前出の雑誌にも書いてありますが元「美能組」初代組長だった「美能幸三」氏が
網走刑務所で執筆した戦後から始まった呉・広島ヤクザ抗争の手記を
実際に映画化にこぎつけるには様々な問題をクリアする必要があったそうです
先ずは手記を手に入れた作家の飯干晃一氏が「週刊サンケイ」誌上に
タイトル「仁義なき戦い」として手記を下書きに連載を開始
僕が昔聞いた話では飯干さんが手記を連載する許可を美能氏に求めた際
なかなか首を縦に振らなかった美能氏が全ての登場人物を実名で書く事を条件に承諾したらしい
美能氏が刑務所に入っていた時に地元の中国新聞が
「美能は裏切り者、仁義に欠く」って内容の記事を書いた
それを見た美能氏は汚名を晴らすために手記を書き始めたという事だった
だから全てを実名にする事に拘ったと聞いた事がある
(仁義なき戦いプロデューサーの日下部五朗氏 写真は呉港近郊)
手記を読んだ映画プロデューサーの日下部五朗氏と
脚本家の笠原和夫氏は映画化に踏み切る決意をする
しかし週刊サンケイ側の了承は出たが当の手記を書いた美能氏が映画化を頑なに拒んだ
東映本社は美能氏の承諾はいらないと言ったが、そんな事は出来ないと
日下部氏と笠原氏は呉を訪れ美能氏に面会を求めるが会ってくれない
で、呉に泊まり以前呉で戦争映画のロケをした時に何度か酒を飲みに行ったスナックに行った
スナックのママは笑顔で出迎え今回の事情を聞き美能氏とコンタクトを取ってくれ面会が許された
呉ではこのスナックは○○でママは○○だという噂もあるが確証はないから書けない
ま、そっちの筋の店らしいという事なのだが・・・ 笑!
晴れて美能氏と面会できた両氏だが美能氏はなかなか首を縦に振らない
そりゃそうだ、当時美能氏はすでにヤクザ社会から足を洗いカタギになってはいたが
手記に登場する人達の多くはまだ存命で現役の人もいるし抗争で亡くなられた方にも血縁者は沢山いる
しかしそこに一筋の光がさす
何と美能氏と脚本家の笠原氏が戦時中に広島県大竹市の海兵団の同僚だった事が判明した
意気投合した二人は急接近しついに美能氏は根負けしたそうだ
(仁義なき戦い撮影時の主演の菅原文太さんと深作欣二監督)
「仁義なき戦い」の監督に深作欣二氏を推したのは日下部氏の兄貴分の俊藤氏だったそうだ
当時深作氏は鳴かず飛ばずの監督でヒットメーカーでも何でもなかったそうだ
そんな深作に俊藤氏は可能性を見出していたそうだ
先日のアナザーストーリーズで言っていたが深作監督(当時42歳)は脚本を読んで
「この作品の監督は俺しかいない」と、言ったそうだ
しかし日下部、笠原両氏は当初深作監督に難色を示していたそうだ
ヒットメーカーでもないのに自己流を貫き妥協せず扱い難い監督と評判だったからだそうだ
これも先日のアナザーストーリーズで当時のスタッフが言っていたが
「ちょっと違うんだよな~・・・」って何度も録り直して撮影が徹夜になる事もザラだったそうだ
しかも本番中に思い付きでどんどん脚本を変えていく
衣装も拘りで端役が着るシャツも全てスーツの生地で仕立てて
当時のお金でシャツ1枚が4万円以上していたそうだ
しかし深作監督は主役にも端役にも裏方にも同じように接し
端役にも「前に出ろ」って常に気にかけている人だったそうだ
まあ逸話には事欠かない名監督だったと皆が声を揃えていた
40周年記念誌にも出ているが先日のアナザーストーリーズにも出てたシリーズ2作目の広島死闘編に
準主役の大友勝利役で出演した千葉真一氏のインタビュー映像があった
当初千葉氏には本番で北大路欣也氏が演じた山中正治役でのオファーがあったそうだ
千葉氏は即決で出演を承諾したが撮影直前になって大友役を演じるはずだった
北大路氏が配役を山中役に変えて欲しいと深作監督に直訴した
千葉真一は当時キーハンター等に出演し人気を博していた爽やか路線の人気俳優だった
広島死闘篇の大友はシリーズを通して一番破天荒な役所で卑猥なセリフも多かった
山中役のセリフを全部暗記していた千葉氏は断ったが結局監督に説得されて大友を演る事になった
爽やか路線からの脱却で千葉氏は新境地を開拓し役者としての役柄の幅が広がった
千葉氏が演じた大友は仁義ファンからも人気が高い
この時、大友を演じて本当に良かったと千葉氏は語ってましたね
初作では名もなき端役だった川谷拓三氏は仁義出演で名を上げた役者だった
大部屋俳優のピラニア軍団だった川谷氏はどんな端役にも全力で取り組んだ
体を張って全力で演技する川谷氏は性格も良く主役級の俳優にも可愛がられた
そんな川谷氏にチャンスが回ってくる
深作監督が広島死闘編で村岡組の岩下光男役に大抜擢したのだ
岩下は千葉真一演じる大友に両手をロープで縛られたまま漁船から海に放り投げられる
情島に連れて来られた岩下は大友らに射撃の的にされ死んでしまう
その演技に感銘を受けた深作監督はシリーズ3作目の代理戦争編で
中堅役の広能組の組員、西条勝治役に大抜擢し、川谷氏は見事演じ切る
この時のポスターに初めて川谷拓三の名前が載った
先日のアナザーストーリーズでは川谷氏の奥さんが出てたが
ポスターに載った自分の名前を見て天にも昇るように嬉しがっていたそうだ
ちなみに深作監督に川谷氏を推挙したのは主役の菅原文太さんだったらしい
一生懸命やってる姿は誰かが見てくれているという事ですよね!
