三原名物「蛸づくし」に舌鼓を打った僕達が帰りに立ち寄ったのは
遙か平安時代に京都の下鴨神社の荘園として栄えた歴史から
「安芸の小京都」と言われる竹原市の町並み保存地区でした
町並み保存地区に一歩足を踏み入れるとそこは白壁と飴色の格子が続くいにしえの町並み
目を瞑りそっと耳を澄ますと製塩と酒造の賑わいの時代へとタイムスリップしたようです
特に上市、下市には江戸時代後期に製塩や酒造業で
栄えたお屋敷や由緒あるお寺のある町並みが今もそのままに保存されています
いや~ 先日記事にした三原市も尾道に行く時通過する街で近くて遠いって感じでしたが
ここ、竹原市はもっと呉に近いのになぜかゆっくり訪れた事のない町だった
竹原にはゴルフには来た事ある程度で、ここも尾道への通過点ってイメージだった
こんなに歴史的情緒の残ってる町だったとは・・・
僕も50数年生きて来て長く呉に住んでいるのに近くの事もまだまだ知らない事が多い
そんな事を痛切に感じた竹原の町並み保存地区でしたな~・・・
頼 山陽(らい さんよう)銅像
安永9年(1781年)大阪江戸堀で生まれ広島で育ち竹原の文化を吸収し
京都で亡くなった江戸後期に活躍した儒学者
「日本外史」「日本正記」「通義」などの書を著し幕末の志士に多くの影響を与えました
また漢詩文「川中島」「天草洋泊」など書画にも通じ日本全国の学者との交流も図っていました
頼 惟清旧宅
頼 山陽の祖父で江戸時代後期に儒学者や詩人として活躍した文人です
この写真は↑の頼 惟清旧宅の裏なんですが この景色を見た時僕は
強烈に懐かしいって感情が湧いてきた
僕の脳裏に甦ったのは幼少期の僕が通ってた長浜の
仏教系の専徳寺保育園の專徳寺の裏の景色だった
專徳寺の住職の息子が同級生だった事もあり僕は普通の人が入れない
專徳寺の裏庭で保育園児~小学校の頃よく遊んだものだ
ハッキリ景色は思い出せないが、その頃の景色が淡く思い出された
何だか切ない気持ちになりましたな~・・・
竹原の領主だった小早川家代々の学問所だった照蓮寺
頼三兄弟をはじめ優れた文人を数多く輩出した国の重要文化財だそうです
境内には親鸞聖人の銅像も建っています
僕の母園の專徳寺保育園も仏教系の園でしたから
僕は幼少期の頃から親鸞聖人の事も園で学びましたからな~
市の重要文化財に指定されてる松阪邸の旧宅
このように竹原市の町並み保存地区には数多くの歴史的建物が多く残り
町全体の雰囲気を醸し出しています
竹原の町並み保存地区は戦災を免れたんですな~・・・
と、言う事で誌面の関係で今日はこれまで!
明日はいよいよ最終回!乞うご期待! ジャンジャン!!