私事で大変恐縮なのですが今年2017年の11月15日に
僕たち夫婦は結婚30周年を迎えました
11月までに別れていなければ(笑)その日が来るのは今年になって
わかっていた事でしたから早い段階で11月の第3日曜日・月曜日で
夫婦水入らずの旅をしようと提案してたんです
旅の前夜は「呉やっちゃれ会」にも夫婦で出席したんですが
コンディションを崩さないように僕は深酒もしませんでした
僕たち夫婦は30年前の1987年11月15日に今はなくなってしまいましたが
現クレイトン・ベイ・ホテルの前身である玉姫殿で結婚式を挙げました
その時僕は24歳になったばかりで、大明神様は23歳という若さで
更には既に4月に生まれる事になる長男が彼女のお腹の中にいました
そんな状況だった事もあったし、計画的な結婚ではなかったので僕たち夫婦は
物理的にも、金銭的にも、新婚旅行にも行く余裕がなかった
二人きりでの新婚生活もなく結婚後すぐに親になった僕たち
特に大明神様は子育てにも追われ夫婦二人で泊りの旅行に
行った事がないまま結婚30周年を迎えたという事です
11月14日、30周年の結婚記念日を翌日に控えた日の前夜に家に居ると
呉やっちゃれ会の清水から電話があって明日夜イベントの打ち合わせをしようと・・・
ー 明日は結婚記念日なんじゃが・・・
とは思ったが呉やっちゃれ会も目前に迫っていたので悠長な事も言ってられない
旅行に行く事もわかっていたので僕は恐る恐る大明神様に打診した
「明日仕事が終わってから打ち合わせがあるけん、ちょっと遅うなる・・・」
「あら、そうなん そうなら面倒くさいけん晩御飯外で食べて帰ってや・・・」
言葉尻やニュアンスから機嫌を損ねた感じはまったくなかったのだが・・・
で、結婚記念日当日、僕は昼頃彼女にメールを打った
「30周年おめでとう、今までありがとう、今後もよろしく!」
って、感じのニュアンスのメールだ
その夜、呉やっちゃれ会の打ち合わせを済ませた僕は外食を済ませ
10時に帰宅したのだが大明神様の顔がなぜか大魔神に見える
ー ん? ワシ何か悪い事したか・・・メールまで打ったのに・・・?
で、僕が帰宅して15分くらい経過した頃おもむろに「すき焼き」が出て来た
「ん?ワシ食べて帰ったで、あなたが食べて帰れって言ったんじゃない」
「えっ、ホンマよ~ 自分が言うた事すっかり忘れとった!」 笑!
結婚記念日という事で彼女なりに考えて「すき焼き」を作って待ってたが
待てど暮らせど僕が帰って来ない、それが大魔神のオーラの原因だったのだ (笑)
しかし結婚記念日当日、彼女はメールの事には何も触れなかったから
僕もあえて何も言わなかったのだが・・・
で、翌日、彼女からメールが入る
「メール気付かんかった、ありがとう! じゃけど30執念ってどう言う意味よ!」
メールを読んで僕はすぐに送信メールを開いてみた
するとどうだ、「30周年」と記すべき所が「30執念」になってるじゃないか! 爆!
何と僕は大事なところで漢字の変換ミスをしていたのだ
神に誓ってこれは確信犯じゃなく、明らかな変換ミスだったのだ
しかしミスした漢字が悪い、「執念」と書かれたらそりゃ気も悪い 笑!
11月19日日曜日 天気 曇り時々雨
と、まあこんな漫才みたいな結婚記念日でしたが僕たちは当初の予定通り
日曜日の朝9時にゴル子ちゃんに乗って出発しました
まず目指したのが三次でした
三次に到着して古い石畳の旧商店街のカフェ「山猫」でランチ
ローストビーフ御膳なる物をいただきました
ランチを終えた僕たちは近くにある尾関山公園に紅葉見学に訪れました
季節柄、紅葉狩りの最盛期だと思ってたからです
それにしても見事な紅葉でしたね~
尾関山公園は春は桜、秋は紅葉の名所で公園の山頂展望台からは
三次の市街地が一望できます
江戸時代初期に,広島藩の大名・福島正則が三次へ家臣の尾関正勝を配置しましたが
この尾関正勝がここに城を構えていたので後に尾関山と呼ばれるようになったそうです
福島氏に代わり,浅野氏が当地を治め,備後三次藩初代藩主浅野長治が入封すると
尾関山の山頂に天文台(天体観測所)「発蒙閣」が置かれました
こうして始まった熟年夫婦の初の1泊での二人旅
この後僕たちは北に進路を取って松江道をひた走ったのであります
ジャンジャン!!