仁義なき戦いの舞台になった呉は古くから海軍で栄えた町だった
終戦を迎えた呉では海軍関係の後処理や空襲で焼けた町の復興に多くの公共事業が発生した
その利権を争った事が仁義なき抗争に繋がった
だから仁義なき抗争も云わば太平洋戦争が生んだ産物だったとも言える
現在呉は戦後呉の発展を担ってきた日新製鋼が新日鉄に買収されるなど
造船・鉄鋼という呉の重産業は前途が不透明な感がある
個人的にはこうなると呉は観光地化する事が生き残る方法のように思える
大和ミュージアムの成功に例を見るように呉の売りは「元海軍」だと思うんですよ
今でも大和ミュージアムには多くの人が訪れているし駆逐艦や潜水艦が近くで見れる
アレイカラスコや東郷平八郎の別荘がある入船山記念館には多くの人が訪れている
昨年呉オールドモータースクラブが小村呉市長から感謝状を頂いた時
市長さんが呉に対する意見を聞かせて欲しいとおっしゃってくれた
僕は現在ほぼ空き家になってる海軍の下士官兵集会所(現、海上自衛隊呉集会所)を
何とか有効利用して呉観光の名物に加えて欲しいと意見を述べた
呉集会所はもともと宿泊施設も完備されてますからね~
市長さんが言うには現在呉集会所は国の所有になってるそうだが
近い将来呉市に払い下げされる予定だと言われてた
しかし集会所は昭和10年に竣工された古い建物だから耐震性の問題もあり
建物を維持するには莫大な費用が必要だともおっしゃってた
しかしよく考えていただきたい
一度壊した建物はいくらお金をかけても元通りに復元する事は出来ない
呉海軍の遺産とも言える集会所は呉の財産だと思うんですよ
呉市役所の新庁舎を建てる金があるならやってやれない事じゃない
呉の経済効果が期待出来る事に税金を使う事は呉市民も納得するんじゃないかな~?
それと僕はず~っと前から言ってるように「仁義なき戦い」ミュージアム」を作ってほしい
僕は決して冗談で言ってるんじゃないんですよ 笑!
これが出来るのは日本全国探しても「呉」だけですぞ!
映画公開当時、仁義なき戦いは映画館が上映拒否するなど社会的に問題有りとも見なされた
しかし現代においては、あの天下のNHKが公共電波で取り上げるという時代に変った
確かに描かれてる内容は業界的にも取り扱いが難しいって事もわからんでもない
しかし作品に登場するモデルになってる方の殆どはすでに鬼籍に入られてるし
映画化においての日下部、笠原両氏の熱意を持ってすれば無理だとは言えまい
今でも全国には「仁義なき戦い」のファンは大勢いる
もし実現すれば全国の怖い業界の方も来るだろうが(笑)マスコミにも大きく取り上げられ
映画関係者を始め芸能界、著名人の方も挙って呉に来られると思う
呉の歴史を大和ミュージアムと仁義なき戦いミュージアムで堪能し
実際に空襲や抗争があった町に繰り出しリニューアルされた呉集会所に宿泊してもらう・・・
映画界斜陽化の危機を救った未曾有の名作「仁義なき戦い」
僕は本気でそう思うんですが皆さんはどう思われますかね? 笑! ジャンジャン!!