日米が戦ったあの太平洋戦争の中で最も重要かつ
激戦だった戦場のひとつに、硫黄島の戦いがある
第二次大戦を通して米軍側の勲章のほとんどがこの戦闘の功労者に
与えられたことからもわかるとおり硫黄島は両国にとって重要な戦略拠点だった
日本にとっての硫黄島は本土爆撃に向かう
米軍側長距離爆撃機に対する警戒基地の役割を果たしていた
硫黄島のおかげで日本軍は、本土で十分な迎撃・避難体制をとる事が出来ていたのだ
ところが硫黄島が米軍に占領されてからは、硫黄島が米軍の重要な補給
更には爆撃機を護衛する戦闘機の基地となり日本本土はみるみる焼け野原と化していった
この硫黄島の戦いを二部作として描いたのが今や米国を代表する
映画監督になった元ハリウッドスターだった、クリント・イーストウッド
第1弾は米軍側からの視点で描かれた「父親たちの星条旗」
そして第2弾として日本側からの視点で描かれたのが「硫黄島からの手紙」だった
と、いう事で先日TUTAYA宅配レンタルで両作品を借りて続けざまに観た
戦争映画は、どうしても製作国側からの視点だけで描きがちだがイーストウッド監督は
硫黄島の激戦を日米双方からの視点で描き素晴らしい作品を世に送り出したと思った
つまり両方を観て初めて,あの戦史に残る硫黄島の戦いを本当に理解する事が出来たのだ
(以下の画像は硫黄島からの手紙より)
硫黄島は日米双方にとって戦局を左右する重要な島だった
アメリカ側は当初この戦いを,わずか5日間で終わらせる予定だったが
日本軍は大本営からの援軍皆無の孤立した状態で,何と30日間以上も持ち堪えた
硫黄島の戦いは太平洋戦争後期の上陸戦で唯一と言っていいほど
米軍の損害が日本軍を上回った壮絶な戦いだったのだ
戦況が悪化の一途をたどる1944年6月
アメリカ留学の経験を持ち、西洋の軍事力も知り尽くしている陸軍中将の
栗林忠道(渡辺謙)が本土防衛の最後の砦ともいうべき硫黄島へ着任
指揮官に着任した彼は、長年の場当たり的な作戦を変更し、西郷(二宮和也)ら
部下に対する理不尽な体罰も戒めるなど作戦の近代化に着手する
この作品は司令官栗林忠道(ケン・ワタナベ)ではなく
一兵卒である西郷(二宮和也)が地獄を目の当たりにするという視点で描かれている
硫黄島で米軍を翻弄した栗林中将の人となりを中心に据えながらも
無意味な精神主義を嫌い全ての兵士の命を尊重し現実的な作戦を展開した
司令官をことさらに英雄視はしていない
若き兵士にとって彼は尊敬すべき上官である以上に
戦場で出会った数少ない真っ当な人間なのだ
「我々が一日でも長く守りつづければ、それだけ本土の国民が長く生きられるのだ」
と栗林が叫ぶシーンは涙なしには見られない
絶望の中でも生への執着を失わない西郷の視座から
日本軍は理不尽な戦いを体感させられる
米国人の素晴らしさも知る鷹揚なバロン西(伊原剛志)
勇ましい軍国主義者にして実は愚かな伊藤中尉(中村獅童)
死の恐怖に怯え敵前逃亡を目論む清水(加瀬亮)
日本人俳優のキャラを的確に踏まえた軍人像が映し出され
彼らの衝突から戦争の虚しさを味わう事になる
やがて日本軍は敗戦濃厚になり日本兵は地下壕で
「玉砕」という美名にくるまれた自殺の強要を虐げられる
投降して捕虜となった日本兵を、虫けらのように射殺する米兵さえもさりげなく描いてしまう
イーストウッドの透徹した眼差しは、観る者を自ずと厭戦・非戦へと向かわせる
更に本作では戦争というものが不可避的に抱える矛盾というものも
明確なテーマのひとつとして含ませてある
同時にイーストウッドが過剰に、戦争の悲惨さを訴えるつもりがないという事もわかる
そんなあたりまえの事は、ことさら強調するまでもないというわけだと思う
このあたりに、彼のまっとうな戦争観が垣間見える
(以下の画像は父親たちの星条旗より)
第2次世界大戦の重大な転機となった硫黄島の戦いで米軍兵士たちは
