先日テレビの深夜放送で興味深い番組をやっていた
「オイオイ、お前バラエティー番組は観んのんじゃないんか~」
って、言われそうだが(笑)たまたまテレビをつけたらやってたという事です
初めて観た番組だったがフジテレビの「石橋貴明のたいむとんねる」という番組で
「1960年代生まれが死ぬほど欲しかったアレ」という企画内容だった
僕も1963年(昭和38年)生まれだから気になったという事です
番組のMCを務める石橋貴明さんは昭和37年生まれで僕の一つ上
ゲストの高橋克実さんは、タカさんと同級生って事だった
まずは、同世代の方へ「子どもの頃に欲しかったもの」街頭インタビュー
コメントの中には靴と一体型になった「ローラースケート」や「野球盤」
「インベーダーゲーム」「ウォークマン」など懐かしいアイテムが登場し
その度に「ああ~!」と共感するタカさんと高橋さん
個人的には全部わかるが、ローラースケートは欲しいって思った事はない
野球盤はウチにはなかったが、友人が持っててよくプレーした
インベーダーゲームは高校1年の時に大流行したがインベーダーゲームは
喫茶店でプレーする物であり、欲しいアイテムではなかった
ちなみにウォークマンは持っていた
タカさんと高橋さんが注目したのは、1967年に発売した50ccバイク「ホンダ モンキー」
それをきっかけに高橋さんの学生時代の“ちょっとやんちゃ”な話に・・・
高橋さん「わりとツウの人が欲しがる、僕はCB400Fが欲しかったんですよね」
タカさん「走り屋だったの?」
高橋さん「っていうか、まあ、ちょっと高校時代は靴(のかかと)を踏んだり」
タカさん「(笑)だせぇ~!」
高橋さん「校門のところで暴走族の名前の入ったステッカーを売ってるわけですよ
タカさん「走り屋だったの?」
高橋さん「っていうか、まあ、ちょっと高校時代は靴(のかかと)を踏んだり」
タカさん「(笑)だせぇ~!」
高橋さん「校門のところで暴走族の名前の入ったステッカーを売ってるわけですよ
こっちもビビってるところを見せられないから(眉間にシワを寄せて)『いくらですか?』って」
タカさん「で(笑)? いくらなんですか?」
高橋さん「いや『いくら持ってんだ?』って(逆に聞かれて)、交渉ですよね」
タカさん「交渉なの~(笑)?」
タカさん「で(笑)? いくらなんですか?」
高橋さん「いや『いくら持ってんだ?』って(逆に聞かれて)、交渉ですよね」
タカさん「交渉なの~(笑)?」
僕は現在1969年式のモンキーA型を所有してるが当時は欲しいアイテムでもなかった
僕の高校時代の愛車だったCB400FOURが欲しかったって言う高橋さんには激しく同意 (笑)
てか、あの時代、暴走族のステッカーは東京のメジャーな族や広島・呉のローカルな物まで
出回ってはいたが、個人的には金払って買った事は一度もない
続いて紹介された「JUN」のTシャツでも高橋さんのほのぼのエピソードを交えて盛り上がります
タカさん「当時『ソウル・トレイン』って番組やってて、スポンサーが『JUN』だった
でも、克実さんが着てたのはどうせニセモノでしょう?」
高橋さん「何言ってるの! 新潟で一番人気があった『ヤンガーさくらい』で買ったんだから」 (笑)
高橋さん「何言ってるの! 新潟で一番人気があった『ヤンガーさくらい』で買ったんだから」 (笑)
確かに僕が高1の時に、呉でもJUNのTシャツは一部の人に大流行した
呉では確か中通3丁目にあった「カツウラ」がJUN・ROPE・DOMONを扱ってて
僕も写真の黒地のJUNのTシャツを愛用してた
ここからはタカさん、高橋さんそれぞれの「欲しかったものベスト3」を紹介しました
タカさんの「死ぬほど欲しかったアレ」の第3位は「フラッシャー自転車」
タカさんの「死ぬほど欲しかったアレ」の第3位は「フラッシャー自転車」
連続するランプが流れるように点滅するウィンカーが人気で、変速ギア
ディスクブレーキなど当時では画期的な機能が搭載されていました
スタジオに登場した実物に乗りながら「やっぱいいな~」とタカさん
高橋さんは当時愛用していたそうです
このフラッシャー自転車は僕も欲しかったが買ってもらえなかった
この自転車は僕が小6だった1975年(昭和50年)に日本テレビ系で放送された
「少年探偵団BD7」の劇中でBDサイクルとしてメンバーが使用してた
フラッシャー自転車を乗ってた友人もいたが、代わりに僕は同じく少年探偵団で
使用されてた「ローラースルーGO GO 7」を買ってもらった
続いて克実さんの「死ぬほど欲しかったアレ」の第3位は「マジソンバッグ」
アメリカのプロレスの殿堂マディソン・スクエア・ガーデンの名前が記されたバッグで
