今年3月23日に開幕する第90回選抜高校野球大会に
広島県を代表して瀬戸内高校が出場する事になった
先ずは瀬戸内高校野球部諸君、野球部並びに学校関係者、保護者の方々に
おめでとうございますと言いたい
瀬戸内高校は呉の高校ではないのだが、僕にとっては昨年春に
呉の高校としては1963年(昭和38年)の呉港高校以来54年ぶりに
甲子園に出場した呉市立高等学校の時より感慨深いのだ
それは何故か?
この度、27年ぶりに甲子園大会に出場する瀬戸内高校の
長谷川監督は次男の呉港高校野球部時代の恩師であるからなのだ
ここから先はご興味のある方だけに読んで頂きたいと思いますが
その前に、先ずは過去のこちらの記事に目を通していただきたい
「愚痴」というタイトルで2013年(平成25年)に書いた記事ですが
こちらを読んで頂けたら僕と瀬戸内高校の長谷川監督との経緯がお分かりになると思う
長谷川氏が呉港高校に赴任する約1年前・・・
「呉から甲子園に出場するチームを作るために呉港高校は最大限の努力をします
是非、息子さんを呉港高校に預けて下さい、必ず約束を果たしますから・・・」
呉港高校関係者に何度も説得された僕たちは彼らを信じて入学を決意した
ところがどうだ、入学して野球部を訪れてみたら学校関係者が
言ってた事とは全然違い約束は守られない、ハッキリ言って騙されたのだ
当時の呉港高校硬式野球部は甲子園を目指すどころか
野球をする以前の問題が山積みだった
特に裏切られたのが野球部監督の人選だった
もう時効だから話すが次男が入学を決める前に呉港の学校関係者は
広商OBで元広島商業野球部監督で甲子園出場経験がある
故、「川本幸生」氏を監督に招くと約束してくれていた
しかし川本氏に体よく断られ代わりに何の実績もない氏の教え子を推挙された
で、その彼が監督になったのだが彼は野球の指導力以前の問題児だった
甲子園出場を目指す私学の硬式野球部の監督がホームシックにかかった
奥さんが心配だからと言って毎日5時になると帰宅してしまうのだ
まさかの「5時まで男」だったという事で、要は野球に対する情熱がなかったという事だ
そんな監督だから選手からも信頼されず野球の結果もぜんぜん出ない
僕はほぼ毎日のように野球部の練習を見に行ったが目の前で行われている事に
僕の怒りは頂点に達し、僕は保護者会副代表として何度も学校と掛け合った
さすがに学校側もマズイと思ったのだろう、彼を推挙した川本氏に相談したらしく
川本氏はもう一人指導者を送り込んできた
その指導者が現、瀬戸内高校野球部監督の長谷川氏だったのだ
彼は5時まで監督とは違い野球選手としての経歴も十分だった
しかし球歴云々より僕が彼を素晴らしいと思ったのは野球に対する情熱だった
彼の情熱は、同じ志を持つ僕の心に響いた
彼は部長兼コーチとして学校に雇われ最終的には監督になった
僕は学校サイドに長谷川氏を監督にと強烈にプッシュしたのだが残念な事に
彼が監督になったのは、ウチの次男が引退したタイミングだった
前監督は追われるように野球部、いや、学校を去った
今まで散々世話になり迷惑をかけた我々父兄に一言の挨拶もなく・・・
次男が引退してから僕は部外者になったという事で野球部とは一線を画した
影ながら長谷川監督を応援していたのだが数年した頃、監督が退任するという噂を聞いた
何があったのかは僕は当事者じゃないからわからないが残念な事だと思った
で、2013年に開催された退任慰労会に声が掛かり出席したのだった
その後彼は昨年甲子園に出た呉市立高校にコーチとして従事し
更には彼の母校である瀬戸内高校に監督として招聘された
長谷川氏が関与した呉市立高校はついに花開き昨年甲子園に出場した
で、今回は長谷川氏が監督として瀬戸内高校の甲子園出場を勝ち取った
一方、あの13年前に大風呂敷を広げた呉港高校は・・・
ここまで読んで下さった方は僕が何を言わんとするかお分かりになると思う
リンカーンの名言に「意思あるところに道は開ける」という言葉がある
意志を持ち続けるのに最も大事な事は僕は「情熱」だと思うのだ
長谷川監督の「甲子園に出る、子供たちを甲子園に連れて行く」という
意志は13年の時を経て道が開き花が咲いた
「監督、出るだけじゃ駄目ですよ、目指すは全国制覇ですよ!」
お祝いの電話を入れそう言うと彼は苦笑いをしていたが僕は本気だ
健闘をお祈りしています! ジャンジャン!!