世間では新年と言えば1月であり季節的には冬という事になるが
化粧品会社の1年は官庁と同様に春のキャンペーンから始まる
新社会人女性へのアピールもあり各化粧品会社は春に最も力を入れる
1980年代が始まりを告げた1980年(昭和55年)に二大化粧品メーカーの
広告対決は1978年夏の「時間よ止まれ」「Mr.サマータイム」以来
両社CMソングが揃ってベスト10入りするという華やかな春を迎えた
今回はそんな1980年の資生堂、カネボウ両社のCMを振り返ってみよう
<資生堂>
・春のキャンペーン
キャッチコピー 「不思議なピーチパイ」
タイアップ曲 不思議なピーチパイ 楽曲提供 竹内まりや
モデル メアリー岩本(マリアン)
・夏のキャンペーン
キャッチコピー 「輝けナツコSUN」
タイアップ曲 蜃気楼 楽曲提供 クリスタル・キング
モデル 田中ちはる
・秋のキャンペーン
キャッチコピー 「おかえりなさい秋」
タイアップ曲 おかえりなさい秋のテーマ
楽曲提携 加藤和彦 モデル ヨアンナ・ディック
・冬のキャンペーン
キャッチコピー 「素肌シェイプアップ」
タイアップ曲 魅惑・シェイプアップ 楽曲提携 内山田洋とクールファイブ
モデル 横須賀昌美
春のキャンペーン 「不思議なピーチパイ」
タイアップ曲 不思議なピーチパイ アーティスト 竹内まりや
今でこそ女性シンガーソングライターのレジェンドの一人に数えられる竹内まりやさんだが
当時はまだ「ポット出の女子大生シンガー」というのが当時の世間の認識だった
1978年(昭和53年)のデビュー以来「戻っておいで・私の時間」
「ドリーム・オブ・ユー ~レモンライムの青い風」はCM曲にもなったが
あの「セプテンバー」ですらスマッシュヒットという感じだった
まりやさんはデビューに当たってアイドルを目指すのではなく
あくまでシンガーソングライターであるミュージシャン希望だった
しかし、幸か不幸か、「不思議なピーチパイ」の大ヒットによって
アイドルとしてテレビを中心とした芸能チックな活動にさらに拍車がかかった
本人的には本意ではなかったかも知れないが、まりやさんは
「不思議なピーチパイ」のヒットでお茶の間に認知されたのであった
秋のキャンペーン 「おかえりなさい秋」
タイアップ曲 おかえりなさい秋のテーマ アーティスト 加藤和彦
「おかえりなさい秋のテーマ - 絹のシャツを着た女」は加藤和彦さんが
制作した資生堂のCMタイアップ・シングルである
加藤和彦さんはご存じのように「ザ・フォーク・クルセダーズ」や
「サディスティック・ミカ・バンド」で活躍し斬新なアイデアに満ちた創作活動で
1960年代後半から70年代の日本のミュージックシーンをリードした先駆者の一人だ
「おかえりなさい秋のテーマ」は奥様の安井かずみさんが歌詞を書き
YMOのメンバーに木村憲司さんと松武秀樹さんを交えて
東京のアルファレコード・スタジオAでレコーディングされた
歌詞では秋の失恋が描かれ、サウンド面では
タンゴやテクノポップなどの要素が聴きとれる
しかし同曲はビックヒットとはならなかった
<カネボウ>
・春のキャンペーン
キャッチコピー 「唇よ、熱く君を語れ」
タイアップ曲 唇よ、熱く君を語れ
楽曲提携 渡辺真知子 モデル 松原千明
・夏のキャンペーン
キャッチコピー 「ビューティフルエネルギー」
タイアップ曲 ビューティフルエネルギー 楽曲提供 甲斐バンド
モデル 荻原佐代子
・秋のキャンペーン
キャッチコピー 「How many いい顔」
タイアップ曲 How many いい顔
楽曲提携 郷ひろみ モデル 檀ちひろ
・冬のキャンペーン
キャッチコピー 「素肌、乾燥注意報 素肌、氷点下注意報」
タイアップ曲 灰色の季節
楽曲提携 加藤登紀子 モデル 古手川祐子
春のキャンペーン 「唇よ、熱く君を語れ」
