呉市民の皆さん、写真の建物が何なのかわかりますか?
「ん? 昔どっかで見た事あるぞ・・・」
って思われた方、それは大きな勘違いです 笑!
いや、正確に言うと見た事ある人は
現在最低でも100歳は越えてるはずです
ご存じのように呉は海軍の町ですが呉に鎮守府が
置かれる事が決まったのが1886年(明治19年)
更には呉海軍工廠が設置されたのが1903年(明治36年)の事でした
そして呉海軍工廠設置に伴い並行して設置されたのが写真の初代呉駅だったのです
呉海軍工廠の拡張に伴い1923年(大正12年)に竣工したのが写真の2代目呉駅でした
初代呉駅は竣工から21年という歳月で役目を終えたという事です
写真に写ってる人を見ると女の子は洋服を着ていますが
傘をさしてる二人組の女性も、前を歩く男性も和服である事が確認出来ます
水兵さんらしき集団も確認出来るし人力車も確認出来ますね
しかし、この2代目呉駅は終戦目前の1945年(昭和20年)7月に
呉空襲により駅舎が全焼してしまいます
こうして2代目呉駅は竣工から23年で建て替えを余儀なくされたという事です
ちなみに2代目呉駅を実際に見た事ある方は現在80歳以上になってるものと思われます
終戦からわずか9カ月という1946年(昭和21年)5月には
異例の速さで3代目呉駅が竣工されました
僕は1963年(昭和38年)の生まれですが
僕が物心ついた時の呉駅はこの3代目呉駅でした
僕は4歳から広の長浜で育ち、高校も中畑にある呉工でしたから
あまり呉駅を利用した方ではありませんが懐かしさは感じます
こうして改めて当時の呉駅を見ると一般車が駅舎の出入り口まで入っていたんですね~
しかし、よく見ると3代目呉駅より、2代目呉駅の方がモダンに見えませんか?
その理由は3代目呉駅は戦災後に急ピッチで建てられたために
造りが質素になったという事らしいです
この写真は1970年(昭和45年)の呉駅ですが
「祝 呉線電化完成」の看板が確認出来ます
この時代に「汽車」から「電車」に変わったんですね~
奥に見える建物は、現、阪急ホテルの場所と思われます
そう言えば何となく見覚えがありますね~
僕も記憶が曖昧ですが確かこの建物の中に今は駅舎横にある
喫茶店「レスト」があったんじゃなかったかな~?
確か「ひまわり」って美容室もあったような気がします
1980年(昭和55年)頃の呉駅と当時の愛車ホンダCB400FOUR
BEETのアルフィンカバーとFRPフェンダーを塗装に出してた時で
ブサイクな格好になってますが(笑)前の写真の建物の前辺りですね
黄色い公衆電話の電話ボックスが当時の時代性を偲ばせます
この奥に広場があって噴水があった事は覚えてますね
当時この辺りは呉のナンパスポットでいつも族車が並んでた
N君のクラウンが四六時中停まってた事が印象に残ってます 笑!
現在の4代目呉駅が竣工したのが1981年(昭和56年)の事でした
僕の同級生が高校3年生の時で僕は美容学校に行ってた時だった
あれからもう36年も経つんですね~ ジャンジャン!!