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My Music Travel 58 涙のリクエスト

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1970年代のカッコいい男とは私感で言うと「シブい」「クール」「ダンディ」などの
言葉に形容される、どちらかと言えばどこか大人の色気を漂わすような男性像だったと思う

それはミュージックシーンにおいてもそうだったと思うし、ロックミュージシャンは元より
アイドルと言われた男性アイドル歌手も、どこかそういったニュアンスがあったように思う

しかしそれが1980年代に入ると男のカッコよさの定義が大きく変わってきた
個人的にはその最もたる象徴が「たのきん」と言われたジャニーズたちの台頭だったと思う

ツッパリブームがそろそろ終焉を迎えようとしていた時代に登場した「たのきん」は
ティーンエイジの女の子たちに圧倒的に支持された

アウトローなニュアンスを持ちダンディーな大人の匂いがしたミュージシャンは徐々に淘汰され
「カワイイ」と形容される、どこか中性的で幼さを感じるミュージシャンたちが台頭しモテ始めた

そんな1983年(昭和58年)、こんな歌がブラウン管から流れてきた




ギザギザハートの子守唄 / チェッカーズ 1983
作詞・康珍化  作曲・芹澤廣明

ちっちゃな頃から悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ
ナイフみたいにとがっては 触るものみな傷つけた
 
あー わかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか
ララバイ ララバイ おやすみよ ギザギザハートの子守唄
 
恋したあの娘と2人して 街を出ようと決めたのさ
駅のホームでつかまって 力まかせになぐられた
 
あー わかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか
ララバイ ララバイ おやすみよ ギザギザハートの子守唄
 
仲間がバイクで死んだのさ とってもいい奴だったのに
ガードレールに花そえて 青春アバヨと泣いたのさ
 
あー わかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか
ララバイ ララバイ おやすみよ ギザギザハートの子守唄
 
熱い心をしばられて 夢は机で削られて
卒業式だと言うけれど 何を卒業するのだろう
 
あー わかってくれとは言わないが そんなに俺が悪いのか
ララバイ ララバイ おやすみよ ギザギザハートの子守唄


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世代的に我が国におけるアイドルバンドのハシリとも言える1960年代
グループサウンズを僕はあまりリアルには覚えてない

1980年代にはバンドブームになった事もありアイドルバンドと形容されるバンドも
数多くデビューしたが80年代のアイドルバンドのレジェンドが1983年(昭和58年)
「ギザギザハートの子守唄」でデビューしたチェッカーズだったんじゃなかろうかと思う

奇抜なデザインのタータンチェックの衣装に身を包みロックに近い感じのポップスを奏で歌う
チェッカーズを初めて見た時僕は、1970年代にティーンエイジの女の子たちが熱狂した
イギリス出身のアイドルロックバンド、ベイ・シティー・ローラーズのパクリかと思った 笑!

ぜんぜん不良っぽく見えない彼らが「♪15で不良と呼ばれたよ」って歌っても共感出来ず
たのきんトリオの中で不良っぽさをウリにしてたマッチのバンド版っていうニュアンスを感じた 笑!

1983年と言えば僕は二十歳になる年だったし、それまで聴いていたロックミュージシャンとは
まったく真逆なアイドルロック?グループのチェッカーズは当初僕の琴線には触れなかった




涙のリクエスト / チェッカーズ  1984
作詞:売野雅勇  作曲 :芹澤廣明

涙のリクエスト 最後のリクエスト

最後のコインに 祈りをこめて Midnight D.J 
ダイヤル回す あの娘に伝えて まだ好きだよと
 
トランジスタのヴォリューム上げて 初めて二人 
躍った曲さサヨナラなんて 冷めたすぎるね ヒドイ仕打ちさ
 
オレの送った 銀のロケット 今では違う 誰かの写真
イイサそいつと 抱き合いながら 悲しい恋を 笑ってくれよ

涙のリクエスト 最後のリクエスト 
涙のリクエスト 最後のリクエスト for you

波間に消える まぶしい夏さ 引き際せめて
カッコつけるぜ あのメロディ 口笛にして
 
もしも あいつに ふられた時は 同じ歌を
ダイヤルしろよ 夜中の街を おまえをむかえに 駆けて行くから

愛を誓った メモリーリング 曲に合わせて 海に投げるよ
サヨナラがわり 二人に送る 悲しい恋のリクエストだよ

涙のリクエスト 最後のリクエスト 
涙のリクエスト 最後のリクエスト for you


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1983年に「ギザギザハートの子守唄」でデビューしたチェッカーズだが
僕の記憶では、意外にもデビュー当初はパッとしなかった印象がある