1970年代の学生を中心に1000万個を売り上げる大ヒット
確かに小学生の頃にスポーツバックは流行ったが僕はそこまで拘りはなかった
中学生にもなると学生カバンをペッチャンコにして教科書は学校に置いてたし
スポーツバック自体がダサイと思ってたので購入には至っていない (笑)
次は克実さんの「死ぬほど欲しかったアレ」第2位は「白いギター」
1971年から放送された人気番組「TVジョッキー」「の優勝者に
与えられたもので当時の若者の憧れだった
実際に黄色と白のギターを手にして興奮する高橋さん
しかも、黄色い方はタカさんの私物と知って驚きます
高橋さん「えー! もらったんですか? ゴキブリチャーハンか何か食べたんですか!?」
タカさん「(番組内のコーナーの)『奇人変人』でもらったんじゃないんですよ(笑)」
タカさん「(番組内のコーナーの)『奇人変人』でもらったんじゃないんですよ(笑)」
どうしてもギターが欲しかった高橋少年は父に懇願するもその願いは叶わず・・・
僕はと言えば実は白いフォークギターを持っていた
もちろん僕のはTVジョッキーとは関係ないが
ギターがプロ級に上手かった親父が中1の時に買ってくれた
どうも親父は自分の趣味だった、ギターやカメラには
欲しいと言えば理解を示してくれたのだった(笑)
そしてタカさんの「死ぬほど欲しかったアレ」の第2位は「短波ラジオ」
1970年代、小・中学生を中心に国外の短波放送を聴取することがブームとなり
タカさんは受信できた放送局から届く「ベリーカードを集めていた」と語ります
スタジオにはAM、FM、短波が受信できたSONY製の
ポータブルラジオ「スカイセンサー」が登場
フラッシャー自転車に続き、これも高橋さんは持っていたそうです
高橋さん「オレは短波(を聞く)っていうよりはニッポン放送とか」
タカさん「(文化放送の)『セイ!ヤング』とか聞くために?」
高橋さん「そうそう、でも一番聞いてたのは『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』ですね
タカさん「(文化放送の)『セイ!ヤング』とか聞くために?」
高橋さん「そうそう、でも一番聞いてたのは『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』ですね
みんな聞いてたでしょう、土曜日?」
タカさん「なんかねー、ちょっと(高橋さんは)ズレてるんですよね(笑)」
タカさん「なんかねー、ちょっと(高橋さんは)ズレてるんですよね(笑)」
てか、僕はこんな高級なラジオは持ってなかったが当時ラジオは必須アイテム
僕は小学校5~6年生の時に電気工作クラブに入っていて自分でラジオを組み立てた
もちろんオールナイトニッポンの土曜日の笑福亭鶴光は下ネタ満載で大人気
後は広島ローカルのRCCの日曜の夕方やってた
柏村武明の「サテライトNO1」が思い出深い
いよいよ発表! 克実さんの「死ぬほど欲しかったアレ」第1位は「ヌンチャク」でした
1973年に上映されたブルース・リー主演「燃えよドラゴン」がブームになり
ヌンチャクはモノマネをする子どもたちのマストアイテムになった
高橋さんが固く丸めた新聞紙の手作りヌンチャクだったそうだが
僕は祭りの太鼓に使うバチに鎖をネジ止めして自作した
当時の男の子はみんな工夫してやってたと思いますね
最後に発表するのはタカさんの「死ぬほど欲しかったアレ」第1位の「ケンメリ」
1972年に発売されたスカイラインC110型のことで
歴代のスカイラインのなかでも売上No. 1
広告キャンペーンの「ケンとメリーのスカイライン」から通称ケンメリと呼ばれています
CMの映像が流れるとタカさんは「いちばん欲しいやつ」と大興奮!
当時を知らないミッツさんが「かっこいいですね、今でも」と言えば
高橋さんも「テールランプがいいよね」とうっとり
実は高橋さんが初めて買ったのはこの車だったそうです
さらにフジテレビ玄関前に本物が登場し
タカさんは四方八方から眺めて「かっけ~!」を連発
なんと、日本に4台しかない赤いケンメリをタカさんが買おうということに
しかし1台9000万円と聞いて「やめましょう」と一気にトーンダウン(笑)
確かにケンメリはブタケツのローレルと並んで当時大人気だった
先輩たちも多く乗ってたが僕は個人的にはジャパンが欲しかった
でも、当時ジャパンはまだ中古相場も高かった事もあり僕はハコスカを買った
と、まあこうして見ると、同世代は当時似たり寄ったりな物に夢中になってたんだなと思う
今振り返っても、いい時代だったと思いますよ! ジャンジャン!!
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