僕が思い入れがある昭和の時代のアーティストや楽曲を振り返り
当時の世相やエピソード、僕の思い出などを振り返るシリーズ「My Music Travel」
前回3月6日はテレビドラマ「コメットさん」で人気を博した大場久美子さんを取り上げましたが
今回はグッと趣向を変えて日本が生んだパンクロックバンド「THE MODS」を取り上げてみようと思います
TWO PUNKS/THE MODS 1981 作詞・作曲 森山達也
虚ろな街に 風が吠えぬける 俺たちはアスファルトの上 転げ落ち
もう真夜中だ 何をすればいい 押し合いへし合い 地下鉄にもぐる
いつもの薄汚れた 小屋へ行き 俺たちは歌った 朝まで歌った
一切れのパンを 腹に押し込み ぐったり地下室で横になる
もう朝6時だ 家を探さなくちゃ 俺たちは実際 金が無かった
ポケットの中には キラリとナイフが さぁ歩こう 街は眩し過ぎる
どうにかしてくれ Hummer Smith に電話しよう 男がやって来て"切符"をくれた
「2か月以内に決めな Hey boy」そう言いやがる でもその行き先は俺たちには似合わない
TWO PUNKS 縛られて TWO PUNKS 見張られて TWO PUNKS 逃げられない
俺の女は 目に涙を浮かべてた 「いつまで続けるの Hey darling」そう言いやがる
そんなこと俺にも分かりゃしねぇよ でも もう列車には 乗り遅れた
俺たちは乗ることが できなかった 俺たちは乗ることができなかった
俺たちは乗ることができなかった 俺たちは乗せてもらえは しなかった
TWO PUNKS 縛られて TWO PUNKS 見張られて TWO PUNKS 逃げられない
TWO PUNKS 見張られて TWO PUNKS 縛られて TWO PUNKS …
ザ・モッズは1980年代を代表する博多出身のパンクロックバンドだ
「THE MODS」として正式にデビューしたのは1981年だが、その当時のメンバーは
森山達也(ギター・ボーカル)、苣木 寛之(ギター)、北里晃一(ベース)、梶浦雅裕(ドラムス)
の4人編成のバンドだった
ブリティッシュビートに多大な影響を受けた森山達也は1974年に福岡県博多で第一期「THE MOZZ」を結成
1975年に「THE MOZZ」を解散し、1976年に第二期「THE MODS」を結成
そして1981年にEPIC/SONY、英CBSと契約しデビューシングル「崩れ落ちる前に」と
デビューアルバム「FIGHT OR FLIGHT 」を同時期にリリースしてデビューを飾った
同年秋にはセカンドアルバム「NEWS BEAT」をリリースしている
1981年(昭和56年)と言えば僕は美容学校に行ってた年だ
美容学校時代と言えば僕は横山剣さんが加入したクールスのアルバム「チェンジリング」や
シャネルズのセカンドアルバム「Heart & Soul」、他にはブラックキャッツやザ・ヴィーナスなどの
アルバムを思い出すが確かにザ・モッズも美容学校後半頃には聴いてた事は覚えている
冒頭の映像の「TWO PUNKS」や「崩れ落ちる前に」「ゴキゲンRADIO 」が思い出深い
おそらくアニキ分だったHISASHI君にモッズを教えて貰ったんじゃないかな~?
彼は何でも時代を先取りして情報収集も早かったですからな~
で、翌年の1982年にモッズはサードアルバム「LOOK OUT」をリリースする
この年に僕はミヤニシに就職したが「LET'S GO GARAGE」が思い出深いですね
しかしこの頃は僕の印象ではモッズはまだアンダーグランドのミュージシャンだったような気がする
彼等が本当の意味でメジャーになったのは翌年の1983年にリリースしたこの曲↓だったんじゃないかな~?