しかし、1984年(昭和59年)にリリースしたセカンドシングル「涙のリクエスト」が大ヒットになり
「ギザギザハートの子守唄」も相乗効果で順位を上げ、サードシングル「哀しくてジェラシー」と共に
3曲同時トップ10入りを果たすなどチェッカーズは社会現象になった

僕としては相変わらず奇抜なデザインのチェックの衣装には違和感を持ちながらも(笑)
「涙のリクエスト」は曲自体はニュアンス的に好感が持てた

それもそのはず、この曲は作詞家の売野雅勇氏が
映画「アメリカン・グラフティー」を観て書いたらしい

聞けば彼らチェッカーズは僕と同世代で、高校時代はヤンチャで
キャロルクールスを聴いて育ち元々はアメリカンオールディーズ
ドゥーワップのバンドをやってたらしいと知った

更には彼らは僕のルーツである福岡県の久留米市出身だと知って親近感も沸いた

1984年当時僕はミヤニシで技術者になっていたがチェッカーズ人気に影響され
フミヤ君の刈り上げツーブロックに長く残した前髪のヘアスタイルが大流行し
来る日も来る日も男性客にチェッカーズカットを施術したもんだ




俺たちのロカビリーナイト / チェッカーズ  1985
作詞:売野雅勇  作曲・編曲:芹澤廣明

ドラム叩いてた路地裏(ダウンタウン)のクラブ今は
仲間たちも消えて 指を鳴らす音だけ聴こえる woo baby

あの頃はみんな不良少年(ロカビリー)と呼ばれてたね
お前忘れられずに 訪ねた街角さ

馬鹿だぜ俺だけひとり 20歳を越えたよ結ばれる約束の
お前いれば辛くなかった 冷えてく暮しにチャンスを 抱き合い探していた
貧しいけれど夢があったね 振り向きゃ俺たちの ロカビリー・ナイト
 
リーゼントの髪が涙で濡れてたねあの夜
バイク飛ばしたのさ お前一人命消したと聞いて…

もう寂れちまった店で埃かぶる写真
そっと指でぬぐえば 二人が微笑ってる

愛してると舗道に まっ赤なスプレー泣きながら書いた
涙ロカビリー好きだと絶叫び お前は大人に連れ去られたまま引き裂かれた…
貧しいけれど夢があったね 青春だったね ロカビリー・ナイト
 
お前いれば辛くなかった 冷えてく暮しにチャンスを 抱き合い探していた
貧しいけれど夢があったね 振り向きゃ俺たちの ロカビリー・ナイト


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7枚目のシングル「俺たちのロカビリーナイト」は思春期にロカビリーに心酔してた
僕には共感できる曲だった事もあり今でもよく覚えている

僕は残念ながらチェッカーズのレコードを買ったという記憶はないが
毎日ブラウン管の歌番組に出るチェッカーズの曲はよく耳にした

しかし時代の寵児になったチェッカーズのメンバーはスケジュールに追われ
プライベートな時間の確保が出来なくなり、レコーディング時間の不足、アイドル的な扱い
アマチュア時代とのギャップといった苦悩が続いていたらしい

アマチュア時代のチェッカーズはドゥーワップを主流としており衣裳もシャネルズを意識した
タキシードスーツ姿でチェッカーズはアメリカンポップスバンドでデビューするつもりだったらしい

久留米ではアマチュア時代から人気があったそうで、クールスの前座を務めるなど
僕らの世代が、カッコいいと思ってたようなスタイルのバンドを目指していたのだ

しかし事務所の方針でアイドルバンドとして売り出され全身チェックの衣裳で歌謡曲を
歌わされる事に当初は相当の抵抗があったらしい

しかし「俺たちのロカビリーナイト」の頃は既に不動の人気を博しており
この頃になるとだいぶ自分たちのやりたかった方向性に近づいたんじゃなかろうか




Song for U・S・A / チェッカーズ  1986
作詞:売野雅勇  作曲・編曲:芹澤廣明

桟橋で君を抱きしめ 見果てぬ夢を夢中で話していたね
彗星が海越えてくよ 夜間飛行の翼をにじませ
 
ギター弾く指先切れて 泣き出したこと remember you
誰もが STARDUSTだったね

This is the Song for U.S.A. 時間の波に消えた old my friends
今日はここへ来て 同じ歌を歌ってくれ

This is the Song for U.S.A. 最後のアメリカの夢を
俺たちが同じ時代を駆けた証しにSing for all

摩天楼霧に煙って 壊れた夢に泣いてる君がいるよ
すみれ色の優しい夜が 君の上にも降りるといいのにね

鍵盤叩くその涙を 抱きしめてあげたいよ
綺麗なSTARDUSTたちよ

This is the Song for U.S.A. 海を渡る星の群れが
夢の道照らし迎えに来る 素敵なtonight
 
This is the Song for U.S.A. 見えないもの信じられた
ティーンネイジのまま約束だよ 大人になってくれ

This is the Song for U.S.A. 時間の波に消えた old my friends
今日はここへ来て 同じ歌を歌ってくれ

This is the Song for U.S.A. 海を渡る星の群れが
夢の道照らし迎えに来る 素敵なtonight
 
This is the Song for U.S.A .時間の波に消えた old my friends
今日はここへ来て 同じ歌を歌ってくれ


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1986年(昭和61年)にリリースされた10枚目のシングル「Song for U・S・A」
個人的にはチェッカーズの集大成になった曲だと思っている

