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鮮やかに蘇った80年前の先祖と幼き日の母

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イメージ 1



昨今はコンピューターの進化で白黒写真をカラー化出来るようになった

コンピューターにちょっと詳しい人はアプリなどを使って自分でも簡単に出来るようだが
時代に乗り遅れている僕は(笑)そんな知識もない

で、呉のカメラ屋さんや写真館にいろいろ問い合わせてみたのだが
呉駅前の「カメラのサエダ」が白黒写真のカラー化業務を行ってるという事で
先日発見された母の昔のアルバムに貼ってあった古い白黒写真をカラー化してみた


イメージ 2


元になった写真がこちらの古ぼけた白黒写真ですが、僕が推測するに
この写真は1937年(昭和12年)前後の春に撮られた写真だと思います

写真に写ってるのは大日本帝国陸軍野砲兵第5連隊に入隊する日の伯父と
入隊に付き添った祖父母と、幼き日の母です

母は伯父が陸軍に入隊する時に野砲兵第5連隊の大本営があった
広島城内に祖父母に連れられて行った記憶があると昔から言ってた

その時の写真が確かあったはずと言ってたが、まさしくこの写真がそうだと思う

僕はこの写真を初めて見たが子孫として感慨深いものがある
この写真をカラー化して母にプレゼントにしようと思ったんですよね


イメージ 3


で、約3週間かかって出来上がった写真が↑これです

この写真が1937年(昭和12年)の春に撮られた物だと仮定すると
1893年(明治26年)生まれの祖父は43歳、1898年(明治31年)生まれの祖母は39歳
1918年(大正7年)生まれの伯父は18歳、1934年(昭和9年)生まれの母は2歳だったという事だ

当時はまだカラー写真が存在しない時代だが当たり前の事だが当時も
人間の目には現在と同じように景色も人の顔もカラーで見えていたのだ

母にとっては幼き日の事でありハッキリした記憶はないかも知れないが
当日の事を覚えているという事は彼女にとっては忘れられない日だったという事だと思う

それもそのはず、叔父はこの年の7月に勃発した日支事変に動員され
1940年(昭和15年)に遠い中華民国の地で21歳の若さで戦病死を遂げ
二度と生きて日本の地を踏む事も家族に会う事も出来なかったのだ

この写真の日が祖父母や母にとっても生前の伯父に最後に会った日という事だ

写真を始めて見た時僕は感慨深い気持ちになったが
写真をカラー化した事で、この時の事がよりリアルに感じられた

たまたまかも知れないが祖父が、これから出征する長男である叔父に
寄り添ってるように見えるのが祖父の気持ちの表れだったのかとも思う

カラー化には約1万円もかかったが、母への最高のプレゼントになったと思います 
ジャンジャン!!


イメージ 4


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呉市本通り2-3-4(四ツ道路バス停前) 
(0823-23-7540)

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