故郷、長浜を離れて30年になるから、いつ廃業したのかも知らないのだが
僕が長浜に住んでいた頃に「長浜薬局」という店があった
町から離れた小さな港町である長浜だが長浜出身で
全国的な有名人というのが個人的に3人いると思っている
一人は幕末の勤王僧で倒幕論のうえにたった尊王論を唱え
吉田松陰らと深く関わった「宇都宮黙霖(うつのみやもくりん」
二人目は日本を代表するジャズサックス奏者の「坂田明」氏
そしてもう一人が長浜薬局を生家に持つ悲運のランナーと言われた
ミュンヘンオリンピックマラソン日本代表の「采谷義秋」氏
てか、僕が子供の頃、長浜薬局は「うねたに薬局」って
言ってたような気がするんだけどな~
ウチに常備してあった置き薬の類は殆どが、うねたに薬局で買っていた
現代のようにサプリメントもなく、薬の種類も多くなかった1960年代半ばから
1970年代にかけての一般家庭に常備してある置き薬って
どこの家庭も似たようなものだったんじゃないかな~
海や山といった大自然が遊びのフィールドだった僕たち長浜っ子は
いつも擦り傷や、切り傷を負っているのが当たり前だった
特に、膝や肘といった間接部分は、いつも「かさぶた」が出来ていた
そんな時に大活躍するのが「赤チン」だった
1960年代半ばから1970年代半ばにかけて子供時代を過ごした僕だが
あの頃の冬は今より全然寒くて冬になると、しもやけや、あかぎれをよく起こした
そんな時に活躍したのが「オロナイン軟膏」だった
男の子って小さい頃はよく病気すると言われる
腹痛に見舞われた時は迷わず「正露丸」だった
子供心に、見た目と臭いと味が嫌いでしたけどね
僕が子供の頃、ウチでは頭痛や歯痛の時の痛み止めは「ケロリン」だった
僕の虫歯は常習でしたからケロリンにはずいぶんとお世話になった
てか、このパッケージのデザインが懐かしい
今でもあるのか、ケロリン? 笑!
山に基地を作ったり、虫捕りが遊びの定番だった僕たちはしょっちゅう山に入り
半ズボンから出てる足は藪蚊に刺されて、まるで「ほろせ」のようになった
そんな時に活躍したのが「キンカン」や「ムヒ」だった
キンカンは、掻き毟った痕には沁みるし臭いが臭かった 笑!
小学校の高学年になってスポーツ少年団に入団してバレーボールを始めてから
筋肉痛になると「アンメルツ」や「サロンパス」の出番だった
てか、意外にも子供の頃の風邪薬って覚えてない
と、まあウチの実家の置き薬ってこんな感じだったが
もう一つ何にでも効くと言われた万能薬があった
当時「医者いらず」とまで言われた万能薬「アロエ」
当時は、どこの家でも栽培していたんじゃなかろうか?
まあそれでも、ある意味効果抜群だったのは「母の手」だったんじゃなかろうか?
昨今薬のCMでよく見かける
「痛いの 痛いの 飛んでいけ~」
って言いながら患部を押さえる母の手の温もりは
どんな良薬よりも効いた気がしましたね~
ジャンジャン!!