僕が思い入れがある昭和の時代のアーティストや楽曲を振り返り
当時の世相やエピソード、僕の思い出などを振り返るシリーズ「My Music Travel」
前回4月24日には80年代を代表するパンクロックバンド「THE MODS」をお届けしましたが
今回は1976年にデビューしたが、なぜかメジャーになれず知る人ぞ知ると言われた
伝説のロックンロールバンド「CERRY BOYS」をお届けしたいと思います
1960年代が終わりを告げようとしてた時代・・・
ヒッピーに端を発したアメリカンカルチャーは日本に輸入され
フーテン族を生み出し学生たちは「革命」を合言葉に学生闘争を始めた
1970年代に入り赤軍派による「よど号ハイジャック」「浅間山荘事件」が終焉し
日本は「しらけ時代」と言われる時代に突入した
そんな時代に若者に支持されたのが「貧乏」「苦労」「絶望」等のネガティブなキーワードで
後に四畳半フォークとも揶揄されたフォークミュージックだった
そんなアコースティックギターの音色が充満してた日本の音楽業界に
風穴を開けたのが1972年にデビューしたリーゼントに革ジャンパーという出で立ちで
パワー溢れるロックンロールを奏でたキャロルだった
キャロルは時代を圧巻したが永ちゃんとジョニーの確執から
実質活動期間3年弱という短命に終わった
キャロルの後継者として1975年にデビューしたのがキャロルラストライブで親衛隊を務めた
黒い大型バイクを操る舘ひろし氏率いるクールスだった
8ビートのブリティッシュサウンドをルーツに持つキャロルと異なりクールスは4ビートを基本とする
アメリカンサウンドを奏でるロックンロールバンドとして若者に支持される
クールスは当時のヤンチャな10代の若者に熱狂的に支持されたが
彼らは殆どテレビ出演をする事はなかった
ブラウン管に映し出されるロックンロールバンドと言えば1974年にデビューした宇崎竜童率いる
白い作業ツナギにリーゼントという出で立ちのダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドだけだった
クールスがデビューを飾った翌年の1976年に一つのロックンロールバンドが密かにデビューした
そのバンドが今日ご紹介する柳田ヒロ氏がプロデュースした
チェリーボーイズというロックンロールバンドだった
バンド名がイカシテルよね~
チェリーボーイズ、「童貞」だからね~ 笑!
初恋天国/チェリーボーイズ 1976 作詞/小池敏之 ・ 作曲/松下敏 ・ 編曲/柳田ヒロ
僕の年がシックスティーンで 君はたしかセブンティーン
初めて会ったあの日から 僕のハートはロッキード
お空の上を飛び回り 着陸するのは忘れたさ
君は一つ年上で 澄んだ瞳はチャーミング
毎日電話をかけたっけ 声がとてもイカシタぜ
あの頃はとても 素敵な毎日
わかるだろう この気持ち ステキなステキな初恋
土曜の夜は踊りに行ったのさ あの娘は一際目立ったのさ
ダンスはいつも一緒さ 他の娘とは踊らない
二人で飲んだクリームソーダ 甘くてぴったりさ
二人の影はいつも一緒さ
あの頃はとても 素敵な毎日
わかるだろう この気持ち ステキなステキな初恋
1976年1月1日にリリースされたデビューシングル「初恋天国」
同年5月25日に写真冒頭左のファーストアルバム「STEP」がリリースされた
ボーカルのトミーは1973年~1974年頃、新宿あたりでハコバンやってたそうだ
いろんなバンドを転々としながら原宿のレオンや表参道のグラスに出入りしてたそうだ
レオンは当時クールスのメンバーもよく出入りしてた伝説の喫茶店で
グラスはクールスのボーカリストのムラさんが勤めていたブティックだ
トミーはインタビューでこう語っている
友達としてはチェリーボーイズのメンバーよりクールスの方が長いんだよね
ムラはグラスで店員やってたから知ってるしピッピも東京に出て来た頃から知ってる
クールスの前はマカオってグループだったね
表参道にあったレストランのスプレンドールの横にチョッパー隠してたね
舘ひろし君とも飲みに行った事もあったね
ジェームスが弾き語りしてた乃木坂の店にも遊びに行ってたね・・・
レモン・ロック/チェリー・ボーイズ 1976 作詞・吉見祐子 作曲・菅原進 編曲・柳田ヒロ
いつか二人で行った さびれた町のディスコ 二人で飲んだレモン・ロック
指をからませてお前は 俺をだまって見つめてた 甘えた瞳は帰らない
遠い遠い思い出だけれど 風はあの日のお前を思わせる
いつか二人で行った さびれた町のディスコ 今でもお前を探してる
傾いた椅子が似合う さびれた町のディスコ 二人で飲んだレモン・ロック
壁に刻んだ二人の 名前もいつか色褪せて 別れの言葉は胸に痛い
遠い遠い思い出だけれど 風はあの日のお前を思わせる
いつか二人で行った さびれた町のディスコ 今でもお前を探してる
遠い遠い思い出だけれど 風はあの日のお前を思わせる
いつか二人で行った さびれた町のディスコ 今でもお前を探してる
六本木のロックショップっていうロック喫茶でトミーがバイトしてた頃
チェリー・ボーイズの母体となるメンバーが集まったんだそうだ
そこへ柳田ヒロさんからプロデュースを持ちかけられデビューする事になった
時代はキャロルが終わり、クールスが出て来て映画「アメリカン・グラフティー」の公開もあって
アメリカンなロックンロールでやろうって話になったそうだ
チェリー・ボーイズの活動期間は実質6年程だったらしい
デビュー曲「初恋天国」とチェリー・ボーイズの代表曲「レモン・ロック」を聴いてもらったが
ボーカルのトミーはエルヴィス・プレスリーを彷彿させるようなパワフルな声量が特徴的だし
ブレス(息継ぎ)の仕方も独特で特徴的だ
楽曲もポップなロックンロールという感じで歌詞もわかりやすい
キャロルやクールスよりもザ・ヴィーナスやブラックキャッツに近いような気がする
しかしなぜチェリー・ボーイズはキャロルやクールスのようにメジャーになれなかったんだろう?
