カフェなんてお洒落な言葉もなく、ファミレスやファーストフードの店もなかった昭和の時代
そんな昭和の時代の人々の憩いの場、集いの場が喫茶店だった
喫茶店とは読んで字の如く本来は「喫煙しながらお茶を飲む」という店の事だ
僕は中学2年生の頃から喫茶店に出入りするようになったが
当時学生服でタバコを吸ってても咎める店なんてなかった
昭和の喫茶店全盛期には全国に星の数ほどの喫茶店があった
僕の私感ではインベーダーゲームが大流行した1979年前後が
最大の繁盛期だったんじゃなかろうか?
それは呉でも例外じゃなく当時沢山の喫茶店があった
あれから約40年近い月日が流れ喫茶店は衰退し時代は変わり
お洒落なカフェやファミレス、ファーストフード店が主流になり
店内は禁煙、もしくは分煙というのが当たり前になった
しかし中には極少数ではあるが喫茶店として昭和の風情を残し営業してる店もある
僕が呉でパッと思い浮かべると「レスト」や「飛鳥」「サントス」辺りがそうだ
広なら間違いなく「赤煉瓦」がそうだろう
昭和が終わり、平成も終焉を迎えようとしてる現在の呉において
繁栄期に栄華を誇った喫茶店の跡形すら残ってないのが現状だが
極僅か当時を偲ばせる残骸が残ってる店がある
中通り4丁目にあった「ロコ」の入り口付近はまさに当時物だ
ロコにはAランチやBランチがあった事を覚えている
亡くなったアキースメンバーのマルが最初のライスを味噌汁だけで食べて
お代わりしたライスでおかずを食べてたのを今でも覚えている 笑!
ロコと同じ並びにある「のぞみ」も当時の姿が残っている
確か「のぞみ」は呉駅前にもあったし、広の国道185号沿いにもあったと記憶している
当時ここの、のぞみで同級生がバイトしてて何度か彼の愛車だった
スズキGT380を借りに来た事を覚えている
ちなみにインベーダーゲームが大流行した僕が高校1年の時の1979年当時
喫茶店でバイトするとだいたいどこの店も時給350円だった
マイルドセブンが150円だった当時、焼き飯やスパゲッティナポリタン
カレーなどの軽食も呉の喫茶店では350円平均だった
中通り3丁目の「ぼんぼん」は、あまり思い出がないが、ぼんぼんの姉妹店だった
和庄にあった「ぼん」は17歳で亡くなった僕の幼馴染の親友がバイトしてたからよく覚えている
しかし、ぼんの方は建物すら残っていない
そう言えば、ぼんには僕より一学年下のK子って女の子がいたが
強烈なキャラだった彼女は今どこで何をやってるんだろう? 笑!
ぼんぼんの横には「メキシコ」って喫茶店があったが今では看板しか残っていない
当時メキシコにはヤクザ業界の人が多く集まってるとの噂があった
僕が高校生の頃、これまた亡くなった呉工業の同級生の親友だった
シンヤの当時の彼女がメキシコでバイトしてたからたまに行ってた事を覚えてる
中通り2丁目にあった「バンビ」には僕が独立開業した昭和63年から
店から近かった事もあり閉業するまで週に1度は必ず行ってた
カツランチと、オムレツがお気に入りメニューだった
マスターとはたまに銭湯で会ったりもしてたが
閉業後少しした頃、お亡くなりになった
広交差点にあった「えみ」は長浜から近い事もあり中学生の頃からよく出入りした
高校進学の前頃に在日朝鮮人の友人二人と進路の話をした事をよく覚えている
結局彼らの内一人は朝鮮高校に入学したが、もう一人は日本の高校に行った
てか、えみってつい数年前まで営業してたと思ったのだが
どうやら閉業してしまったようだ
今日掲載した昭和の残骸とも言える喫茶店も
いずれは跡形もなくなってしまうのだろう
そうなる事は青春時代の灯りが消えるようで淋しいとも思うが
これも時代の流れだから仕方ない
てか、呉在住の皆さん、この他にも呉の「昭和の残骸」をご存じの方いますかね~?
ジャンジャン!!