプラスティック樹脂加工された部品が目に付くようになる
 
鉄は重いし錆びるよいうデメリットがあったがバンパーなどに樹脂が使われるようになった事によって
デザインもスタイリッシュに見えるようになり鉄のデメリットは解消された
 
今現在世界を見渡しても鉄製のバンパーが稀なのも樹脂の方が性能的にも優れているという事なのだろう
しかし樹脂製には樹脂製の弱点がある事も確かだと思う
 
どうしてもゴルフⅠくらいの年式の樹脂製品は経年劣化して表面の艶はなくなり色が白けてくる
それを”味”と捉えればそれはそれで”良し”だが僕は出来得るなら艶を取り戻したいと思うのだ
 
僕がいつも言う事に「ヤレ」「ボロ」は似て似つかぬ物と言う事がある
”ヤレ”と言うのは手入れされながら経年変化を”味”にして行く物
”ボロ”と言うのは手入れを怠って放ったらかしにされ、みすぼらしく変化した物
 
ボディーの小傷は全塗装すれば綺麗になるし樹脂製のバンパーも塗ってしまえば綺麗にはなる
しかし全体的なバランスやコスト的な事を考えたらそれはしたくない 笑!
 
 
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そこで車の販売・修理業を営むアキースボーイズクラブのメカニック班長グッチに勧められたのが
WAKOS樹脂製品専用の耐久コート剤だった
 
樹脂製品表面の汚れや油分を中性洗剤でよく洗い流しコート剤を塗って軽く拭き取れば
艶が復活するという事でやり方を教え貰いコート剤を貰った
 
で、先日の月曜日早朝7時に起きて早々にやってみた
当日は前日の天気予報では雨だったのに晴れましたからな~ 笑!
 
 
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ウチのゴル子ちゃんのバンパーはグレーですがグッチ曰く”黒い”部分での使用が
一番効果を発揮するという事だった
 
と、いう事でグッチにも勧められたカブリオの幌の部分にも試してみた
 
上の写真は中性洗剤で汚れを落とし右側半分にコート剤を塗布した状態だが
見て貰えれば分かるように違いは歴然!
 
コート剤を薄く専用のヘラで塗付し延ばし軽く拭き取る
その工程を2~3回繰り返す
 
 
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こうなったらついでにボディーも綺麗にしようと思い
洗車後に手持ちのPermluxeというボディーコート剤を使用して艶を出す
 
まあこれで小傷が消えるという訳ではないんですけどね
 
 
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幌、バンパーの他にバックミラー、リアフェンダーカバー、リアグリルパネル、各モールにも塗ってみた
 
写真ではよくビフォー・アフターが分かり辛いかもしれませんが
実際に見たらずいぶんが出て綺麗になったと思います
 
やはりバイクもそうですが黒い部分に艶が出ると全体的に引き締まって見える
グッチ曰く耐久性も抜群という事だったから今後の様子も見守りたい
 
これで厚化粧で綺麗になった年増のゴル子ちゃんも出動準備OK!です
 
と、いう事なんですが時計の針を見るともうすぐ9時半になりそう
そろそろウチの大明神様もお目覚めすると思われまする 笑!
ここからは大明神様の厚化粧・・・元へ!お化粧の時間待ちです
 
出発予定時刻は10時半
さてさて今日は・・・ それは明日のお楽しみ! ジャンジャン!!
 
 
 
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