4歳から24歳の1988年(昭和63年)まで長浜で過ごした僕が
広に出る時にいつも目にしてた広交差点にあった「泡盛(あわもり)」というお店
泡盛さんは呉市営バスの長浜線、広交差点停留所のすぐ近くだった
いつの頃からか「かわすじ」という看板が掲げられていたが
どうやらいつの間にか閉店してしまったみたいだ
「泡盛」というお店は、おでんをツマミに店名にもあるように琉球の蒸留酒
泡盛を飲むという昭和レトロな場末の酒場だったのだが・・・
毎日新聞呉支局が1974年(昭和49年)に出版した「呉うまいもん」によると
もとは沖縄の酒「泡盛」の取次ぎ店だったのが1953年(昭和28年)に
おでん屋に転向したそうで、以来地元の人たちに愛され続けていた人気店だった
龍のイラストが印象的だった泡盛さんだが
僕は子供の頃は泡盛の意味さえ知らなかった
僕が初めて泡盛さんに足を踏み入れたのは
中学3年生だった1978年(昭和53年)の事だった
名前も顔も忘れたが当時50代~60代だった地元長浜のオッサンに
ある日ツレと一緒にこの店に呼び出されたのが最初だった
そのオッサンと、どういった経緯で知り合ったのかも、長浜のどこに住んでいたのかも
当時何の仕事をしていたのかも覚えてないが何故か懇意になったんです
と、いうのもそのオッサンはヤマハの2サイクル「メイト」に乗っていて
バイクに乗りたい盛りの中学生の僕たちに中学生と知りながらも
メイトを貸してくれていたのだ 笑!
そんなオッサンに、ある日「泡盛」に来いと呼び出されたのだ
その時何の用事だったのか、どんな話をしたのかもまったく覚えてないが
いつも見ていた印象的な龍のイラストの看板の店に入る僕は興味津々だった
狭い店内には作業服を着ている肉体労働者っぽい人たちが
おでんをツマミに酒を飲んでいた
オッサンに酒を薦められ好奇心で一口飲んでみたが正直不味いと思った
今思えばそれが泡盛だったと思うが中学生の僕に酒の味なんてわかるはずもない
泡盛をたらふく飲んだオッサンは当然のようにメイトに乗って帰っていった
そんな時代だったという事だ 爆!
写真のご夫婦は2代目だそうですが僕が初めて泡盛に行った時は先代だったと思う
いつ頃店を引き継いだのかは知りませんが
「先代がやってた時はぜんぜん手伝ったこともなかったので
跡を継いでから二人で手探りでやってきました」
と、嘗ては語っておられたそうだ
酒を飲む年齢になって何度か店に行った事はあるが本来酒飲みじゃない僕は
どちらかと言えば当時泡盛の近所にあった小料理屋「しづ」によく行った
今でも時々長浜に帰る時に見ますがあの一角の店も全て変わっちゃいましたね~
てか、泡盛さんっていつ閉店したんだろう?
やはりオーナーの高齢化、後継者問題、時代の流れのせいなんでしょうな~
二軍監督も務められた安仁屋宗八さんを思い出す
息子たちが野球をやってた頃に懇意にさせていただき今でも年賀状を下さる安仁屋さん
彼とは何度か酒席を共にしたが沖縄出身の安仁屋さんは酒が大好きで
いつも泡盛を飲まれてたイメージがありますね
ジャンジャン!!