記事の前後の関係でちょっと前の話になりますが、11月2日の夜に
故郷である長浜の入江神社祭のよごろに大明神様と愛娘を伴い顔出して来ました
僕は仕事の関係もあり本祭りが行われる文化の日である3日には
帰省できないんですが毎年前日夜の、よごろには行くようにしています
祭りの時はささやかながら寄付をするのですが寄付をすると
毎回オリジナルの日本手ぬぐいをいただけます
今年のデザインは入江神社本殿と各地区の提灯の絵柄
昔から各地区にはイメージカラーがあるのですが
明神出身の僕が祭りの時に着るのはピンク色のハッピでしたね
今では住所表記が変わって正式な住所に地区名が入らなくなりましたが
僕が子供の頃は「明神」「胡子」「沼田」「東」という地区名で表示されてた
僕は今年の西日本豪雨の被害で長浜の実家が全壊しましたが
今の住所で言うと「呉市広長浜2丁目15-11」でした
しかし子供の頃は「呉市広町長浜明神8班」が住所表記だった
今はどうなのか知りませんが、当時は各地区毎に行事があったし
明神地区には子供会があって明神の子供だけのリクレーションもあった
上野さんっていう、オジサンが世話役だったがまだ生きてらっしゃるんだろうか?
入江神社祭、西脇神社祭などの祭り行事も各地区に
それぞれ分かれて太鼓や笛で競争のように賑やかした
各地区の6年生男子二人の代表の提灯を先頭に4年生以上の男子が旗持ちをして
笛に合わせて太鼓を打ち鳴らし長浜の町を一周する
お宮から出て行進する順序は毎年持ち回りだった
長浜小学校の運動会では各地区の「部落対抗リレー」なる競技もあったが
いつの頃からか「部落」という言葉が使われなくなり「地区対抗リレー」になった
長浜小学校の学区には、もう一つ津久茂って地区があるのですが
なぜか津久茂には太鼓がなく、祭りの時も蚊帳の外って感があった
子供の頃聞いた話では大昔は津久茂にも太鼓があったが
火事で焼けて以来復活しなかったって事だった
ちなみに津久茂のイメージカラーは黄色だったような気がする
そう言えば津久茂は当時の住所表記で「長浜」って入っていなかったような気がする
「呉市広町津久茂○○」じゃなかったっけ?
あまりハッキリ覚えてないので確証はないが想像するに
津久茂だけ特殊な歴史事情があったのかも知れない
と、いう事で30分ほど滞在した僕たちは帰りに広の
山ちゃんうどんで晩御飯を食べて帰りました
ジャンジャン!!
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