昨日の記事の続きです
僕が小学生時代を過ごした昭和45年から51年は時代性もあって
遊びと言えば、アナログな遊びばかりだった
昨日取り上げた「巻鳥&紙風船」「アメリカンクラッカー」「スリンキー」「でんぐり」という
オモチャもそうですが、放課後や休みには学校の校庭で野球やソフトボールをよくやった
長浜は田舎の少人数の学校だったから学年は関係なく
写真のように学年ごちゃ混ぜでプレーしていた
この写真、僕は青い中日ドラゴンズの帽子を被ってるから5年生の時だと思う
僕が小学5年生だった昭和49年は中日がセ・リーグ優勝しましたからね 笑!
小学校の最高学年の6年生になった昭和50年は空前の赤ヘルブームに沸いた
この年からチームカラーを赤に変えたカープは前年までとはうって変わって優勝街道を驀進した
この年、僕を含め学校中の男子はカープの赤い帽子を被るようになる
帽子の後ろ側に、好きな選手の背番号を貼り付けるのも流行った
僕は「1」番を付けてるようだが、当時のカープの背番号1は
トレードでカープに入団したセカンドを守ってた大下剛さんだった
そしてこの年、カープは球団創設25年で悲願の初優勝を達成したのである
と、そんな昭和50年のある日、学校帰りに立ち寄った駄菓子屋で
僕たち男子は、あるポスターに魅了される
ハイテクニックでチャレンジしよう 「ヨーヨー コンテスト」
そう!この年はコカ・コーラが仕掛けたラッセル・ヨーヨーが大ブームになっていたのだ
テレビでもこんなCMをやっていた(このCMは1979年)
当時の小学生は、こんな子供騙しに踊らされて(笑)挙ってヨーヨーを買い求めた
コカ・コーラヨーヨーにはランクがあった
一番安いのが「ビギナー」で、次が「プロフェッショナル」
発売当初は↑のクリスタルボディーの「スーパーヨーヨー」が最高級品だった
僕は右側のコカ・コーラデザインのスーパーヨーヨーを持っていた
ヨーヨーのデザインは、コカ・コーラ、スプライト、ファンタ、ミスターピブなどがあった
てか、ミスターピブって覚えてますか?
ちょっと薬っぽい味がしましたが、いつの間にかなくなってましたね~
ヨーヨーはコカ・コーラの商品を扱っているパン屋さんや駄菓子屋さんで購入できた
ビンのコカ・コーラ商品を買ってキャップの裏蓋を確か10個集めると
ベルトに取り付けるヨーヨーホルダーがもらえた
裏蓋に王冠マークの当たりが出たら「ギャラクシーヨーヨー」がもらえた
これを持ってるとヒーローだったが、僕は手に入れる事は出来なかった
ヨーヨーを買うと先ずは基本になる空回しさせての「逆回転」を練習する
それが出来るようになったら「輪投げ」や「犬の散歩」を練習する
上級者になると「ブランコ」や、「犬に噛まれた」「世界一周」という技が出来た
これらが出来ると仲間たちのヒーローだった 笑!
ヨーヨーコンテスト当日
コカ・コーラの量販店に赤いブレザーを着た外人のチャンピオンがやって来た
長浜では木村のパン屋さんにやって来た
当時何人のチャンピオンがいたのか知らないが
彼らは「輪投げ」なんて永遠にやるし、全ての技のクオリティーも凄かった
そのチャンピオンに審査されてヨーヨーコンテストが開催されるのだが
あまり上手くなかった僕は箸にも棒にも掛からなかった 笑!
コンテストの内容や商品は、その時その時でマチマチだったようだが
基本的な事が出来たらキーホルダーがもらえた
成績優秀の人はチャンピオンホルダーケースがもらえた
優勝するとコカ・コーラのチャンピオンアポロキャップがもらえた
と、いう事だが、こんな子供騙しに夢中になれたのが昭和の子供だった
そう言えば、ウチの息子たちが小学生の頃、ラッセルヨーヨーを進化させたような
「ハイパーヨーヨー」ってのが流行った事がありますな~
昨今の子供達は将棋を覚えるのも、麻雀を覚えるのもデジタルゲームで覚えるんだそうだ
デジタルゲームなら一人でもできるし、場所も選ばず、後片付けもしなくていい
しかし個人的には、子供時代には友達と同じ時間を共有して
リアルで遊ぶ事が大事な事なんじゃないかと思う
その体験が思い出にもなるし、色んな事を学ぶ事にも繋がるんだと思う
子供には子供の世界があるし、社会の縮図って意味合いもある
そう考えると、子供は子供騙しに合う事も必要な事なのかも知れませんな~ 笑!
ジャンジャン!!
PRAINS美容室
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