昨年の12月15日に享年64歳の若さでお亡くなりになったクールスの
マチャミさん事、玉川雅巳さんの死は全国のクールスファンにとっては
あまりにも突然でショッキングな出来事だった
マチャミさんの死については広島という地方に住む僕にとっては
SNSを通して同志から寄せられる断片的な話しか知る由がなかった
クールスのBOSSである舘さんを始めメンバーが発信するSNSを注意深く見守ったが
なぜかメンバーからはマチャミさんの死については何も聞こえては来ない
おそらく軽はずみに口を開く事は出来ないという事なんだろうと思っていたのだが
何と、なぜか女性誌である「女性セブン」の2月8日号に関連記事が掲載された
あくまで記事は週刊誌という媒体の特性上読者に興味を持たせようと
美談に描かれている節もあって個人的には??と思うと部分もある
しかし記事を読んで「もしかしたら・・・」と思った事も確かだ
以下は女性セブンの記事からの抜粋と、個人的見解です
一世を風靡した不良バイクチーム(COOLS)のメンバーだった
2人(舘ひろし氏・岩城滉一氏)は若くしてスターへの道を歩み始める
血判状で友情を誓い合い、青春を謳歌した仲
しかし、互いが互いを思い合うからこそ
「あいつのために」と起こした行動が衝突を生んでしまう
次第に疎遠になり、42年
彼らの友情を再び引き戻したのは、早すぎる「仲間の死」だった
<私見>
確かに両氏はバンドCOOLSを結成した頃には多少の行き違いや誤解は
あったとは思われるが42年疎遠だったというのは大袈裟すぎるんじゃないかな~?
「お前はどうしようもないヤンチャで、クールスに入れば規律を守るようになると
思ったんだけどお前は変わらなくて・・・ もう一度みんなで走れたら面白かっただろうな」
岩城滉一(66才)が弔辞を述べると、参列者のすすり泣く声が響いた
12月18日・19日、神奈川県川崎市の寺院で伝説のバイクチームCOOLSの
元メンバーである「マチャミ」こと玉川雅巳さん(享年64)の葬儀が行われた
故人が愛用していた大型バイク、ハーレーダビッドソンのエンジンをふかし
仲間たちは爆音を聞きながら出棺を見送った
通夜では、かつてクールスのメンバーだった舘ひろし(67才)と
岩城が男泣きし肩を抱き合って親友の死を悼んだ
青春を共にし、芸能界の第一線で活躍してきた2人は
お互いを思いやるゆえに長らくすれ違いが生じていた
そんな彼らの抱擁は、メンバーにとってあまりにも感慨深い和解の光景だった
その姿を見ながら、ある参列者はこう思ったという
「マチャミの生き様と死が、クールスをもう一度1つにしてくれた」
<私見>
「和解」という言葉に個人的には少し違和感を覚える
R&RバンドCOOLSと、舘さん率いるバイクチームCOOLSの和解?というのならわかるが
ピッピさん発進のFBやブログの言葉を拾うと舘さんと岩城さんは現在は仲違いなどしてないはずだ
出会いは40年以上前に遡る
1974年、それぞれバイクチームを組んでいた20代前半の
舘と岩城が都内の飲食店で鉢合わせた
眼光鋭い男たちのニアミスに、緊張が走る
だが、店の外に見知らぬ黒いバイクがズラッと
並んでいるのを見た舘は岩城にこう話しかけた
「あのバイク、きみたちの?」
以来、1才違いの2人は意気投合し「少数精鋭で面白いチームを作ろう」と
原宿を拠点にしたバイクチームCOOLSを結成する
元メンバーでミュージシャンの水口晴幸さん(65才)が当時を振り返る
縁起の悪い日がいいと言って12月13日の金曜日に
東京・青山にあったハンバーガー店に集まってチームを結成してね
「このチームはリーダー(舘)の独裁により運営される」と書かれた血判状に
メンバー17人がナイフを握って右手中指に傷を入れ血判を押したんだよ
黒い革ジャンに黒いジーンズ、リーゼントヘアー
そして黒いバイクというそろいのスタイルで都内を走り回した
おれらが走ると他の暴走族もバイクで集まってきて一緒に流すんだよ
そのうちパトカーも追っかけてきて、そしたら蜘蛛の子を散らすように逃げる
表参道に歩行者天国ができたのは、おれたちのせいだっていわれてたね
クールスの名が一躍有名になったのは1975年4月13日
日比谷野外音楽堂で行われた、矢沢永吉(68才)がリーダーを務める
伝説のロックバンド「キャロル」の解散コンサートだった
熱狂するファンからキャロルを守る親衛隊を務めた彼らは脚光を浴び
レコード会社の誘いを受けてロックバンドとしてデビューすることが決まる
だが、それが舘と岩城の間に溝を生むことになる
滉ちゃん(岩城)は役者として東映から映画デビューが決まっていて
なんとか他のメンバーも出られないかって東映に掛け合ってくれていたらしい
でも舘はバンドもやって映画にも出たら、メンバーに驕りができて
チームがまとまらなくなるって心配したんだと思う
だからバンドはやるけど、映画には出ないって断りを入れた
滉ちゃんにしてみれば、せっかく東映に話したのになんだよとなり
滉ちゃんはバンドに加わらなかった
その頃から、2人の気持ちにズレが出始めた
<私見>
う~ん、話の行き違いや、COOLSというバンド結成後の成り行きもあったんだろうが