激しい雨が/THE MODS 1983 作詞・森山達也 作曲・THE MODS
危険な誘いに 走り出す人達 変わらない毎日に しがみつく人達わけ
分らずTVが ただ騒さくひびく 昨日のニュースなんて 誰も欲しがらない
行くあてなく ただ漂う 壁の中の ジプシーたちよ
激しい雨が俺を洗う 激しい風が俺を運ぶ 激しいビートが 俺に叫ぶ 何もかも 変り始める
アメリカン・ドリーム そいつは物語 ガキの頃描いた 永遠の夢は
オイルの匂いと 一緒に行っちまった 今じゃ夢さえ 何処にも見当たらない
行くあてなく ただ漂う 壁の中の ジプシーたちよ
激しい雨が俺を洗う 激しい風が俺を運ぶ 激しいビートが 俺に叫ぶ 何もかも 変り始める
激しい雨 もっと強く降りつけろ 渇いたノド 空っぽのこの街に
行くあてなく ただ漂う 壁の中の ジプシーたちよ
激しい雨が俺を洗う 激しい風が俺を運ぶ 激しいビートが 俺に叫ぶ 何もかも 変り始める
激しい風 もっと強く吹きつけろ 過ぎて行く今を 子守歌みたいに
行くあてなく ただ漂う 壁の中の ジプシーたちよ
激しい雨が俺を洗う 激しい風が俺を運ぶ 激しいビートが 俺に叫ぶ 何もかも 変り始める
激しい雨が俺を洗う 激しい風が俺を運ぶ 激しいビートが 俺に叫ぶ 激しい雨が 俺を変える なにもかも
4枚目のシングル「激しい雨が」は当時maxellのカセットテープのCMソングに使われた
それがきっかけでザ・モッズはお茶の間に姿を現し認知されたような気がする
確かこの頃の「歌のトップテン」だったと思うがモッズがライブ中継で出演し
スタジオ司会者だった堺正章さんが森ヤンに
「これまで何をされてたんですか?」
的なトンチンカンな質問をして森ヤンが呆れたように
「音楽活動です・・・」
って答えた映像を見た記憶がある 笑!
シングル「激しい雨が」をリリースした2カ月後の11月にはモッズ4枚目の
アルバムとなる「HANDS UP」がリリースされた
そして翌年1984年にモッズは5枚目のシングルとして↓この曲をリリースした
バラッドをお前に/THE MODS 1984 作詞・森山達也 作曲・THE MODS
俺は ポツンと部屋にいる イラダチが 鼻歌をさそう ノン ノン ノン
みんな何処かへ 消えちまえばいい それともこの俺が 行けばいいのか
みんな何処かへ 消えちまえばいい それともこの俺が 行けばいいのか
知らぬ間に 手を汚したぜ お前の嫌いな 仕事をしてる ノン ノン ノン
この街を長く 離れる事もある それがお前には たえきれないのか
お願いだ Baby そばにいて 笑って その顔を見たくて 俺はボロボロになる
この街を長く 離れる事もある それがお前には たえきれないのか
お願いだ Baby そばにいて 笑って その顔を見たくて 俺はボロボロになる
この街を長く 離れる事もある それがお前には たえきれないのか
お願いだ Baby そばにいて 笑って その顔を見たくて 俺はボロボロになる
お願いだ Baby そばにいて 笑って その顔を見たくて 俺はボロボロになる
時は物を こわしてゆく お前と俺の顔も こわす イエス イエス イエス
時間はまるで ダイヤモンドの光さ 淋しさの中じゃ 俺も弱くなる
お願いだ Baby そばにいて 笑って その顔を見たくて 俺はボロボロになる
時間はまるで ダイヤモンドの光さ 淋しさの中じゃ 俺も弱くなる
お願いだ Baby そばにいて 笑って その顔を見たくて 俺はボロボロになる
5曲目のシングル「バラッドをお前に」は1984年2月からTBS系のドラマとして放送された
「中卒・東大一直線 もう高校入らない」の主題歌に抜擢された
ドラマは中学校の管理教育に 失望して息子を高校に通わせず大学入学資格検定合格で
東大合格を勧めた塾の経営者でもあり父親の「磯村懋」の手記を元に製作されたノンフィクションドラマだ
父親役を菅原文太さんが演じ、息子役を坂上忍さんが演じ当時話題になったヒット作だ
ドラマのヒットもあり「バラッドをお前に」はヒットした
そして同年6月に5枚目のアルバム「JAIL GUNS」がリリースされた
と、言う事だが僕のモッズの記憶はこの辺りまでで、この後モッズは聴いていない
僕の古いアルバムには1983年のアルバム「HANDS UP」の促進チラシと
同年5月9日(月)に広島郵便貯金会館で行われた「SHAGAKUFORUM FILE TOUR’83」と
12月2日(金)に同じく広島郵便貯金会館で行われた「Gang Tour ’83」の
モッズのライブチケットの半券が保存されている
今でもよく覚えていますがモッズのライブに行くと必ずと言っていいほど喧嘩になってましたな~ 笑!
僕達が当事者の時もあったし、呉の諸先輩達が当事者の時もあった
このモヒカンはモッズのライブに一緒に行った呉の先輩ですが僕が髪をセットしたんですよね
更にはピンクのカラースプレーで色を付けた
こんな諸先輩達とライブに行くんだから、そりゃ喧嘩にもなりますよ
まだまだ血気盛んな年頃でしたしね
当時広島では呉の人間は無茶するから気を付けろって言われてた時代ですからな~ 笑!
ま、そんな事も今となってはいい思い出です!
しかしモッズは僕の中では青春が終わった時代というイメージもある
時は1984年、僕も22歳になりいつまでもロックンロール!って言ってられない歳になりましたからね
と、言う事で今日はこれまで!ジャンジャン!!