ティーンエイジの頃擦り切れるほど聴いたロックンロールバンド「CAROL」と「COOLS」
その二つのバンド名を掛け合わせて僕が作った「CAROOLS」という造語
そんなCAROL&COOLSの70年代の楽曲にスポットを当てて当時の世相や
グループ・メンバーのエピソード、僕の思い出を書き記そうというシリーズ「CAROOLS 70’s」
今回はキャロル編として、キャロルが解散する直前の1975年4月5日に
リリースされた「GOOD-BYE CAROL」を掘り下げてみたいと思います
GOOD-BYE CAROL 1975・4・5 日本フォノグラム
<SIDE A>
1、ルイジアンナ(試作) 2、ヘイ・タクシー(試作) 3、やりきれない気持ち(試作)
4、恋の救急車(試作) 5、最後の恋人(試作) 6、涙のテディーボーイ(試作)
7、ラスト・チャンス(試作) 8、捨てたはずのコイン(試作)
<SIDE B>
1、ドライヴィン・スクール(試作) 2、キャロル曲作り風景 3、ファンキー・モンキー・ベイビー
4、憎いあの娘 5、グッド・オールド・ロックン・ロール~のっぽのサリー
6、メンフィス・テネシー 7、緊急電話
「GOOD-BYE CAROL」は異色のアルバムだ
曲のラインナップを見ると「試作」という言葉がやたらと目を引く
これは当時のキャロルのデモ・トラックや曲作りの風景などやレコードが完成するまでの
プロセスを記録したドキュメンタリー・アルバムという企画になってるんですよね
「デモ・テイクや練習風景なんかも含めて、レコードが出来るまでの
過程みたいなものが紹介できたら面白い!」
という永ちゃんのアイディアから生まれたものらしいのだが ・・・
しかしキャロルの片輪であるジョニーは著書「キャロル夜明け前」の中で
「このアルバムが製作された事を僕はまったく知らなかった
なるほどこういうものでもアルバムにしてしまえば金になるのか・・・」
と、変に感心した事を覚えていると語っている
キャロル解散の話が出た頃、永ちゃんはメンバーと過ごす時間よりレコード会社や
事務所の人間とビジネスの話をする事が多かったとジョニーは語っている
僕はこの双方のエピソードの相違こそが当時のキャロルの
永ちゃんとジョニーの状況をよく表しているように思うのだ
うっちゃんやユウさんは知っていたんだろうか? 笑!
捨てたはずのコイン(試作)
永ちゃんファンには、ソロデビューアルバム「I LOVE YOU OK」に
収録されている「雨のハイウェイ」として知られる名曲だが原曲には
「捨てたはずのコイン」という仮タイトルが付けられていた
結局、捨てたはずのコインはキャロルの曲としてリリースされる事はなかったが
ジョニーはキャロル解散の話が浮上する頃に、この曲に歌詞を書いていた
捨てたはずのコイン 作詞・大倉洋一
愛になく 孤独な世界にボクは ひとり とじ込められて
手さぐりで 愛のかけらを探して 泣いている 人形のように
できるならば ドアをあけて できるなら 抱きしめてほしい
風が吹く 愛なき世界にボクは ひとり ふるえてるだけ
あのときの 後姿が 最後の 別れだとは
できるならば ドアをあけて できるなら 抱きしめてほしい
キャロル解散の話を持ち出したのは更なる成功に向けワンマンになり
ビジネスに走った永ちゃんに対し失踪事件を起こしペナルティーを科され
自分の意見が言えなくなり肩身が狭くなったジョニーだった
しかしジョニーは本心では解散を望んでいたわけでもなかったと後に語っている
永ちゃんにキャロルを始めた頃の気持ちに戻って欲しいと望んでいたそうで
そうなればキャロルを続けていけると・・・
そんな気持ちを1974年12月20日にリリースしたラストシングルになる
「ラスト・チャンス」の歌詞に込めたそうだ
ラスト・チャンス / キャロル 1974
作詞・大倉洋一 作曲・矢沢永吉
Baby これが最後のチャンス Baby 恋が燃えつきそうな
信じられない All My Love 人の心は
だからほんとの答えをおくれ せめて最後の時に
Baby 恋はきまぐれなのさ Baby 君の瞳のように
夢に生きてる All My Love この僕なのさ
中途半端は辛いものだよ せめて別れの時に
夢に生きてる All My Love この僕なのさ
中途半端は辛いものだよ せめて別れの時に
ラスト・チャンスの歌詞が出来た時、永ちゃんは満足して喜んでくれたそうだ
しかしジョニーが欲しかったのは称賛の言葉ではなく
歌詞に込めたメッセージに気付いての答えだったそうだ
成功という現実路線を邁進する永ちゃん・・・
それでもジョニーは永ちゃんと始めた頃のキャロルに戻りたいと痛切に願っていた
これでもまだあきらめ切れなかったジョニーはラスト・チャンスのB面に収録される事になる
「変わりえぬ愛」の歌詞に永ちゃんへの最後のメッセージを込めた
変わりえぬ愛 / キャロル 1974
作詞・大倉洋一 作曲・矢沢永吉
今夜も一人で 思いふけるよ 時がすべてを変える 消えた恋
君は変わり過ぎた とどかない
昔のように甘い恋を 許されるなら夢みたい
涙は見せない 心は見えない 人は淋しがりやなのさ 誰でも
若いあやまちなのか 二人は
恋して泣いたあの気持ちを 忘れたくない今でも
昔のように甘い恋を 許されるなら夢みたい
涙は見せない 心は見えない 時がすべてを変える 消えた恋
君は変わりすぎた とどかない
今夜も一人で 今夜も一人で・・・・
キャロル解散直後の1975年7月に発行されたキャロルの自伝書「暴力青春」
この本の中の「解散への道」という項目に
「解散するか、もういちどフンドシしめてやるか、ひとりひとりが考えてみようぜ」
って言うメンバーに投げかけた永ちゃんの言葉が載っている
永ちゃんは「もう一度デビュー当時の気持ちでがんばってみようよ」
ってメンバーが言ってくれると期待してたとも書かれている
ジョニーの著書と照らし合わせると双方の思いは一致してると認識できるのに
キャロルはラスト・チャンスリリースから4ケ月後に解散する事になる
永ちゃんは、まだこの時点でキャロルはもっと上に行ける、稼げるって思ってたと思う
もしかしたらジョニーが歌詞に込めた思いもわかってたんじゃなかろうか?
