先日、大日本帝国呉海軍旧下士官集会所の保存活動をされてる某団体の
会合を見学に行った折に、呉海軍の遺産の一つでもある入船山記念館の話題が出た
聞く所によると2017年の今年は入船山記念館が開館して
50周年という節目の年を迎えるという事らしい
事に触れ知ったげに(笑)呉の歴史を語ってる僕ですが今年のGWに訪れた
呉の観光名所の一つである江田島の旧海軍兵学校見学も小学生の時以来だった
それは、入船山記念館も同様で記念館の前を通る事はあっても
小学生の時以来、館内を見学した記憶がない
個人的に今後の活動もあって(笑)これではマズいと思い
約40年振りに入船山記念館に行ってみた
入船山記念館は下士官集会所(現青山クラブ)の上手にあり真正面には
呉海軍練兵場(現呉市民広場)更に上手には昨年話題になった戦時中の呉を描いた
アニメ映画「この世界の片隅に」にも登場する呉海軍病院(現呉国立病院)があります
入船山記念館の入り口門からは、この世界の片隅にの劇中で描かれた
今でも現存する呉海軍病院に上がる石階段が見えます
この世界の片隅にの聖地巡礼場所の一つですよね
まあこの辺りから宮原、警固屋方面にかけては当時殆どが海軍の施設でしたからね
入船山記念館は飛鳥時代の大宝3年(703年)に呉浦の総氏神である亀山神社の
鎮座として定められたと言われている場所に建っています
そうです、明治時代に呉に鎮守府が置かれるまで亀山神社は
現入船山記念館の場所にあったという事です
当時の大日本帝国海軍は神をも立ち退かす力があったという事です 笑!
1889年(明治22年)に呉鎮守府が開庁し、翌年入船山に洋風木造2階建ての
軍政会議所兼水交社が建てられ、1892年(明治25年)からは
呉鎮守府司令長官官舎として歴代司令長官に公私に渡り使用されました
入船山記念館の上手にある、旧呉海軍病院から下士官集会所までの煉瓦敷きの歩道は
約260mある美術館通りと言われていますが、この道の長さは呉工廠で建造された
大日本帝国海軍最大の戦艦、全長263mある戦艦大和とほぼ同じ長さだそうです
実際に戦艦など見た事ない現代人の僕ですが
やはり大和は相当デカい戦艦だった事が想像できますね
入船山記念館の入り口門を潜って左側を見ると古い古民家が目につきます
この古民家は呉鎮守府参謀長として呉に在任していた東郷平八郎が
1890年(明治23年)5月から1年8カ月の間住んでいた邸宅の
離れを入船山公園内に移築したものです
もともと東郷邸は宮原にあったそうですが、母屋は戦火により焼失し
焼け残った邸宅の離れが移築されたんだそうです
東郷平八郎は幕末から明治にかけては西郷隆盛や大久保利通と同じ
薩摩藩島津家の武士でしたが維新後に大日本帝国海軍の指揮官として
日清・日露戦争の勝利に大きく貢献しました
同じく薩摩藩出身の大山巌と共に「陸の大山、海の東郷」と称され
国民の尊敬を集めた人物です
特に日露戦争においてロシア帝国海軍バルチック艦隊を撃破し
日本に勝利をもたらし、世界からも注目されました
そんな東郷平八郎にはこんな逸話が残っています
東郷がまだ若い頃、イギリスのポーツマスに留学していた時期に
留学先で食べていた「ビーフシチュー」に感銘を受けます
彼は帰国後、艦上食のローテーションにビーフシチューを
加えるよう軍に依頼したといいます
しかし、当時日本はビーフシチューの材料である赤ワイン
ドミグラスソース、バターの入手が困難で困り果てた軍の担当者は
醤油と砂糖で代用したのだそうです
そして誕生したのが、和食を代表する家庭料理「肉じゃが」でした
呉は肉じゃが発祥の地として名乗りを上げ「海軍さんの肉じゃが」として
大々的に売り出していますが同じく鎮守府があった京都の舞鶴も発祥の地だと言ってる
まあ、真意のほどはよくわかりませんが、肉じゃがにも諸説あるようですね 笑!
建て看板には、移築前の東郷邸の写真や、東郷井戸と呼ばれた井戸
東郷平八郎に仕えた、水野たみさんと言う方の写真も見受けられます
移築された東郷邸は別邸の離れという事で、別段豪華な造りにはなっていませんが
ここであの豪傑・東郷平八郎が暮らしていたという事を思うと感慨深いですね~
もしかしたら東郷平八郎はここで、肉じゃがを食べたのかも知れない 笑!
東郷邸は現在休息所として誰でも中に入る事が出来ます
さて、超暑いですが老体にムチ打ち腰を上げて先に歩を進めますかな! 笑!
ジャンジャン!!
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