東洋一の軍港と言われた大日本帝国呉海軍の呉工廠の海の玄関口だった呉港
そうした背景から太平洋戦争末期にはアメリカ軍の爆破目標となり
1945年(昭和20年)3月の呉空襲において呉港は壊滅した
その後1950年(昭和25年)に占領軍から返還され旧呉工廠に
民間企業招致が始まり翌年に呉港は「重要港湾」に指定され
更に翌年に呉市が港湾管理者に認可され現在に至っている
現在の呉中央桟橋は2000年(平成12年)にターミナルが新装されたが
昭和の呉中央桟橋は写真(昭和44年撮影)のような景観だった
現在呉中央桟橋からは主に「呉ー松山」「呉ー江田島」行のフェリーが
運行されているが、昭和の時代は「呉ー別府」行のフェリーもありましたね~
この写真は僕が高校1年だった1979年(昭和54年)の
旧呉中央桟橋フェリーターミナル内での物だ
僕は子供の頃子供会で江田島の第1術科学校に見学に行った事は覚えているが
その頃の呉中央桟橋はまったく記憶にない
旧呉中央桟橋が色濃く記憶にあるのは江田島に友達が出来て
足蹴よく江田島に通った高校1年生のGWから秋口にかけての事ですね
1979年当時、呉から江田島小用桟橋までのフェリーの運賃が
たぶん150円前後で、高速艇が300円くらいだったような気がします
夜8時からは特別便ってのも運行してた記憶がある
秋口にはフェリーにバイクを積んで江田島まで行ってたな~
こちらは江田島の小用桟橋の旧待合所
いつ建て替えたのかはわかりませんが
現在は立派なターミナル?が建ってます
7~8年くらい前に約30年ぶりくらいに小用桟橋にバイクで訪れ
あまりの景観の変わりように驚きましたね 笑!
こちらが呉湾から見た現在の呉中央桟橋フェリーターミナル(右)
近年ではバイクでのロングツーリングで四国・九州方面に行った時は
最終の松山観光港からのフェリーで帰って来るパターンが多い
松山観光港最終のフェリーで帰ると呉に着くのがだいたい夜10時頃か
呉港の夜景に呉中央桟橋の灯りが見えると無事帰れたとホッとしますね
ジャンジャン!!