タイアップ曲 唇よ、熱く君を語れ アーティスト 渡辺真知子
僕の私感では1980年の資生堂VSカネボウの春の陣における
CM合戦は引き分けのような気がする
が、強調しておきたいのは80年1月の時点では渡辺真知子さんの方が
竹内まりやさんよりミュージシャンとしての実績は遥かに格上だったということだ
渡辺さんはデビュー曲「迷い道」を始め、「かもめが翔んだ日」「ブルー」と
立て続けに大ヒットを飛ばし安定感は抜群
声楽科→YAMAHAポプコン→CBSソニーと正統派のミュージシャンだった
渡辺さんの方が1歳年下だがデビューは1年早いし芸能人っぽいメディア露出を
一切していない音楽一本道の実力派シンガーソングライターだった
僕はデビュー以来の竹内まりやさんのファンだが渡辺真知子さんの
楽曲も大好きでアルバムを買ったりもしてた
この「唇よ、熱く君を語れ」が大ヒットした頃に僕は高校を退学になった
そんな思い出があるのが渡辺真知子さんの「唇よ、熱く君を語れ」なのだ
夏のキャンペーン 「ビューティフルエネルギー」
タイアップ曲 ビューティフルエネルギー アーティスト 甲斐バンド
甲斐バンドのメインボーカルと言えば甲斐よしひろさんなんですが
カネボウ化粧品のCMソングとして採用された「ビューティフルエネルギー」は
ドラムスの松藤さんの曲で松藤さんが歌っていた
ライブでは1番と2番を甲斐さんと松藤さんで分けて歌ったりしています
この曲には甲斐さんのボーカルでレコーディングされた音源が存在します
1974年(昭和49年)に「バス通り」でデビューした甲斐バンドは
「裏切りの街角」「安奈」「HERO ヒーローになる時、それは今」などの
ヒット曲を持つ当時女性に大人気だった博多めんたいロックバンドだった
僕が高校を退学になった頃に付き合ってた一つ上の紫のパッソルに乗ってた(笑)
Tちゃんの家に行くといつも甲斐バンドの曲が流れてた
結局彼女に僕は二股をかけられていて彼女はセドリック330に乗ってた
年上の彼の元に去って行ったのだった 笑!
秋のキャンペーン 「How many いい顔」
タイアップ曲 How many いい顔 アーティスト 郷ひろみ
リリース日は7月21日と真夏だったのに「秋」のキャンペーンソングだった
「How many いい顔」はリリースから暫くはそれほどヒットしなかった
当時は、まだ「アイドル」に属していた郷ひろみさんだがキャンペーンソングとして
大量O.Aされた効果もあり同曲は大ヒットとなった
1980年代も中盤になって来ると、化粧品キャンペーンソングも男性アイドル系が
台頭してくるのだが80代初頭まで男性アイドルポップス系のタイアップはなかった
理由は簡単で、それまでアイドル系は、「オトナ」が聴くような音楽じゃなかった
対照は小中高校生で、まだ化粧する年でもなかったから
対照は小中高校生で、まだ化粧する年でもなかったから
タイアップの話もなかったんだろうと思う
で、80年くらいになると70年代アイドルの魁ともいえる「新御三家」のファン層も
そろそろ二十歳を超えてきて化粧品もと考え出す年頃になったのだ
しかし僕は当時から郷ひろみさんは生理的に好きじゃなかった 笑!
折しも1980年初頭の音楽界はアイドル不在の時代に突入しようとしていた
山口百恵さんはすでに数ヶ月後の引退が決まっており、ピンクレディー人気は消滅
テレビはそれまで追いかけていた対象が一斉にいなくなってしまい
カメラを向けるアイドルを探していた
だから竹内まりやさんを始め桑江知子、越美晴、杏里、松原みき・・・ など
若手女性ミュージシャンが、アイドルの代わりをさせられていたのだ
しかし消える人がいれば新しく出て来る人がいるのが世の習い
この年、満を持して松田聖子さんがデビューを控え中森明菜さんや
小泉今日子さんたち80年代アイドルが雨後の筍のように湧き出て来るのであった 笑!
ジャンジャン!!