昨日の記事の続きになりますが
母とお茶を飲む約束をしていた僕は専徳寺を後にして広に出ました
このパターンで広でカフェに行く時は、カフェ「ブリュー」に行く事が多いのですが
今回は前から気になってた広の超老舗喫茶店「赤煉瓦」に行く事にしました
ちょっと前に「昭和の残骸」というタイトルで、今はなき昭和の喫茶店の
記事を書きましたが、広の赤煉瓦は僕が物心ついた時から今に至るまで
ずっと同じ場所で営業している昭和レトロな喫茶店です
店頭にあるメニューサンプルも超昭和チックです
中でも目を引くのは僕が子供の頃の憧れだったフルーツパフェの類です
大人になった今ではフルーツパフェも躊躇なく食べれますが
やはり子供の時に憧れたパフェを見るとトラウマ的に心が躍ります 笑!
店内は奥行きがあり喫茶店としてはかなり広いです
客席は真紅のベルベット素材のソファーや椅子で統一されています
ちょっとアールデコ調?な感じの店内は喫茶店というより
洒落た洋食屋さんってイメージです
店の中ほどには象や白鳥のオブジェと池があり、池の中には鯉が泳いでいます
てか、冒頭でも書いたように赤煉瓦は僕が物心ついた時から営業しています
いったい創業はいつなのかずっと気になっていた僕はマスターに尋ねてみました
マスターが言うのは創業は1954年(昭和29年)で今年は63年目だそうです
現在のマスターは2代目だそうですよ
と、いう事でオーダーしたプリンアラモードが運ばれてきました
う~ん テンションが上がる! 美しいね~ 笑!
僕が子供だった昭和40年代にはサンプル模型を見るだけで心がときめいたパフェ
あの時代はまだ生クリームも家庭では一般的じゃなかったし
フルーツの王様だったメロンなんて口にする事もめったに出来なかった
じっと我慢の子でしたな~・・・ 笑!
母が言うには高校時代に赤煉瓦に制服で珈琲を飲みに来てた記憶があるらしい
母は昭和9年生まれ、と、いう事は高校時代は昭和25年4月~29年3月だから
昭和29年創業の赤煉瓦がオープンした最初期という事なのか?
母は高校卒業後に洋裁学校に行ってたから、その頃の事じゃないのかな~?
僕はと言えば正直な所、赤煉瓦には数回くらいしか来た記憶がない
僕は中学2年だった1977年(昭和52年)くらいから喫茶店に行くようになったが
赤煉瓦は店構えが大人っぽい店だった事もあり、ちょっと敬遠してた節がある
僕の記憶ではインベーダーゲームが流行った1979年(昭和54年)頃にも
ゲームを置いていなかったんじゃないかな~?
しかしインベーダーゲームが流行った1979年に高校1年生だった僕は
その年に一度だけ赤煉瓦に来た事をハッキリ覚えている
当時仲良くしてもらってた呉商業高校をシメてた(笑)3年生の先輩に
同校に転校してきたという3年生の女の子を赤煉瓦で紹介してもらったのだ
彼女の名前や顔はまったく覚えてないのだが確か
岩国から転校して来たって言ってたような覚えがある
しかし名前も顔も覚えてないという事は何もなかったんだろう・・・と、思う 笑!
ジャンジャン!!