1987年(昭和62年)・・・
ティーンエイジの頃非行少年だった、この年24歳になるY君は1982年(昭和57年)に
コアフュール宮西という美容室に入社して丸5年の歳月が流れていた
5年の間にはいろんな事があったが、先生や先輩・同僚・後輩に恵まれ
技術者として一人前にお客様の髪を切らせてもらえるようになっていた
ミヤニシに入社して5年が経った1987年春、気が付けば諸先輩たちは皆独立を果たし
Y君を含め3人の同期が立場的に一番上になっていた
ちなみに今から30年前の1987年はこんな年だった
年賀切手シリーズ 1987年(昭和62年)
3人の同期の中で一番の年少者だったY君だが彼は毎年出場する
カットコンテストにおいて優勝を含め全ての年で上位入賞を果たしていた
そんな実績もあり前年には宮西先生の恩恵で現SNOBの城戸先輩と共に上京し
美容雑誌「しんびよう」のヘアカタログの仕事をさせていただいた
しかし彼は1986年10月に独立を果たし広島の並木通りにSNOBを開業した
そして1987年、Y君は単独でしんびようヘアカタログの仕事を任せてもらったのだった・・・
作品①
・コアフュールミヤニシ ・ヘア / 山下久人 ・メイク / 高橋ユキエ(ヘアーメイク ビアンコ)
・コスチューム / ピンク ビー ・モデル / E・S
カットスタイルのポイントはグラデーションカットをベースにしてトップにレイヤーを入れます
全体に毛量調節をするために毛束に対して根元、中間。毛先と3段階にセニングを入れます
トップはウィーブカット、チョップカットをして軽さを出し
さらにノーテンションでハサミを入れて、より軽さを求めた質感にします
パーマのポイントは全体に前処理を10分して図のように
12mmのロットをオールバックに巻きます
ただし、前髪はストレートな毛流れを生かしてソフトな質感にするためパーマをかけません
<プレインズの寸評>
軽さを出してるという事ですが、前髪の軽さに対して全体が重く感じます
時代性とは言え、今見ると削ぎ方に問題があると思われますし
パーマが強めという事もあり野暮ったく不自然さを感じます
更にはトップのバックへの毛流れを見ると、
いかにも「昭和」ってニュアンスを感じざるを得ません 笑!
てか、Eちゃん・・・いたな~そんな娘が・・・何となく思い出したぞ・・・
今どこで何やってるんだろうか? きっと良いお母さんになってるんだろうな~ 笑!
作品②
・コアフュールミヤニシ ・ヘア / 山下久人 ・メイク / 高橋ユキエ(ヘアーメイク ビアンコ)
・コスチューム / フランネル ・モデル / S・K
ピンパーマで毛の方向づけをしたベリーショートです
耳の上からネープにかけてあまりハードにならないように刈り上げます
全体にレイヤーを入れて長いところでも3~4cmになるように切ります
毛の流れを自然につなげるために毛先にレザーを入れます
前髪は出すために短くして根元のあたりにセニングを入れます
仕上げは水性ポマードとヘアミストを使っています
バリエーション
ムースを全体につけてハンドブローをして少しボリュームを出してもいいと思います
仕上げ剤を変えるといろんな表情に変化しておもしろいでしょう
<プレインズの寸評>
1987年という時代は女性の刈り上げも既に一般的になった時代ですね
おそらく、しんびようからのお題はパーマスタイルという事だったんだと思いますが
パーマ感をまったく感じないし、このスタイルならパーマなしでもいけるでしょう 笑!
写真を見るとサイドパートで分け目がハッキリ見えて前髪だけ取って付けたように
なっていますが現代なら毛流れを少し変えて分け目を消して
もう少し前髪がナチュラルに見えるようにした方が無難でしょうね
ヘアースタイルは時代を映す鏡でもありますが、これらのカットベースでも
現代の削ぎのテクニックを用いて質感を整えたり
毛の流れをアレンジすれば今風にもなると思います
てか、1987年と言ったら映画「孤狼の血」の時代設定の頃だな~
あの時代の女性はこんな髪型してたんだな~
そう言えば、S子・・・孤狼の血のロケでエキストラで出てたな~
この頃は痩せてたのに、あれから成長期を迎えたんだろうか? 笑!
と、いう事でお粗末でした! 笑! ジャンジャン!!