舘さんを筆頭にクールスのメンバーは結局映画出演を果たしている
しかし結果映画出演した事で今度は舘さんと他のメンバーに行き違いが発生する
この時代に岩城さんと舘さん率いるクールスとの映画共演はなかったが
マチャミさんは岩城さん、舘さん以下クールスとの両方と映画共演を果たしている
個人的にはマチャミさんのこの立ち位置に彼の人柄や立場を感じるのだが・・・
<私見>
遠藤夏樹さんの著書「原宿ブルー・スカイ・ヘブン」にはマチャミさんは
クールスに入る前にジェロニモって暴走族に在籍していたという記述がある
ジェロニモの先輩でもあったクールスの梅村さんが
岩城さんにマチャミさんを預けたという事になっている
バイクの腕はズバ抜けて上手いが、キレたら年上だろうが誰だろうが
あたり構わずぶっちめちゃう暴れん坊だったマチャミさん
そんなマチャミさんも血判状に捺印して正式にクールスのメンバーになった
書籍・原宿ブルー・スカイ・ヘブンはフィクションという事になってるから
事の真意はわからないが大なり小なり似たような経緯があったんじゃないかと思います
俳優として人気の出た岩城は黒い革ジャンを脱ぎ
舘も1977年4月にR&RバンドCOOLSを脱退して俳優の道に
クールスは継続したが、メンバーはバラバラになった
その後、メンバーで集まることは何度もあった
なにしろ血判を交わした仲だから10年ぶりに会っても一瞬で元の仲間に戻れる
だけど舘と滉ちゃんを一緒に呼ぶことはできなかった
みんな2人の関係に気を使っていたからね
でも、あの2人がそろわないと、クールスが戻ったとはいえないんだよ
<私見>
COOLSのリーダーとサブリーダー、そういう時代もあったという事なんだろうな~
更には舘さんはクールスを脱退してから少なくともバンドCOOLSの
メンバーとは長い間一線を画していたように思うんですがね~
舘さんがバンドメンバーと正式に顔を合わせたのはもしかしたら
2005年に原宿のクロコダイルで開催されたCOOLS結成30周年の
パーティーの時だったんじゃないかな~?
その頃の岩城さんの立ち位置はよくわかりませんがね~
そんな2人の距離を縮めたのが創設メンバーの1人、雅巳さんの急病だった
雅巳さんはもともと岩城が連れてきたメンバーでチームの中でいちばんヤンチャな存在
舘のマネジャーをしていたこともあり2人とは深い間柄だった
雅巳さんは昨年秋に心筋梗塞で倒れ12月12日に危篤状態に陥ってしまう
マチャミの奥さんが医者に親族を呼んだ方がいいと言われた時
メンバーとは血縁以上に深い絆で結ばれているからって
おれ(ピッピさん)に電話してくれたんだよ
お見舞いに行ったらマチャミは人工呼吸器をつけて、ほとんど昏睡状態で
病室を出てすぐに舘に連絡し他のメンバーにも声をかけ14日夕方に病院に集まった
その時、滉ちゃんは来られなかったけどスケジュール調整して
その前にお見舞いに行っていたみたい
奇しくも12月14日は血判を押してクールスを結成したその翌日だった
舘が耳元で「マチャミ!」って声をかけるとマチャミがパッと目を見開いて
みんなのことを目で追って両腕を上げてバイクに乗るような仕草をしたんだ
雅巳さんが亡くなったのは、翌日の正午過ぎのことだった
きっと、みんなが来るのを待ってたんだろう
おれ(ピッピさん)が前に会った時は元気になって
もう一度みんなで走りたいって言っていたから
通夜はあたかもクールス再結集のようだった
岩城が疎遠になっていたメンバーにも声をかけ
17人の血判状メンバーのほとんどが顔をそろえた
黒い喪服姿の男たちは、口々に
「おお、元気か」「あいつは死ぬやつじゃない」
と言葉をもらした
42年もの間、ぎくしゃくしていた舘と岩城もまるで昨日もバイクで
走り回っていたかのように自然と声をかけ合う
肩を抱き合い、涙を流して早すぎる親友の死を悼んだ
クールスがバラバラになったのをいちばん悲しんでいたのがマチャミだった
舘と岩城をなんとか元に戻そうよってよく言ってたんだよ
だから今回、通夜で2人が抱き合っているのを見た時は
マチャミのおかげだな、あいつ天国で喜んでるだろうなと思った
通夜の後は、もう1回、みんなで集まろうって話になってね
水口さんは棺で眠る雅巳さんの髪をリーゼントにし出棺される彼を見送った
12月24日の舘のディナーショー
雅巳さんの遺影を持って後方の列で見守るつもりだった水口さんに
舘が「ステージで何曲か歌ってくれよ」と声をかけた
40年来のファンたちが号泣したという
翌日、舘が楽しかったよ、またやろうよって電話してくれた
雅巳がつくってくれた再会を通じて、またみんなで何かできたらいいな
(以上、女性セブンより)
と、いう事だが僕は再三申しているように人が生きていく中で
例え仲間であっても若気の至りで誤解が生じ行き違いになる事もある
それは、どちらが良い悪いの話ではない
マチャミさんが死をもってメンバーを集結させたのであれば
メンバーはマチャミさんの為にも全てを水に流してCOOLS結成当時に戻って欲しい
そうなる事を全国のCOOLSファンも願っていると思います!
最後に改めて玉川さんの死に謹んでお悔やみ申し上げます
ジャンジャン!!