ティーンエイジの頃擦り切れるほど聴いたロックンロールバンド「CAROL」と「COOLS」
その二つのバンド名を掛け合わせて僕が作った「CAROOLS」という造語
そんなCAROL&COOLSの70年代の楽曲にスポットを当てて
当時の世相やグループ・メンバーのエピソード、僕の思い出を
書き記そうというシリーズ「CAROOLS 70’s」
今回はクールスを脱退してソロデビューを果たした
舘ひろしさんの実質ソロ・ファーストアルバムになる
「Love Letter From The U・S・A・」を掘り下げてみよう
尚、話の流れを把握するためにも前回のクールス編を
ご覧いただいた方が分かり易いと思いますよ 笑!
CAROOLS70’ Hello!Good-bye
Love Letter From The U・S・A・ / 舘ひろしとセクシーダイナマイツ
1977 キングレコード
<SIED・A>
1・朝まで踊ろう 2・思い出のデイト 3・さよならも言わずに
4・ブロンド娘に気をつけろ 5・バッド・ガール 6・マンハッタン・ブルース
<SIDE・B>
1・ミスター・センチメンタル・ロンリーボーイ 2・とばせUSA 3・渚のエンジェル
4・エブリー・ナイト 5・シェイク 6・グッド・ナイト・ソフトリー
前回のCOOLS編で掘り下げた1977年4月21日にリリースされた
舘さん在籍のクールスのラストアルバムとなった
「Hello!Good-bye」は2枚組のアルバムだった
アルバム2枚目のB面には舘さんのソロ曲が6曲挿入されているが
アルバムとほぼ同時期にリリースされたのが舘さんのソロ・デビューシングルとなる
「ロックン・ロール・ライダー」という曲だった
こちらのシングルはあまりヒットしなかったように記憶しているのだが個人的には
クールスが所属していたキングレコードから発売されているのが興味深い
キャロル解散後、キャロルの実質的リーダーだった永ちゃんは
所属していたフィリップスレコードと袂を分けてCBSソニーに移籍した
それに対しキャロル解散の原因を作ったジョニーはフィリップスに残った
しかしクールスは脱退した舘さんの方がキングレコードに残り
リーダー兼メインボーカルを失ったクールスがトリオレコードに移籍している
舘さんから脱退の意志を告げられたクールスのメンバーはクールス初期の頃の
マネージメントを担当していた上条英男さんに今後の相談をしています
そしてトリオレコードへの移籍を薦められクールスはトリオに移籍します
その後のクールスの事はクールス編の「クールス ロカビリークラブ」をご覧ください
CAROOLS70’ クールス ロカビリークラブ
移籍と言う結果を見ると永ちゃんはキャロル解散前頃にはフィリップスと契約面などで
揉めてたそうですが、キングレコードと舘さんは蜜月だった事が想像できますね~
てか、「ある筋」の人から聞いた話ではキングと舘さんはだいぶ前から
こうなる事を想定して絵を描いていたという説がある
もしそうだとしたら、ハローグッバイというクールス名義のアルバムで
舘さんのソロ曲が6曲もレコーディングされている事もつじつまが合う
まあこの辺りの事はデリケートな部分ですから僕には真実は分かりませんがね~
朝まで踊ろう / 舘ひろしとセクシーダイナマイツ 1977
作詞・たちひろし 作曲・長戸大幸
真っ赤なドレスと 真赤な靴で Dance all night
シャレたカクテル グラス片手に Party night
腰をふりながら まるでちょうちょのように
踊れBaby 今夜君は俺のものさ
踊り上手な あの娘横目に Dance all night
トッポイアイツも やけにやさしい Party night
リズムに合わせて まわれちょうちょのように
踊れBaby 今夜君は俺のものさ
きどりなんかはなしだぜ 今すぐ Baby I want you
夜が明けるまで 踊り続けろ Dance all night
明日は明日さ 今夜 Rock’n roll party night
濡れた唇が なぜかせつなくさせる
そうさBaby 今夜君は俺のものさ
キャロルを解散してソロになった永ちゃんはアメリカに渡りソロデビューアルバム
「アイ・ラブ・ユーOK」をレコーディングしたが、舘さんも永ちゃんを真似たのか
クールス脱退後すぐにアメリカに渡りソロデビューアルバム
「Love Letter From The U・S・A・」のレコーディングを行っている
その理由は後述しますが、アルバムの1曲目に挿入されている「朝まで踊ろう」は
シングルカットされ大ヒットして、舘さんの代表曲の一つになった
僕もこの曲は人生で100回くらいカラオケで歌っているだろう 笑!
