先日TUTAYA宅配レンタルDVDで興味深い作品を立て続けに2本観ました
その2本のDVDは冒頭の写真の二人の方が、それぞれの主役でした
この写真を見て、写真のお二人の名前がわかった人は
熱心な「仁義なき戦い」ファンの方だと拝察します 笑!
映画「仁義なき戦い」初作で描かれてる第一次呉抗争と言われる時代の
主役を担ったお二人が義兄弟であった事はよく知られています
菅原文太さんが演じた広能昌三のモデルになった美能幸三氏(左)は
ご存じのように、仁義なき戦いの原作者でもあります
その美能氏の兄貴分だった、悪魔のキューピーと異名をとった大西政寛氏(右)は
仁義なき戦いでは、梅宮辰夫さんが演じられた若杉寛でした
「実録 鯨道12 広島烈侠伝 大西政寛」
大西さんは呉市広小坪の裕福な商店の息子として生まれたが父はモルヒネ中毒で早逝
母は家を追い出され、祖母のもとで甘やかされて育てられ必然的に悪ガンボとして育つ
絵を描く事が得意だった大西さんは独特の色彩感覚で彩られた
極彩色の絵を描き毎年のように絵画コンクールで入賞・優勝を続けたが
ついに読み書きを覚えず高等小学校へ進学
そこで先生から「お前はペンキ屋にでもなるんじゃろうが、ペンキ屋は字も書かにゃならん」と
冷やかされた大西さんは激怒して先生を文鎮で殴打し学校を退学となる
16歳の時、広の食堂でビールを飲んでいたのを海軍軍人に咎められた大西さんは
刺身包丁で軍人の腹を刺し、そのうえで片耳を斬り落としてしまう
この事件で大西さんの名声は高まり、着物の似合う彼が
呉の街中を闊歩してもだれも歯向かわなかった
その後、大西さんは阿賀にあった土岡組に入ったが戦争に徴収された
中国大陸の戦線で大西さんは進んで捕虜の首を何人も斬った話が残っている
この経験が大西さんの残虐性を増長させたという事らしい
終戦後に、その件を問うた人に
「首を斬るもんは、斬られるもんより根性がいるけんのう・・・」
と、ニヤッと笑いながら漏らしたそうです
土岡組に復帰した大西さんは盆祭りが行われていた広公園で
土岡組と揉めてた桑原組に与してた後の小原組初代組長になる小原馨さんと
小原さんの兄弟分だった磯本隆行さんの左腕を日本刀で斬り落としてしまいます
この件で大西さんは「悪魔のキューピー」と呼ばれるようになりました
「実録 鯨道13 広島烈侠伝 美能幸三」
広島県呉市に生まれた美能さんの父親は退役軍人で海軍工場に勤め
母親は小学校の教員だったそうだ
中学2年で退学し毎日ぶらぶらとしていたが大日本帝国海軍に志願し
特攻隊として南方戦線に送られたが終戦により復員
呉に帰郷後は遊び人に身を投じていたが呉駅前で山村組と揉めていた
旅のヤクザを助っ人として射殺し服役
この時、山村組の山村辰夫氏に保釈金を積んでもらい保釈され
美能さんは山村組の若衆になった
旅のヤクザを射殺して当時呉市吉浦にあった吉浦拘置所に服役した美能さんは
呉市会議員の傷害致死事件に連座して服役していた大西さんと獄中で運命の出会いをします
意気投合したお二人は拘置所内で兄弟盃を交わしました
盃といっても拘置所の中だから実際に盃や酒があるわけじゃなく
二人が腕を切ってお互いの血を吸い合うことで義兄弟の縁を結んだんだそうです
「♪親の血を引く兄弟よりも かたいちぎりの義兄弟
こんな小さな盃だけど 男いのちをかけてのむ」
と、北島三郎さんの「兄弟仁義」の歌詞にあるように、ヤクザにとっての盃は重い
二人が義兄弟になったこの時、大西さん24歳、美能さんは21歳だった
大西さんは拘置所を出るために自ら拘置所内で腹を切り重傷を負い病院に担ぎ込まれます
しかし娑婆に出てからの大西さんの生きざまには、まさに死に急いでいるような趣きがありました
福山競馬で八百長のいざこざから騎手を半殺しにして指名手配
妻と歩いているところを冷やかした、大西と名乗った男を銃撃して射殺・・・
指名手配になった大西さんだが、呉警察署に
「大西政寛が、呉市東鹿田町の山村組関係者・岩城義一宅に潜んでおり
明日早朝には大学生に変装して関西方面に高飛びする手筈になっている」
という密告が寄せられた
呉警察署の警官隊40人が、雨の中岩城義一宅を包囲し家宅捜索
屋内を探したが発見出来ず、炬燵の布団をめくったところ中に潜んでいた
大西さんは拳銃を乱射し数田理喜夫警部補と鞆井清刑事を射殺した
自らは窓から逃れようとした大西さんは川相刑事に射殺された
死に急いだような生き方だった呉の伝説のヤクザ・大西政寛さんは
27年と言う短い人生に幕を下ろし今に語り継がれている
義理の兄貴である大西さんの死を、美能さんは刑務所の中で耳にしてる
美能さんは土岡組親分を銃撃し未遂に終わったが自首して昭和34年まで服役していたのだ
大西さんの居場所を密告したのはもっぱら山村辰雄氏だというのが定説になっていて
大西さんの実母が山村さんを恐喝し莫大な金を手にしたという話もあるそうな
昭和34年に出所した美能さんは山村組幹部として力をつけるが
広島抗争では山村組を破門され敵陣営の打越側につく
抗争が激化している昭和38年に抗争を沈下させるために主要人物だった
美能さんは別件逮捕され仮釈放を取り消され網走刑務所で服役
この間に「仁義なき戦い」の原作となった手記を執筆する
昭和45年に出所し、美能組を若頭の薮内さんに任せ引退し堅気となる
その後事業を起こし大成功し実業家に転身
平成22年に、その波乱に満ちた人生にピリオドを打たれた
享年83歳だった
と、まあこれらの事が、この2本のDVDにほぼ実名で描かれているのだ
これらの作品は後にシャブで逮捕されるシャネルズの田代まさしさんが(笑)
監督を務めているが仁義なき戦いのクオリティーに比べると恐ろしく低い 笑!
劇中には時々呉の映像も使われているのだが時代設定もメチャクチャだし
「孤狼の血」の撮影と比べると天と地ほどの差があるとも思った
まあこの辺りが本格的な映画とⅤシネマとの歴然とした差なんでしょうね~
しかし、大西さんと、美能さんの義兄弟、お二人とも呉を代表する伝説のヤクザですが
生きた時間は雲泥の差がある、この差はいったい何だったんだろうか?
生き運と言ってしまえばそうなんでしょうが生きる才能と言うか
死なない才能に決定的な差があったのかも知れない
あの時代は若衆は元より組長や幹部クラスも多くの人が亡くなってる
破滅型の大西さんに比べ、美能さんは意外と慎重派だったのかも知れない
と、いう事ですが、ご興味がある方は2本セットでご覧になった方が
判り易いと思いますよ! ジャンジャン!!