その勝利のシンボルとして摺鉢山に星条旗を掲げる
しかし、この光景は長引く戦争に疲れたアメリカ国民の士気を高めるために利用され
旗を掲げる6人の兵士らはたちまち英雄に祭り上げられる
しかし,日本軍の抵抗に1カ月あまりも苦しめられたアメリカ軍の兵士たちもまた
この戦いでそれぞれ心に深い傷を負ったという事が「父親たちの星条旗」を観るとわかる
どこから弾が飛んでくるかわからない恐怖の中を上陸し次々と倒れるアメリカの兵士たち
物語は,その中で必死に衛生兵として自分の務めを果たす
ドグ(ライアン・フィリップ)を中心に描かれている
日本軍に捕まって坑道内で惨殺された親友、味方の誤射によって命を落とす上官・・・
太平洋戦争末期、日本軍の予想以上の抵抗により米国民には厭戦感が広がりつつあった
しかし硫黄島の最高地、擂鉢山の頂上に星条旗をつきたてる
米兵たちを写した一枚の写真は一気に戦勝気分を盛り上げるものだった
米国政府は写真に写った兵士のうち生き残っている3名を帰国させ彼らに
戦費調達のための戦時国債販促キャンペーンの広告塔の役目を負わす事にした
ところがこの美談には裏がある
実はこの写真に写った星条旗は1本目ではなかったのだ
つまり硫黄島の難所、擂鉢山を死ぬ思いで実際に攻略して最初の旗を立てたメンバーと
帰国して英雄扱いされた3名とは微妙に異なっていたのだ
これは、一種のやらせのようなものだった
6人のうち3人はすでに戦死し,戦いのトラウマも癒えないうちに国民の前でポーズを取り
戦時国債キャンペーンのツアーに駆りだされるドグたちの内心の苦悩
たまたまその場にいて旗を立てたにすぎない自分たちだけが
英雄扱いされることに対する自責の念
戦争をビジネスととらえている事業家たち
国家のために,ドグたちは,従軍した者にしかわからない
トラウマを押し隠して笑顔でツアーをやりぬく
日本軍もアメリカ軍も想像を絶する苦戦を強いられた硫黄島の戦い
2部作を合わせて観てみると日本軍とアメリカ軍の
精神論の違いが浮き彫りにされていて興味深い
戦場に赴く前のアメリカ軍の青年兵士たちは無邪気にトランプカードに興じたり
仲間と冗談を言い合ったり,恋人を偲ぶ音楽に耳を傾けたり・・・
彼らも,そしてもちろん彼らの上官たちも生きて祖国に帰る事を望み
そしてその望みが当然のものと考えている
一方,日本軍の方は,初めから生きて本土に帰れるとは思っていない
「生きて祖国の土を踏む事はないと覚悟せよ」
という栗林の言葉の重み
日本軍に漂うく悲壮感と緊迫感は,米軍のそれとはまるっきり質が違う
手榴弾による自決シーンの壮絶さ
日本兵士たちの顔に浮かぶのは恐怖と哀しみ以外の何物でもなかったが
それでも彼らは上官の命令に従い日ごろ教えられた通りの手順で次々と自決していく
個人の命や家族よりも、お国のため,という思想が優先された
この時代の先人たちの強さと潔さを哀しんでよいのか,誇ってよいのかわからない・・・
こんな思想が間違っていることだけは確かで
何処へ向けたらよいのかわからない怒りを強烈に感じた
援軍も弾薬も送らず,「潔く散れ」と指示してきた大本営
「悠久の大義に行くべし」とは綺麗な言葉だが結局は彼らに「死ね」と命じたのと同じである
戦争とは,どの国でも,そしていつの時代でも国家が兵士たちに
多大な犠牲を強いるものということを改めて感じた2作品
どちらも戦争で傷つく名もない兵士たちのそれぞれの哀しみが描かれていて
イーストウッドの反戦への思いが伝わってきた
死んでゆく兵士たちには,どんな大義名分もヒロイズムもなく
理不尽な痛みと悲しみがあるだけなのだ
その痛みは,戦勝国の兵士とて変わらない
同じ監督が敵対する二つの国の視点から作品を撮るという離れ業
アメリカ人でありながら製作に当たって完全に中立の視点を貫き通した
イーストウッドは凄いと思いましたね ジャンジャン!!
「硫黄島からの手紙」予告編
「父親たちの星条旗」予告編