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叔父の遺品

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先日諸事情があって40年前から疎遠になってた従兄に会った
彼は僕の母の兄の息子で僕より2歳年上で現在呉の隣町に住んでいる

彼の父である叔父は三男であるのだが長男、次男が早世したために
母の里である小川家の跡を取り一応本家筋という事になったので
祖父母が亡くなった折にウチの2軒隣りだった祖父母の家から仏壇を持ち帰った

その時から僕は祖父母や伯父たちが祀られている仏壇に手を合わせる事も出来なかった
僕は思う所があって従兄の連絡先を調べ彼にコンタクトを取った

彼は快く僕の申し出に答えてくれ僕たちは40年という歳月の溝を埋めた
彼の父である叔父さんが10年前に亡くなっていた事には驚いたが
そんな身内の不幸すら僕もウチの母も知らなかった、察して下さい 笑!

約40年ぶりに会った従兄はなぜか僕の近況をよく知っていて驚いた
ん?と思ったが彼は僕のブログをいつも読んでくれていたらしいのだ


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僕はブログは自分自身の日記や記録帳という側面も持っていると思ってる事もあり
母との出来事や、祖父母との思い出話などを記する事もある

過去、祖父や長男の叔父の軍事履歴書に纏わる記事も書いたが
彼はそれらの記事を読んで感極まり涙を流したと言った

ウチの母は彼にとって叔母であり、祖父母は僕同様の続柄だ
確かに僕達は祖父母の2軒隣に住んでいたから孫の中でも僕たち兄妹が
祖父母と共に過ごした時間が一番長いというのは確かなのだが・・・

彼は僕が書いた祖父母の記事を読んで僕に感謝したいと言ってくれた
本来なら本家筋でもあり孫の中でも最年長の自分がやるべき事を
僕がやってくれたと感じてくれたらしいのだ

そんな彼が40年前に持ち帰った仏壇に仕舞われていた
中華民国における支那事変で戦病死した伯父の遺品を持って来てくれた

僕は戦病死した小川常男伯父さんに会った事はないし写真を見るのも
記憶にある限りでは祖父母の家にあった遺影の写真1枚だけだった

遺品の中にあった常男叔父さんの古写真は坊主頭で詰襟を着ていた
大正7年生まれの常男叔父さんは昭和8年3月に廣村尋常高等小学校を卒業し
翌昭和9年に16歳で廣村青年訓練所南支所に入所している

写真はたぶんその頃の物だろうと思う


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遺品の中に彼が駐在した志那から祖父に宛てた手紙があった


先日は七月十七日に手紙を拝啓致しました 又、慰問袋を受取りました
七月十四日に先付の手紙によれば皆様には変わりなきこと何よりの事と思います

吉弘(三男)悦代(次女)様が元気な手紙を下さり嬉しく拝見致しました
僕も元気で居ると伝えて下さい

今頃は志那の地にても蝉が鳴くのがやかましいくらい居ます
石井様戦死された事は何と書いていいか 僕には御気の毒でなりません

十日前頃雨が降り今は池のようになって居ます
志那の子供達は海水(海水浴)をして居ます 仲なかよくをよぎ(泳ぎ)ますよ
僕も厚さ(暑さ)になれて参りました ご安心下さい

万年筆を送り「インキ」と電気小さいのと電知(電池?)を送り下さる用う
手ぬぐい三枚、ふろしき大きなのを一枚 こーと(コート?)を送りくださる用う
何といっても便利が悪いので○○出きません

房子(長女)守(次男)にも元気で働く用伝えて下さい
今頃は木工炭は操集は有りませんか

○山のうちうの人なので工廠を希望して居られるのですか
素人では有りません 二年程の経験者です

又くわしい事は出します用 知らせ下さる用う 
今頃は藤沢からは手紙はきませんか 話はどんなになりましたか くわしく書き下さる用う

先日一色様から手紙を頂きました 宜しく伝えて下さる用に

元気に暮らされる用に

七月一八日  小川常男  小川金男様


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大正7年生まれの常男さんは昭和13年に陸軍に配置され支那事変に参戦し
昭和15年9月16日に中華民国の戦場で病に倒れ戦病死した

享年22歳の若さだった、ちなみにこの時ウチの母は若干5歳という事だ

上記の手紙をいつ書いたのかは不明ですが戦地において二十歳前後の若者が
親兄弟を気遣う気持ちに僕は手紙を解読しながら涙が出そうになりました

上記は恩賞書?だと思いますが下の物は叔父が戦死した日付になっている
これも国の為、陛下への忠義の為なのか・・・ 言葉が見つかりません・・・


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青年訓練手帳と広島護国神社崇敬会終身正会員プレート

青年訓練手帳には軍人になるための勅語、心得などがびっしりと書き記してある


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常男さんが属してた大日本帝国陸軍野砲兵第5連隊の
大本営は広島城の敷地内に設置されてました


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常男叔父さんの遺品の私物の手帳には色んな事が記してあります

上官の人達の名前なんでしょうか?


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船内の感想

何千何萬と言ふ人々に送られて船に乗って出船した
その時は全部が酒で心持をまぎらして居る

船内のせまい部屋の船内 肉体共つかれた
だが小生 上船して初めの日に日直上等兵をやったので心がつかれた

船内の兵士等を見ると皆戦地に行く気持はなくて
まるで旅行にでも行くように思って居るような気持がして居る

四月二五日


初めて志那の土地を見た 志那人も始めてだ
上陸したのは青島だ

街は美しいが行軍して街の内を見れば・・・


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常男叔父さんの手帳の中に「坊子」と書かれたスタンプが確認出来る
坊子とはどこなのか調べてみると中国山東省にある地名だった

一つのスタンプは昭和14年4月28日の刻印が確認できる
これはたぶん常男叔父さん自ら押したスタンプだと思う

もう一つのスタンプは昭和28年4月28日の刻印が確認できる
この時既に伯父は戦病死して14年の歳月が流れている

僕の想像ではこれは祖父母が常男叔父さんが戦病死した
中国山東省を尋ねたんだと思う・・・

いつの日か靖国神社に参拝しなければと改めて思った
これらの遺品は母に手渡そうと思うが母が亡くなった後には
どこか然るべき施設に寄付したいと思う

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75年前の哀しい思い出  https://blogs.yahoo.co.jp/prains237/14524990.html


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