彗星のように現れ前人未到のデビューから29連勝という新記録を達成した
若干14歳の中学生である将棋の藤井四段がマスコミにも連日取り上げられ
どちらかと言うと地味な将棋界が世間から注目された事は記憶に新しい
まあ連勝が29で途切れてからは過熱報道も収まったようだが
昨今スポーツ界を始め各ジャンルで10代の躍進が目に付く
将棋と言う娯楽は平安時代くらいからあるらしいが信憑性のある
連勝記録というのは、いつ頃から始まった物なのだろうか?
昭和の時代に子供時代を過ごした世代の男で将棋を指した事のない人っていないと思うが
僕の経験上の私感では将棋が強くなるには研究と経験が最も必要な事だと思う
研究と経験を積むには多くの時間が必要だ
この世に生まれて、まだ14年しか生きていない藤井君は確かに素質はあるのだろうが
百戦錬磨のプロ棋士と比べると研究も、経験も時間的には乏しいと思うのだが・・・
王将 / 村田英雄 1961
作詞・西條八十 作曲・船村徹
吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え
うまれ浪花の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地
うまれ浪花の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地
あの手この手の 思案を胸に やぶれ長屋で 今年も暮れた
愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい
愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい
明日は東京に 出て行くからは なにがなんでも 勝たねばならぬ
空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が また燃える
空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が また燃える
村田英雄さんの「王将」がリリースされた1961年に僕はまだ生まれていなかったが
「♪吹けば飛ぶよな 将棋の駒に 賭けた命を 笑わば笑え・・・」という歌詞は
インパクトもあり子供時代に聞いた演歌の中でも耳に残るフレーズとしてよく覚えている
現代のように沢山の娯楽がなかった高度成長期に入った1960年代の日本において
将棋は当時の男たちの娯楽の王道の一つとして楽しまれていたんだと思う
僕が物心ついた時には我が家には親父所有の立派な4本の足が付いた
分厚い将棋盤と、彫り込み文字の将棋の駒があった
ハッキリした記憶はないのだが、おそらく僕が将棋のルールや基礎を
習ったのは親父からだったんじゃないかと思う
1970年代に入り小学生になると友達同士で将棋で遊ぶようになった
最初は「はさみ将棋」や「将棋崩し」をやってたような記憶があるが
小学校も高学年になれば「本将棋」をやるようになる
やはり将棋が強くなる奴は将棋入門などの類の本を読むなど
将棋にハマって研究する奴だった
強くなると面白くなるのだろう、ますます研究に精を出して上達する
そういう奴が将棋リーダーになり、彼から届く年賀状には
詰将棋の図が描かれてた事を今でもよく覚えている 笑!
おゆき / 内藤国雄 1976
作詞・関根浩子 作曲・弦哲也
持って生まれた 運命まで 変えることなど 出来ないと
肩に置いた手 ふりきるように 俺の背中に まわって泣いた
あれは… おゆきという女
肩に置いた手 ふりきるように 俺の背中に まわって泣いた
あれは… おゆきという女
少しおくれて 歩く癖 それを叱って 抱きよせた
つゞく坂道 陽の射す場所に 連れて行きたい このまゝそっと
あれは… おゆきという女
つゞく坂道 陽の射す場所に 連れて行きたい このまゝそっと
あれは… おゆきという女
湯気に浮かんだ 茶柱で 明日を占う 細い指
どこか不幸がとりつきやすい そんな気がする ほくろがひとつ
あれは… おゆきという女
どこか不幸がとりつきやすい そんな気がする ほくろがひとつ
あれは… おゆきという女
その頃プロ棋士の内藤国雄という人が「おゆき」という曲をリリースしヒットする
当時僕は演歌には殆ど興味はなかったが、棋士が歌手デビューという事で話題になり
歌番組に出る内藤さんをよく目にした
てか、「おゆき」がリリースされた1979年以前は棋士なんて誰も知らなかったし
その後も棋士と言えば1987年に17歳で優勝してマスコミに取り上げられた
羽生善治さんしか知りませんでした 笑!
と、いう事だったが↑この加藤一二三さんが現役最年長の棋士だった事を知ったのも
藤井君の登場で、マスコミに取り上げられたからだった
てか、彼がヒフミンと呼ばれている事もだが名前すら知らなかった
時々バラエティー番組のガヤで見て顔は見た事あったが歯はないし
どこかから連れて来た「キモカワイイ」系の素人の老人かと思ってた 笑!
余談だが僕が今の家に住み始めた約28年前にウチの隣に
「囲碁・将棋倶楽部」という娯楽教室があった
そこは朝から晩までやっていて暇な老人や身元も怪しいような人たちが出入りしていた
僕は近所という事もあり店主と知り合い倶楽部に出入りするようになる
そこではフリーで麻雀もやっていたので僕は麻雀をする事が多かったが
時々誘われて将棋を打つ事もあった
ヒフミンみたいな人が、いっぱいいましたぞ 笑!
と、いう事で長い脱線になってしまったが(笑)ここからが冒頭の続きです
「百戦錬磨のプロ棋士と比べると研究も、経験も時間的には乏しいと思うのだが・・・」
ここで僕が思うのは、藤井四段の登場はまさに時代の申し子だという事だ
本来将棋と言う物は究極のアナログ的な伝統文化であり名人の弟子になったり
将棋教室の先生に習いながら稽古を積んで上達していく最もたる物だと思う
しかし現代はコンピューターがどんどん進化して上達するプロセスが変化した
現代の若者にとっての師匠はコンピューターなのだ
生身の人間には感情があり心理戦が勝負に大きく影響を及ぼす
しかしコンピューターには感情がなく機械的に最善の手を弾き出し即座に繰り出すのだ
しかも人間の頭脳では考えもつかない手を繰り出すコンピューター
そんなコンピューターを子供時代から相手にしてる現代の若者は
これまでの常識や定石に捉われない手を繰り出すのではなかろうか?
人間が、人間の生活を、より便利にするために開発されたコンピューターだが
もしかしたら今後人工知能を持つロボットに人間が操られる時代が来るかもしれない
実際に今でも車の自動運転の研究が進み、車の運転を人工知能が行うようになりつつある
人間がまだ主導権を持ってる内はいいが、逆転する時代が来るんじゃなかろうか?
人工知能を持つロボットにプログラムさえ入力すれば
人間より遙かに早く正確に業務をこなす事が出来る
その内社会はロボットだらけになり
ロボットが主導権を持つ時代が来るかもしれない
ロボットは部品交換さえすれば永遠に生き続けるし
その部品交換もロボットが行うようになる
世界がロボットだらけになりロボットのオリンピックがロボットたちによって
開催されるようになり100mを5秒で走るロボットが出て来るかも知れない
ロボットのプロ野球が出来て300kmの剛速球を投げるロボットが出現するかもしれない
学校の先生は全員ロボットで人間はロボットから勉強を教わるようになる
そんな時代が来たらいったい人間はどうなるのだ?
優秀な人工知能を持つロボットより知能の低い人間はロボットに使われるようになるのか?
全ての事をコンピューター任せにした人間は自分の脳で考える事をやめ
そのツケで本来人間が持つ色んな機能は退化してしまてるかも知れない
もしかしたら現在の犬や猫のように人間がロボットのペットになってしまうのか?
そう考えれば、あまりコンピューターを進化させ続けるのもどうかと思うぞ 笑!
ジャンジャン!!