東郷平八郎の別邸で一息ついたら、石畳の坂を上ります
そこでまず目につくのが大きな時計台です
この時計は1921年(大正10年)に呉海軍工廠造機部庁舎屋上に取り付けられた物で
終戦まで呉工廠と共に歴史の時を刻み続けていた時計です
1971年(昭和46年)に入船山記念館に移設された電動親子式衝動時計は
現存する国産品としては最も古い物の一つだそうです
更には時計台へと続く石畳は1967年(昭和42年)に廃線になった
呉の路面電車の敷石として使われていた物を移設した物だそうです
呉の路面電車が廃線になった時僕は4歳でしたが四つ道路から
祖父母が住んでいた終点、長浜まで乗って行ってた事を覚えていますね
警備のために長官官舎や海兵団などの入り口に建っていた番兵塔です
朝昼晩問わず番兵が建っていたため足の部分が擦り減っています
ボランティアガイドのオジサンが足跡に水を入れて説明してくれました
てか、当日は例の如くボランティアガイドさんにお願いしてガイドしてもらいました
少々知識がある僕が根掘り葉掘り聞くもんだから
ガイドさんもテンション上げてガイドしてくれましたよ 笑!
1902年(明治35年)に音戸の瀬戸が見渡せる高烏に砲台と火薬庫が
大日本帝国陸軍によって設置されました
これは、1967年(昭和42年)に高烏砲台から移設された火薬庫です
当時音戸の瀬戸から呉に侵入する敵艦を攻撃するために
音戸の瀬戸が見下ろせる高烏に砲台と火薬庫が設置されたんだそうですよ
総石造りの火薬庫は全国的にも珍しいとボランティアガイドさんが言ってました
火薬庫内で爆発事故があった時に火が横に広がらず
上に抜けるように総石造りになってるんだそうです
呉海軍工廠造の敷地内の地底に埋められていた戦艦の主砲なんだそうです
何の戦艦のかは、わからないって事でしたね
奥に見えるのは1979年(昭和54年)に開館した郷土館です
1階は事務所になっていて、2階には展示室があり入船山記念館の歴史や
旧呉鎮守府司令長官官舎に関係する資料が展示されています
郷土館には歴代の旧呉鎮守府司令長官の肖像写真が飾られていました
もちろん僕は全員は知りませんが(笑)中には何人か知ってる人もいた
その中の一人が太平洋戦争開戦時に中将だった南雲忠一さんでしょうな~
真珠湾攻撃あたりを描いた作品には必ず出て来ますよね
最終階級は海軍大将になった南雲さんですが、彼は名将だったのか
それとも愚将だったのか意見が分かれる方ですよね
郷土館を過ぎると、右手に1986年(昭和61年)に開館した
呉市歴史民俗資料館があります
呉鎮守府司令長官官舎の壁に使用されている
金唐紙(きんからがみ)のコレクションが展示されています
と、いう事で最後がいよいよ、呉鎮守府司令長官官舎になりますが
それは明日のお楽しみ! ジャンジャン!!
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