朝まで踊ろうはロックと言っても個人的にはムード演歌ロックのニュアンスが強いと思うが
舘さんのソロアルバムはクールス時代の荒々しさが完全に消えていたと感じた
この時、舘さんは27歳、そろそろ大人と言う事を意識したのかもね~
「Love Letter From The U・S・A・」に挿入されている曲の
詩はすべて舘さんが作詞している
その時の事を舘さんは当時のインタビューで
「クールスにいて辛い思いをした事があって、それをある意味説明したかった
オートバイ乗りって、みんなロマンチストだし、そういうのを書きたかった」
って、語っています
舘さんは「Love Letter From The U・S・A・」のアルバムの
ライナーに当時こんな手記を掲載されています
このAlbumが出来上がって全12曲を聴いた時、ただうつむいて何も言えなかった
何故なら、このAlbumには多すぎる程の思い出が詰まっているから・・・
1977年6月27日 羽田を発ってから今日まで、オレの人生の中で
これ程いろんな意味で感じたことがあったろうか
New YorKの あの四角い空、のしかかってくるようなビル
ブルックリンのHell's An-gelsとの出会い
ガキの頃、映画でしか見た事のなかった奴等のpartyに招待された時の
不安と期待が入りまざったあの何とも言えない気持ち
何10台と並べられたチョッパー
そのまわりで開かれたpartyで、突然お前どこから来たと聞かれ
オレは日本から来たんだと答えると、そうか、じゃあと言って
一番デッカイ ソーセージを選んで作ってくれた
あの唐辛子のいっぱい入ったホットドッグの味・・・
この時の事を舘さんは2008年にピッピさんとの雑誌の対談で回想されてる
あの時N・Yでライブみてたらヘルス・エンジェルスが3人いたの
で、俺、昼間に彼らと写真撮ってるから
「おー!お前は友達だからこっちに来い」って言われて・・・
とにかく凄いの、左腕の肘あたりからフックのついた義手の奴
片目がデス・ヘッドの義眼の奴・・・
でも、ヘルス・エンジェルスのバイクの乗り方はカッコイイよ
ドーンと乗る、絶対横見ないの、まっすぐ、バイバイも言わない
彼らのバイク触ると本当に怒るんだよね
でも俺はトッポイからトコトコ歩いて行って並んでるバイクの中で一番綺麗なバイクに
「ワ~ いいな~!」って跨ったら「お前、これはボスのバイクだ、普通だったら殺されるぞ!」
って、でも俺は関係ないから「悪い、悪い」って 笑!
当日はアメリカの独立記念日だから「お前パーティーに来い」って言うの彼らが
で、行ったら路上でホットドック焼いて貧しい子供たちにあげたりしてた
ヘルス・エンジェルスから「お前、この写真は絶対に使うな」って言われて
「分かった」って言いながらも「自分のアルバムを君らとの写真で飾りたい」って・・・
現代のようにSNSもなく、海外の情報が少なかった1970年代中頃において
ヘルス・エンジェルスと舘さんが一緒に写ってる写真はインパクトがあった
一般庶民がハーレーに乗るなんて事は現実味の薄い時代でしたしね
クールス脱退後、ソロアーティストとしてスタートを切った時
なぜか舘ひろしの顔はやさしさに溢れていた
不良と言われ、バイクチームを統率してたボスのイメージからは
想像できない穏やかな男の顔である
ロックスターを目指したわけでもなく、音楽に浸かりきった生活を送っていたわけでもない男が
人生の岐路に立った時に考え抜いた自己表現がこのアルバムだったのかも知れない
レコードアーティストとしての実績はクールス時代に経験してはいたが
音楽で自分自身を表現する事など考える余裕はなかった
クールスの存在をアピールする事と、メンバーを統率していく事に大半のエネルギーを
使っていたひろしにとって、音楽性やロックスピリッツ等は初めての体験だった
舘ひろしのデビューアルバムの制作にはセクシーダイナマイツプロジェクトが結成された
1977年6月27日、ひろしは写真家の「長浜治」とニューヨークに渡った
クールス時代に憧れたヘルス・エンジェルスとの対面のためである
かつて長浜氏はヘルス・エンジェルスの写真撮影に成功し雑誌に紹介したキャリアを持つ
カメラマンで今回のひろしのプロジェクトの提案に危険を承知のうえで協力してくれた
ブルックリンでのヘルスエンジェルスとの対面はひろしにとって大きな収穫だった
本物との出会いこそが日本のロックに必要な事だと感じたからだ
アメリカへの挑戦こそがひろしが見つけた新たな目標だった
