1981年(昭和56年)4月、この年僕は当時阿賀にあった
呉高等職業訓練校美容科に入学した
この時点で僕は17歳であったが既に無免許で日産ローレルSGXセダンを
購入しており、時々学校への通学の足としても使っていた
結局僕は若気の至りという事で無免許で事故を起こし2年の免許取り消しとなる
その後学校へはバス通学を余儀なくされたが時々下校時に帰る方向が同じだった
理容科の先輩にスカイライン ジャパンで家まで送ってもらったりしていた
当時の学校は土曜日は半ドンと言われ授業は昼までだった
そんな土曜日の帰宅途中によく先輩とランチを食べに行った
色んな店に行ったが中でも記憶に残ってる思い出深い店が
当時広郵便局のハス向かいにあった「アイ」という喫茶店だった
てか、冒頭の写真はPCで拾った1981年当時の
喫茶アイの写真だが写真に写ってる後姿の男二人
まさかと思うが背格好や体つきが僕と先輩に似てるような気がしてならない
左の白いシャツが先輩、右の白いパンツが僕
アイの駐車場に停めてある真ん中の車のホイールもメッシュ系だし
先輩の当時の愛車、黒いスカイライン ジャパンに見えない事もない
アイの店内は至ってフツーな昭和の喫茶店という趣だった
では、なぜ僕が喫茶「アイ」の事が深く記憶に残っているのか?
それは、それまで一度も食べた事なかった
いや、知らなかったメニューを知ったからだった
そのメニューが「ドライカレー」だったのだ
単なるカレーというメニューはナポリタンスパゲティーや
焼き飯と並ぶ昭和の喫茶店の3大軽食メニューだった
しかし僕はそれまで行った喫茶店でドライカレーというメニューを見た事なかった
僕は意外にも家で母が作る家庭のカレーというものが、あまり好きではなかった
社会人になってカレー専門店のスパイシーなカレーを食べた時に僕の概念は変わった
僕がカレーに求めていたのは、このスパイシーさだったのだと気付いたのだ
そんな概念を持っていた僕だがアイのドライカレーにハマったのだ
アイのドライカレーは今思えばカレーチャーハンという感じだった
家で母が作るベチャベチャの焼き飯(笑)ではなく、ライスはパラパラで
カレー粉もスパイシーな感じだったのが好みに合ったのだ
ドライカレーによく似たテキサスカレーというメニューがあった事は覚えているのだが
ドライカレーとテキサスカレーの違いが何だったのかは覚えていない (笑)
ドライカレーの上に目玉焼きが乘ってただけだったような気もするが
ドライカレーにカレーのルーがかけてあったのか?
我が家では数カ月に一度の割合でドライカレーが出て来る
しかし我が家のドライカレーはカレーチャーハンタイプではなく
写真のような挽肉を使ったタイプのドライカレーだ
これに、干しブドウが入っているのが特徴なのかも知れない
大明神様が作るドライカレーは僕も好きだし、子供たち3人も大好きだが
作るのが手間がかかるのか数カ月に1度しか出て来ない
ちなみに、所謂フツーの家庭カレーは作る手間が楽なのか頻繁に出て来るが
トラウマになってるのか僕は今でもあまり好きではない
更にカレーはライスか、ナンで食べるが翌日は決まって焼きカレーが出て来る(笑)
美容学校を卒業してアイに行く事もなくなったが今現在もちろん店はない
いつ頃、なぜ、閉店したのかは知る由もないが僕にとっては
昭和の思い出深い喫茶店の一つだったという事は間違いない
ジャンジャン!!
PRAINS美容室