24歳まで長浜に住んでいた僕にとってチャリンコで行ける広の町は
バイクに乗るようになった高校1年までの主な生活圏内だった
当時レコードを買うのは第一産業、本を買うのは広書房というように事ある毎に
チャリンコに乗っては広の町を仲間と共に探索した
中学1年までは母が買ってくる服を着るという事が当たり前だった僕は
中学2年になり急に色気づきファッションに興味が湧くようになる
僕が中学1年だった1976年(昭和51年)に創刊された男性ファッション誌
「POPEYE」を毎号買っては自分なりにファッションを研究し始める
ちなみにポパイのライバル誌「Hot Dog PRESS」が創刊されたのは
僕が高校に入学した1979年(昭和54年)の事だった
当時はそろそろIVYブームが終焉を迎える頃で当時アメリカでBack To Nature運動が高まり
その前後に台頭してきたアウトドアのいろいろなグッズやウエアを組み合わせた
ファッションスタイル、ヘビーデューティーが台頭し始めた頃だった
そんな時代の僕の行きつけの広の洋服屋さんが
広商店街にあったジーンズショップ「LOOK」だった
写真はたぶん中学2年の長浜の秋祭りだと思うのだが
この時に身に付けてる服は全てルックで買った事を今でも覚えている
この頃僕は学校の先生や先輩から不良のレッテルを貼られつつあった頃だが
今当時の写真を見ると、どこが不良なのかと先生たちの言葉に反論したくなる 笑!
同級生の女の子たちと1枚の写真に納まってる事自体普通の中学生だと思うのだが・・・
赤いアポロキャップに、赤いスイングトップに、赤いオーバーホール
この頃僕は赤が自分のラッキーカラーだと思い込んでた節もあり
上から下まで赤という事で今見るとスーパーマリオみたいで笑える 笑!
ヘインズのTシャツにマドラスチェックのボタンダウンシャツ
足元は写ってないがトップサイダーのスニーカーを履いていたと思う
中学3年生になると更に色気に拍車がかかってきた僕は広商店街の
入り口右にあったLOOKの姉妹店だった、ブティック「Young」に行くようになる
当時紳士服と言えば広では新装されたばかりの
ジャスコやニチイの紳士服売り場くらいしかなかった
写真で言うとちょうど右側の茶色いテントの所がヤングだった
ヤングはルックに比べて少し大人を意識した洋服屋さんだった
当時14~15歳だった僕より5つくらい年上のボブカットがよく似合ってた
クルミさんという女性の店長がいて洋服の事や大人の事(笑)をよく教えてもらった
ちょうどジュディーオングの「魅せられて」という曲が流行っていた頃で
店内の有線放送で流れていた「魅せられて」を聴きながら歌のイメージが
カッコイイ大人の女に見えていたクルミさんとダブった事もよく覚えている
ボウリングシャツや、アロハシャツもヤングで買った事も覚えていますね
こちらはたぶん中学3年生の時の長浜の秋祭りだと思う
テキヤのお兄ちゃんと仲良くなって店番を手伝っていたんだと思う
この頃僕は既にアイパーをかけてリーゼントにしたり、しなかったりだったが
当日は祭りだというのになぜか髪を上げていない
Leeのスリムのジーンズに黒シャツに、白ネクタイ
スノーパターンのベストに上着は革ジャンじゃなく、ビニジャンだ 笑!
まだ革ジャンを買うお金がなかったのでフェイクのビニールジャンパーを着ていたのだ
ちなみに黒シャツと白いネクタイはヤングで買ったと思うが
ビニジャンはオープンしたばかりのニチイの紳士服売り場で買った
僕はこの頃には既にディスコデビューも果たしていたし
国鉄バスに乗って広島市内にも遊びに行ってた
キャロルやクールスにも影響されてたが、この頃他に憧れてたのが
小学校6年生に時に見たテレビドラマ「傷だらけの天使」のショーケンや水谷豊さんだった
傷だらけの天使の衣装と言えば菊池武夫さんのBIGIなんですが
もちろん当時の僕はBIGIなんてまったく知らない世界でした
DCブランドにハマるのはこれから4~5年先なんですが
その4~5年間は僕にとって刺激的でもあり暗黒でもあったのです 笑!
ジャンジャン!!