永ちゃんはキャロルに商品価値があるこの時点での解散は望んでいなかった
しかしそれ以上にジョニーが精神的に現実逃避したかったという事じゃなかろうか?
永ちゃんは著書の中で「キャロルのメンバーには裏切られ煮え湯を飲まされた」と綴っている
「キャロルを続ける定義」が永ちゃんとジョニーとでかけ離れていたようにも思う
その部分が埋まらなかった事がキャロル解散の真相ではなかろうか?
話がちょっと脱線するが、ラスト・チャンスがリリースされる2か月前の10月に
放送開始されたテレビドラマ「夜明けの刑事」にキャロルが出演してる
それが「キャロルを知らない奴はおくれてる」と題された第2回の放送だ
受験生河合正彦(穂積ぺぺ)は、キャロルにあこがれており東京に出てきたが
働こうとしたキャバレーで殺人事件を目撃、金庫も破られており
その場にギターを落としていってしまったことから重要参考人として指名手配されることになる
真犯人「猿渡」にハメられたことに気づいた河合は人間不信になり
ただ一つ信じられるキャロルのいるライブ会場へ逃走
そこで河合が犯人の名前を思い出すのだが、キャロルの名曲
「ファンキーモンキーベイベー」のモンキーって言葉に被害者が猿渡に殺される直前に
「モンキー」と罵っていたのを思い出すっていうぶっ飛んだ流れ・・・ 笑!
まあ興味がある人は↓の動画をご覧あれ!
夜明けの刑事 第2回「キャロルを知らない奴はおくれてる」 1974
ま、70年代の邦画にありがちな超クサい演出ですよね 笑!
緊急電話 / キャロル 1975
作詞・大倉洋一 作曲・矢沢永吉
SEXUAL BABY BYE BYE 最後の言葉
HONEY BABY BYE BYE きざな科白で
昨日までは 君とふたり 甘い声で
楽しげに ささやいた OH YEAH
今になって 恋の夢が こわれるなんて
SEXUAL BABY BYE BYE 息もつけない夜
昨日までは 君とふたり 甘い声で
楽しげに ささやいた OH YEAH
今になって 恋の夢が こわれるなんて
HONEY BABY BYE BYE 誰の胸の中
BYE BYE BYE BYE
時代を電光石火のように駆けぬけたキャロルが最後にレコーディングした曲が
ラスト・チャンスのトリに収録されている「緊急電話」という曲だった
「緊急電話」というタイトルにはキャロルに緊急事態が起きた事を
キャロルからファンへ向けた最後のメッセージが込められていたそうだ
キャロルファンなら知らない人はいないと思うが
「緊急電話」」の曲にはシークレットメッセージが録音されている
シークレットメッセージというのはレコードを逆回転させると聞き取れるメッセージの事だ
↑のYOU TUBE動画はメッセージ部分が逆回転されているが僕は当時から
永ちゃんはなぜこんな、卑猥なメッセージを録音したんだろうと思っていた
ジョニーはこの録音に立ち会い、永ちゃんの言葉に驚愕したそうだ
自分の高貴な作品が汚された気がしたそうだ
この時ジョニーはなぜ、永ちゃんに苦言を呈しなかったんだろう?
その事も当時のジョニーの立場を物語っているような気がしてならない
キャロルの解散が正式に発表され所属事務もレコード会社も
キャロルの名前で儲けられるだけ儲けようとバタバタ動き始めた
全国縦断の解散コンサートのスケジュールが組まれ
今回の本題である「GOOD-BY CAROL」が発売され
メンバー4人がキャロルを語る「暴力青春」の発売も決まった
ツアーが始まった頃メンバーはふっ切れたように雰囲気もよくなり
演奏も充実したものになりキャロルは頂点に達した
そして伝説になる1975・4・13の日比谷野音を迎える事になる
その辺りはまた次回という事で今日はこれまで!
てか、↑のラスト・チャンスのポスター、昔部屋に貼ってたんだけど
どこに行っちゃったんだろうか?! 笑! ジャンジャン!!
おまけ
え~10月という事でまだまだ先の話になりますが、10月8日(日)に
呉のFelixというカフェで広島YAZAWAファミリー主催のイベントが開催されるようです
勘違いしないで下さいよ、永ちゃんご本人が来るわけじゃありませんからね 笑!
僕はこのイベントは毎年仕事で参加した事ないんですが聞く所によると
永ちゃんファンが集まって生演奏でカラオケ大会をするらしい
と、いう事で偽永ちゃんや永ちゃんモドキは沢山いると思われます 笑!
まあファン同士の交流の場という感じのイベントだと思います
ご興味がある方は0823-23-9817までお問い合わせくださいね!
てか、10月8日と言ったら呉は亀山神社の祭りであり
第7回呉オールドモータースミーティングの前日じゃないか
きっと僕は準備に追われてると思います 笑!