この曲はチェッカーズの曲にデビュー当時から携わった売野雅勇・芹澤廣明コンビが
最後に提供した曲になったという事もある

もともとチェッカーズは自分たちで曲作りをしたいと思っていたが
売れるために事務所の方針でシングル曲の殆どは両氏に依頼されていた

シングルB面やアルバム挿入曲ではメンバーのオリジナル曲もあったが
11曲目のシングル「NANA」以降はシングル・アルバム共に全てメンバーによる作詞・作曲となる

これは僕の想像だが、オリジナル曲に路線変更した理由としてはアーティストとしての
拘りもあったんだろうと思うが、印税の事も大きかったんじゃないかな~?

この頃チェッカーズは曲を出せばヒットするというレベルになってたから
自分たちで作詞・作曲しても売れる自信もあったんだと思う

たぶん、これらの事で売野雅勇・芹澤廣明、両氏とちょっと揉めたんじゃなかろうか?
チェッカーズを解散してソロになったフミヤ君が両氏が作った時代の
楽曲を殆ど歌わないという事も、そんな事情があるように思うんですがね~


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ちなみに「Song for U・S・A」は同年に公開されたチェッカーズ主演映画
「Song for U・S・A」の主題歌にもなっているが、僕は観ていない 笑!

この後チェッカーズは1992年(平成4年)まで活動し、31枚のシングルをリリースしているが
個人的には「Song for U・S・A」を境に、まったく聴かなくなった

僕も年齢的な事もあって、あまり邦楽に興味がなくなってたって事もあったのだと思う

チェッカーズが解散するってテレビか雑誌で見た時も
「あっ、そう、まだやってたんだ・・・」って思ったくらいだった 笑!

解散の原因はメンバー内の確執という事だったが興味もなかった


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それから数年して2003年(平成15年)、元メンバーの高杢君が
暴露本を出版したという話が耳に入ってきたが僕はチェッカーズに対して
特に思い入れもなかったから読みたいとも思わなかった

しかし当時暴露本はマスコミに連日取り上げられテレビで放送され
雑誌にも出てたから大体の内容は把握できた
まあ、人気を極めたバンドで内輪揉めして解散するのはよくある話だ

メインボーカルだったフミヤ君と、バスボーカルだった高杢君は幼稚園時代からの幼馴染であり
ヤンチャな学生時代は高杢君が番長だったそうで二人の力関係は高杢君が上だった

それがバンドを組むに当たって歌唱力もあり、ルックスもよかった
フミヤ君がメインボーカルを務め、メジャーデビューし人気を博した

正直な話、チェッカーズ人気はフミヤ人気におんぶにだっこである事は
失礼ながら誰の目にも明らかでしたからね~

で、前出の「Song for U・S・A」以降、チェッカーズはオリジナル曲に移行した
が、番長高杢君は悲しい事に作詞・作曲のセンスがなかったらしい 笑!

と、いう事は高杢君には印税なるものが一切入って来ないという事だ

そして、フミヤ君や、弟の尚之君、高杢君、鶴久君はそれぞれソロ活動を始める
この辺りが空中分解して解散へと繋がったんでしょうな~


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チェッカーズ解散時はメンバー7人が4対3の構図になってたらしい
藤井兄弟、武内、土井VS高杢、鶴久、クロベエという構図だったらしい

高杢君が暴露本を出版した翌年の2004年に高杢派のクロベエが亡くなった

逆派閥だったフミヤ君はクロベエの葬儀には出席しなかったが、フミヤ派の4人は
高杢、鶴久両氏に声を掛けず「クロベエを送る会」なる物を開催する

これに高杢、鶴久両氏は激怒した


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「クロベエを送る会」以降、高杢氏はワイドショーに連日出演して
フミヤ君やフミヤ派に対しての恨み節をぶちまけた

それらに対してフミヤ君は沈黙を通した
まあ、どちらが悪いのかは僕にはよくわからない

これは矢沢永吉VSジョニー大倉や舘ひろし氏、ピッピ氏のクールス脱退にも言えるのだが
同じ夢を見た同志でも、有名になり、金が入り利害関係が伴うと揉めるのはバンドの常なのだ

おそらくチェッカーズの再結成というのも、ないような気がしますね~ ジャンジャン!!


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