写真は広島駅前を走り、呉本通六丁目を目指す昭和40年代の国鉄バスだ
国鉄民営化から早約30年が経過した、もはや若い世代は国鉄を知らない
国鉄を知る世代の人に「国鉄」と聞けば電車を思い出す人が多いと思うが
国鉄は「国鉄バス」と言われたバス運行も運営していた
呉の若い人は知らないと思うが昭和の時代に呉の本通6丁目には
広島バスセンター行の国鉄バスセンターがあった
呉の国鉄バスセンターは、ちょうど現在の休山トンネルの入り口の場所だった
呉の国鉄バスセンターの写真を探したが見つける事が出来なかったのは残念だが
あのバスセンターは、いつまで存在していたのだろうか?
当時は「クレアライン」なんて有料バイパスもない時代だったから
国鉄バスは海沿いの国道31号線を走っていた
僕が初めて本通6丁目から国鉄バスに乗って広島に行ったのは
忘れもしない小学校6年生だった1975年(昭和50年)だった
この年、広島東洋カープは赤ヘル旋風を巻き起こし悲願のセ・リーグ初優勝を飾った
そんなカープの熱い戦いを見ようという事になって友人たちと広島市民球場に行ったのだ
とは言え、当時長浜の田舎の小学生だった僕たちにとって広島市民球場なんて
どこにあるのかも知らないし、広島市内に出るなんて事は大冒険だった
当時の小学校は土曜日が半ドンだったので学校が終わって
僕たちは待ち合わせ、親に内緒で出発した
呉市営バスで本通6丁目まで行って、国鉄バスに乗り換えたのは覚えている
何時からのゲームだったのかは覚えてないがデーゲームだった事は確かだ
更には、何人で行ったのかも、誰がいたのかも殆ど覚えていない
覚えている事は相手は中日ドラゴンズだったという事と友人の脇ブーがいたという事だけだ
カープが勝ったのか、負けたのかも覚えていない
ただ、脇ブーが親に叱られる事を恐れて仲間を裏切り
試合途中に一人で帰ってしまった事はハッキリ覚えている 笑!
ジャンジャン!!