COOLS
EVERYTHING WE SAID WAS COOL
1974年12月13日にバイクチームとしてリーダー舘ひろし氏を中心に結成されたクールス
翌年1975年4月13日にキャロルのラストライブにおいてのバックアップを務め
同年シングル「紫のハイウェイ」、アルバム「黒のロックンロール クールスの世界」を同時リリースし
ロックンロールバンドとしてメジャーデビューを飾る
彼らのトレードマークはリーゼントに革ジャンパー、そして大型バイク
それ故、世間は彼達の事を暴走族と呼ぶ者もいる
果たして彼らはそういった世間の評価をいったいどう思っていたんだろう・・・
先日記事にしてご紹介した、1976年6・3発行の風俗雑誌「平凡パンチ」
先日の記事では本誌に掲載されている芸能人の記事を中心にお届けしたが
実は本当に記事にしたかったのは芸能人の事ではなく
↑の表紙に赤丸をつけた「これが世間でいう”暴走族”の実態だ!」って特集記事だったんですよ 笑!
実際に、この平凡パンチを店に持って来てくれた友人は僕がCOOLSが好きだという事で
当時COOLSのリーダーだった「舘ひろし」さんが暴走族について語ってる記事が掲載されているから
是非読んでみて下さいと言う事で持って来てくれたんですよね
まあ彼曰く、内容は胡散臭いし、赤面するような発言をされているという事でしたが
実際に読んでみると本当にそう思った 笑!
ま、これも時代性だし、39年前の舘さんの立場でCOOLSというグループ名を売るために
虚勢を張ったり脚色した部分は大いにあるでしょうがね~
と、言う事ですが さっそくその本文をご紹介しましょうかね! 笑!
これが本当の暴走族の実態だ!
「オレたちも、いいたいことを いわせてもらうぜ!」
問題特集 今年も暴走族の季節がやってきた
神戸では、車の焼き打ち、投石、死者まで出す大きな社会問題を引き起こした
いったい、彼ら”暴走族”は何を考え、その実態はどういうものなのだろうか
関東「クールス」、関西「デロデロ仮面団」のリーダーが、いま明かした大胆告白・・・
って事で見出しを書き出してみたが、これだけを読んでも笑える! 笑!
最初に断っておきますが、僕は何度も言ってるように、この時1950年生まれの舘さんは26歳ですぞ!
26歳にもなって暴走族と言われ取材に応じ語っている事自体が赤面する 笑!
先日クールスの自伝書「ハングリーゴット」を出版された現COOLSリーダーである佐藤秀光さんも
ロックンロールバンドCOOLSの音楽の屋台骨であるジェームスさんもインタビューにおいて
当時自分達が暴走族と言われる事自体恥ずかしかったと発言されている
更には「関西」の「デロデロ仮面団」っていったい何? 爆!
中国雑技団の親戚? レインボーマンの敵だった「死ね死ね団」の仲間?
本当にそんなグループいたのかね? 聞いた事ないぞ! 笑!
関西ではクールス同様に伝説になるほど有名なチームだったのか?
東京・原宿のある喫茶店 (たぶんセントラルアパート1Fのレオンだと思われる 笑)
180センチの長身を、すり切れたブルージーンで固めたその姿はひときわ異彩を放っていた
例によって長髪はポマードでリーゼントスタイルに塗り固めてある
その頭の上には”COOLS"と金文字の刺繍が浮かぶハデな帽子がのっかってる・・・・
舘広さん、いわゆる”暴走族”といわれる「クールス」のアタマである
年齢は20歳前後らしい、しかし彼はなぜか年齢については口をつぐむ・・・
「オレたちは暴走族じゃねェんだよ・・・・いわば同好会みたいなもんだよ・・・
アタマがしっかりしてりゃあ問題はないのよ
どこのグループだってアタマといやあヤクザっぽいヤツが多いよな
でもさァ そいつらの方がへんなチンピラよりよっぽどしっかりしてるんだぜ・・・」
苦しい・・・苦しいねぇ~ 年齢は言えないよね~ ! 笑!
暴走族じゃなく同好会・・・
この辺りは本音だろうね~
いかに言っても26歳の大人が10代の高校生あたりと同列に語られちゃあ敵わないよね 笑!
アタマがしっかりしてりゃあ・・・
この翌年、舘さんはグループ内で孤立してCOOLSを脱退してる
舘さん、しっかりしてなかったのかな~? 笑!
