2015年10月、僕たちが主催する呉オールドモータースミーティングの5周年と
クールスデビュー40周年の合同ライブパーティーのリハーサル前に
僕とフランクさんはマッハ談議に花が咲いた
カワサキ SS750マッハⅢ H2はマカオ、クールス初期時代の
フランクさんの愛車であり現在の僕の愛車でもある
昨年5月に広島でフランクさんにお会いした時もマッハ談議になり
次に広島で会う時はマッハで参戦しますと約束を交わしていた
フランクさんがマッハを新車で購入したのは高校生だった1973年(昭和48年)
岩城さんや舘さんが中心のクールスの前身になるバイクチーム、マカオの時代だ
この年、H2はモデルチェンジが行われH2はH2Aになり
タンクカラーはキャンディーパープルになっていた
そして1974年12月13日金曜日、クールスが結成された
「クールスのカラーはブラック!バイクを黒く塗れ、男の根性を見せろ」
先輩の岩城さんや舘さんにそう迫られてフランクさんは渋々
自らの手で缶スプレーを使って外装部品を全て黒に塗ったそうだ
夜の暗がりで塗装したため朝見るとタンクはムラムラになってたそうだ(笑)
1975年3月、高校を卒業したフランクさんは腎臓病で入院していた
そこへキャロルの解散コンサートの一連の打ち合わせに来いと病院に連絡が入る
マッハは病院の駐輪場に停めていたそうで、あまり訳が分からないまま
フランクさんはパジャマの上にコートを羽織ってマッハに乗って
キャロルをはじめ関係者が集まってる喫茶店に行ったそうだ
フランクさんのパジャマ姿を見た永ちゃんが
「YOU、何でそんな格好してるの?」
って不思議そうに訊いて来たそうだ(笑)
あの頃フランクさんは高校を出たばかりのガキンチョで何もわからず
ほとんど霧に中にいたような感じだったそうだ
クールスのアルバム「ハローグッバイ」に掲載されている舘さんが跨るマッハは
元はキャンディーゴールドのH2だそうだが、この車両はヒデミツさんが
どこかから引っ張って来た車両をメンバーがカスタムしたんだそうだ
あの時代オイルは赤オイルが主流だった事もあったのか
この車両は最終的にエンジンが焼き付いたんだそうだ
フランクさんは今でも、ある意味マッハ750は世界最速のバイクだと思ってるそうで
独特のエキゾーストノードは脳裏に焼き付いてるそうだ
そんな沢山の思い出があるマッハをフランクさんは懐かしそうに眺めながら
当時のエピソードを沢山聞かせてくれ、僕にとっては贅沢な経験になりました
と、いう事で続きはまた明日!
ジャンジャン!!
PRAINS美容室