1ケ月のニューヨーク生活を体験した後、レコーディングのために
テネシー州ナッシュビルに移動した・・・
数え切れない程の思い出や、多くの友人との出会いが詰まったアルバム
「ラブ・レター・フローム・ザ・U・S・A・」の完成がひろしを生き返らせた
以上の分は2008年に発売された舘さんの3枚組CDの
ライナーに書かれてる佐々木寛さんの解説文からの抜粋です
思い出のデイト / 舘ひろしとセクシーダイナマイツ 1977
作詞・たちひろし 作曲・長戸大幸
初めてのデイト うつむくだけの うぶなお前に いかれた俺さ
あの時からは 大人になったね ポニーテールも 今はおろして
Happy Birthday Baby 昨日と違って 今夜はやけに色っぽいぜ
覚えているかい あの頃を スリムなジーンが似合ってた
kissの味さえも わからずに
Happy Birthday Baby Candle lightに ゆれるお前のまなざしさえも
Happy Birthday Baby 昨日と違って 今夜はやけに色っぽいぜ
1977年という年にソロデビューを果たした舘さんはこの年に役者として
「新宿酔いどれ番地 人斬り鉄」 「新女囚さそり特殊房X」
「地獄の天使・紅い爆音」という3本の映画にも出演されている
「・・・人斬り」では菅原文太さんと共演して緊張したそうで
「・・・さそり・・・」ではクールで人を殺すのも平気な看守の役を演じた
「・・・紅い爆音」は麻薬患者のヤクザ役で「映画ファンのための映画まつり」で
助演男優賞を受賞している
役者ってのは、これからもやっていきたいけどヤクザや不良っぽい役は
確かに俺に向いてるけどあまりやりたくないって言われてる
もっと粋でスマートな映画だったらやりたいね、とも言われてる
その気持ちが、その後の「西部警察」や「あぶない刑事」に繋がったんだろうな~ 笑!
ミスター・センチメンタル・ロンリーボーイ / 舘ひろしとセクシーダイナマイツ
1978
作詞・作曲 たちひろし
Mr. Sentimental Lonely Boy いつも 一人なのかい Lonely Boy
うつむく横顔 淋しそうな奴さ むなしい 想い出は捨てろよ Lonely Boy
Mr. Sentimental Lonely Boy そうさ お前のことさ Lonely Boy
全てを賭けて 命を燃やした いつかの あの恋は忘れろ Lonely Boy
いくら気取ってみせたって 遠くを見つめる瞳の奥の
見えない涙は かくせはしないぜ
Mr. Sentimental Lonely Boy Mr. Sentimental Lonely Boy
笑って見せる お前のゆがんだ 口もとが たまらなく淋しそうだぜ
いくら気取ってみせたって 遠くを見つめる瞳の奥の
見えない涙は かくせはしないぜ
Mr. Sentimental Lonely Boy Mr. Sentimental Lonely Boy
笑って見せる お前のゆがんだ 口もとが たまらなく淋しそうだぜ
Mr. Sentimental Lonely Boy ・・・・
1978年に「Love Letter From The U・S・A・」からシングルカットされた
サードシングル「ミスター・センチメンタル・ロンリーボーイ」
てか、個人的にこの「Love Letter From The U・S・A・」は中学2年の時に
リリースされたアルバムだが、今でも聞くと当時の事が思い出されますね~
ボタンダウンを学校に着て行った事で不良と言われた僕はそれならばと
転げ落ちるように本当の不良になるために邁進した 笑!
初めてアイパーをかけてオヤジのスチールのヘアードライヤーで初めて髪を上げ
MG-5のポマードを髪に塗った時、ポマードの香りに何だかちょっと大人になった気がした
タバコを覚え、家を夜中に抜け出して仲間とバイクを盗んで走り回った
中学3年生になった時、転校してきた、ちょっと不良っぽい可愛い娘だった
Uちゃんを始めてデイトに誘った時、僕の頭の中で「思い出のデイト」が流れてた
カッコつけて喫茶店に入ってタバコをふかしクリームソーダを飲んだっけ
人生初のパチンコも一緒に行ったし、お揃いのTシャツも買ったな~
その後何もないままフラれた僕は「ミスター・センチメンタル・ロンリーボーイ」だったが
その思いは高校生になって逆に彼女から告白されて成熟した 笑!
そんな青い時代を思い出させる「Love Letter From The U・S・A・」
今でも車の中でよく聴いてます! 笑! ジャンジャン!!