アメリカンテイストが強すぎて暴走族にウケなかったからか?
アイム・ソーリー・マイ・ベイビー/チェリー・ボーイズ 1976
作詞・とりづかしげき 作曲・森山進治 編曲・柳田ヒロ
I 'm sorry my baby もどっておくれよ
夕べもお前を 探していたのさ いつものディスコやコーヒーハウス
あやまりたいのさ 今までの事を 少しは大人に なったつもしさ
独りで泣くにはシラケる部屋だぜ 思い出ばかりが やけにうるさすぎて
二人で暮らそう あの頃みたいに だから I 'm sorry my baby もどっておくれよ
今夜もお前を 探しに行くのさ ばったり会うような そんな気がして
今さら何よと 言われるだろうが お前が居なくては 生きて行けない
独りで泣くには 夜は夜は長いぜ お前の写真が やけにまぶしすぎて
二人で暮らそう あの頃みたいに だから I 'm sorry my baby もどっておくれよ
僕がチェリー・ボーイズを知ったのは1979年の高校1年生の夏だった
呉工の同級生だったGANちゃんとSHINYAの3人で夏休みに家出をして
逃亡先だった江田島の一つ上の先輩SAKAE君の家で始めて聴かせてもらった
キャロルともクールスとも違うテイストのロックンロールに魅了された僕は
逃亡生活を終えて家に帰ってからレコード屋さんにソッコーでアルバムを買いに行った
そう言った経緯があるから今でもチェリー・ボーイズを聴くと
あの暑かった高1の夏の江田島を思い出しSAKAE君の姿が目に浮かぶ
SAKAE君とはあの当時から一度も会っていない
昨年僕達が主催したクールスライブに誘おうと
手を尽くして連絡先を探したが結局連絡先はわからなかった
もし、この記事を読んだ方でSAKAE君の連絡先が分かる方は是非知らせて欲しい
と、言う事だが最後に僕がチェリー・ボーイズのナンバーで一番好きな曲である
バラードの名曲「都会の雨」をお届けして今日は終わりにしようと思います! ジャンジャン!!
PS
ご好評いただいてる「My Music Travel」ですが書庫「音楽」から新しく
書庫「My Music Travel」に独立引っ越しさせました
是非バックナンバーもお楽しみください!
都会の雨./チェリー・ボーイズ 1980
窓に映るビルの谷間 濡らすさびしい雨 スピードに乗せた想い 止まらぬ俺のさびしい心
すぎて行く青い瞳 続く白いライン 面影を求めながら 俺は一人走り続ける
曇る車の窓に書いた 愛とゆう字に募る思い 震える指の先に 冷たい雨のしずく
曇る車の窓に書いた 愛とゆう字に募る思い 震える指の先に 冷たい雨のしずく
出会いの日に濡れたこの雨 優しく二人を包んでくれた 愛することの喜びを 今は冷たいこの雨
夕暮れの濡れた道に 残す車の跡 揺れる心見つめあった 二人が燃えた愛は何処へ
夕暮れの濡れた道に 残す車の跡 揺れる心見つめあった 二人が燃えた愛は何処へ
出会いの日に濡れたこの雨 優しく二人を包んでくれた 愛することの喜びを 今は冷たいこの雨
曇る車の窓に書いた 愛とゆう字に募る思い 震える指の先に 冷たい雨のしずく
曇る車の窓に書いた 愛とゆう字に募る思い 震える指の先に 冷たい雨のしずく