ゴルフⅠカブリオと別れて感傷に浸ってる暇もなく新しい伴侶が嫁いで参りました
今度の伴侶は1973年(昭和48年)生まれの「いすゞ117クーペXC」
117クーペのコンセプト、デザイン、パッケージ、スタイリングは当時イタリアで
最も有名な自動車ボディーデザインスタジオだったカロッツェリア・ギアに委託され
当時のチーフデザイナーであったジョルジェット・ジウジアーロが担当した事は有名です
1968年(昭和43年)に発売されて以来、長期にわたり生産され
長くいすゞのフラッグシップを務めた117クーペ
初期型は少量限定ハンドメイド生産車であったことから一般的に「ハンドメイド」と
通称されていますが117クーペのウンチクは今後追々と掘り下げようと思います
さて、ウチに嫁いできたモデルは1973年に量産化対応の改設計で生産され始めた
中期型と言われる丸目4灯モデルの最初期生産モデル
僕と嫁いできたクーペちゃんには運命の赤い糸で結ばれていたという節がある
この、117クーペの前オーナーは呉市在住の80代のお婆ちゃんFさん
彼女は呉の高校を卒業し昭和20年代に上京し長く東京で
飲食業のご商売をされていたが約17年前に呉に帰って来られた
その彼女が30代の時に東京のいすゞで新車でご購入したのが、このクーペだ
それから約45年、彼女の生活にはずっと、このクーペがあった
彼女はウチの古くからのお客さんでご来店するといつもクーペへの愛着を強く語った
しかし、そんな彼女もご高齢者となった10年程前から潮時を囁き始める
クーペを降りる時が来たら是非僕に引き継いでほしい・・・
そんな事をご来店する度に僕に言うのだがなかなか実際には決断に及べなかった
ゴルフⅠカブリオを購入する時、あれでもと思い僕は彼女に打診した
「もう暫く手元に置いておきたい・・・」
そういう事で僕は縁があったゴルフⅠカブリオの購入に至った
その後Fさんは、ご来店する度に
「トンネルに入ると視界がまったく利かない」
「車庫入れする時に助手席側の感覚が鈍くなってぶつけた」
など、潮時を過ぎた発言が多くなった
更には足が弱り歩く事も満足にままならなくなられた
昨今では高齢者の交通事故が社会問題にもなっている
僕的にも危惧はしたが他人である僕には強制は出来ない
「何か大事になる前に決断された方がいいと思いますけどね~」
そう言う事が精一杯だった
確か今年の9月頃だったと思うがご来店された折に
「今度は本当にクーペを降りる決断した、是非引き継いでもらえないか」
と、言われたのだが僕は毎度の事か・・・って半ば半信半疑に思ってた
すると暫くして電話があり「どうする?」と決断を迫られた
「少し考えさせてください」と、電話を切り僕は熟考した
当時ゴルフはエアコン修理のために部品の探索に入っていた
僕の今の生活状況では車の2台持ちは絶対に無理だ
手塩にかけて4年乗ったゴルフにも愛着はある
しかし45年間手塩にかけたクーペを僕に引き継いでほしいという気持ちは
ありがたい事だし、旧車好きな僕にはFさんの気持ちも痛いほどわかる
確かに117クーペは魅力的な車ではある事は確かだ
そこで僕は取り敢えずゴルフに見合い募集をかけてみた
そこから話はトントン拍子に進み絶妙なタイミングで急展開をみせる
ゴルフの新オーナーが決まり名義変更したタイミングでFさんに電話する
「ちょっと前に、いつも整備に出してる、いすゞの人が業者を連れて来て
クーペを売ってくれないかと話があった、先生から電話がないから心が揺らいだ」
「僕も二頭は追えないから話を同時進行せずに一つずつ万全を期していたんです」
と、いう事で無事クーペちゃんはウチに嫁いできた
旧車との出会いは縁と言われる
実質話が動き始めた9月からショップ売買ではなく個人売買において
たったの3か月でゴルフの嫁ぎ先が決まりクーペが嫁いで来るという早さは
異例とも言えるし何かしらの縁があったとしか思えない
クーペちゃんはずっと実働しているので今でも走る事は何ら問題はない
しかし今後、長く安全に維持するには手を入れなければならない箇所は沢山ある
そりゃそうだ、いくらいすゞで整備し続けてきたと言ってもクーペは45歳
先ずは安全に走る為の整備や部品交換を要する事になる
まあボチボチとやって行こうと思いますので乞うご期待!
ジャンジャン!!
PRAINS美容室