キングレコードから「紫のハイウェイ」でメジャーデビューしたCOOLSで
サイドギターを担当されていたフランクさん事...飯田和男(現・濱野和男)さんの
当時の愛車だったKAWASAKI 750SS MACHⅢ H2
当時フランクさんはH2、H2Aと2台のマッハを乗り継ぐほどの
マッハフリークだったそうです
マッハフリークだったそうです
写真はクールスのアルバム「ハローグッバイ」のジャケット裏の写真ですが
フランクさんのマッハに舘さんが乗っておられます
フランクさんのマッハに舘さんが乗っておられます
現在僕はH2に乗ってるという事でフランクさんに会うとマッハ談議に花が咲きます
フランクさんは今でも体感という点ではマッハが一番速かったと思うとおっしゃっておられました
H2より、H2Aの方が高性能で速かったともおっしゃっておられましたが・・・ 笑!
H2より、H2Aの方が高性能で速かったともおっしゃっておられましたが・・・ 笑!
店から出てきたフランクが軽く頭を下げH2に跨った
フランクはH2のキックペダルを踏み込んでエンジンを始動するとクラッチを繋いだ
そして2サイクルの甲高いエキゾーストを残し、あっというまに煙の彼方に走り去った
「500のマッハⅢよりは、まだいいけど、危険なバイクだよなH2も
フランクはテクニックでカバーしてるけど、未熟なやつだと必ず事故る」
(遠藤夏樹・原宿ブルー・スカイ・ヘブンより)
2ストロークエンジンの真骨頂であるパワーバンドにタコメータの針がひとたび入ると
とんでもない加速とスピードを引き換えに真っ直ぐ走る事さえ難しく
また止まる事さえ容易ではなかったマッハⅢ
そしてこのバイクは乗り手をふるい落とし、テクニックを持つ限られた人間しか
その本来の性能を引き出す事ができなかったのです
そのためマッハⅢは「曲がらない・止まらない・真っ直ぐ走らない」
「沢山の後家を作った」など、神格化された称号が与えられました
しかし逆にその伝説はバイク乗りなら誰しも乗ってみたいと思える魅力に満ち溢れ
このバイクを乗りこなすライダーは羨望の眼差しで見られました
ま、要はあまりにエンジンパワーを追い求めたがゆえ、フレームとタイヤとブレーキの
限界を超えてしまっていたという事です
当時の道路事情もあったとも思いますけどね ジャンジャン!!