「オレたちがグループ作ったのは今から2年前だよ
そんときゃあ13人だった、いまは20人いるけどよ
平均年齢は20歳といったところかな
オレ? ボンボンよ、おやじが医者だからね、だけど途中からグレたってオマケつきだな
こづかいには不自由しなかったさ、高校時代にゃおやじから単車買ってもらったくらいだからさ
単車? カワサキのRSだよ、50万円もしちゃったよ・・・」
COOLSを作った時、舘さんは24歳、医者の息子のボンボン、これはホント
しかし名古屋の高校に通ってた舘さんはラグビー部のキャプテンを務めるほどスポーツに打ち込んでたはず
たぶん千葉の大学に入学してグレたんじゃないかな~ 笑!
「だけど最近のポリ公にはアタマにきちゃうね
単車飛ばしてると、すぐ白バイが追っかけてきやがる
そりゃ金のあるヤツはいいよ、サーキットでぶっ飛ばせばいいんだからさ~
でもゼニのないヤツはそうはいかねェよ、だいたいね、警察はおかしいんだよ
20歳前後の子供にさ、平気で単車売ってる企業がいけねェ~のよ・・・」
う~ん 26歳にして素晴らしい屁理屈! 爆!
まさに僕が中高生の時に思ってた理屈と同じだ
僕が高校1年の時、学校に免許&バイクがバレて先生に没収すると言われて
「日本の法律じゃ16んなったら免許取れるゆーて決まっとるんじゃ
バイクもワシがバイトして買うたんじゃけん 何でオマエらにとやかく言われんにゃならんのな、オゥ~!」
って先生に啖呵切って僕は免許証もバイクも学校に提出しなかった、そーそーそー!
ま、そんな感じだったから、その後の学校生活はドナドナでしたがね 笑!
更には、当時COOLS一の暴れん坊だったと言われる玉川さんは
「最近はリーダーの年齢が若すぎるんだよ
このあいだ、あるグループの支部長に歳聞いたら16歳だっていうからね
あまり若すぎると仲間をうまくまとめれれねェだろ
町ん中をワーワー乗り回してパニック起こす暇があったら自然と闘えっていうんだよ
ずっと遠くの海辺へ出かけるとかさ~・・・」
まあこの辺りが僕が先日記事に書いた「ツーリング型」と「パフォーマンス型」の
暴走族スタイルの時代の境目だったのかもしれませんね
確かにCOOLSはメンバーの年齢からしてパフォーマンス型じゃなかったと思う
そりゃ町中で乗る事もあっただろうが意味もなく「ブン ブン ブブブン・・・」
ってやる事はなかっただろう 笑!
が、秀光さんの著書「ハングリーゴット」には表参道でバイクのシートに立って
アクロバッティングな事をする人はいたそうだが・・・ 笑!
更には当時すでに俳優として映画にも出演されていた岩城滉一さんは
「正直いって、誰が死のうとオレには関係がねェな・・・
それよりもヨォ、暴走族ってのは実力の世界だぜ
スピードにしてもさ、運転にしても、喧嘩にしてもだよ
実力のないヤツはこの世界では生き残れねェんだよ
まあ、こんな事思ってるかぎりオレも畳の上じゃ死ねそうもねェな
だからそのうち、靴の底に畳でも敷いとこかと思ったりしてね・・・」
う~ん COOLな発言ですな~! 笑!
でもやっぱりバイクで仲間が死ぬというのはツラいですよ
僕は幼馴染の大親友を17歳の時バイク事故で亡くしてるし
バイクで事故を起して障害者になったツレもいる
まあ自己責任と言えばそれまでだが
「若気の至り」と言う言葉だけで片づけるのはあまりにも切ない・・・
で、最後は関西のデロデロ仮面団
リーダーらしき人は大学3年生って言ってるから20~21歳と言う事だ
「高2の時、友人が単車買うたの見て、急に自分も乗り回してみたくなったわけや
乗ったとたん、もう病みつきになってしもた
メンバーは15人いうとこやけど単車は平均一人3台持ってた思いますよ
維持費だけで1ヵ月に5000円もかかりよる・・・」
高校生にしてバイク3台持ちってのは金持ち集団か?
逆にバイク3台持ってて維持費が月に5000円ってのは超節約上手だったんでしょうな~ 笑!
「郊外に出て、じゃまのないところをぶっ飛ばすより
ゴミゴミした街ん中を走った方が気持ちようてね
もちろん怒るやつもいるけど、その方がなんや快感を感じるんやなあ
この感じは実際にやってみんことにはわからんかもしれへんな・・・」
要はこの特集記事は関東の暴走族はツーリング型で
逆に関西の暴走族はパフォーマンス型と定義したいという事なのだろう
それにしても1976年当時はずいぶん大人になっても暴走族やってたんですな~
自分の世代と重ね合わせても、ほんの3年ほどしか変わらないが
僕の周りは高校卒業する頃には暴走族なんて卒業してましたがね~
これも時代性なのか? 土地柄だったのか? 笑! ジャンジャン!!