今から遡る事、約36年前の1981年(昭和56年)頃に
若者を中心にネオロカビリーブームが勃発した
ブームに伴い1950~1960年代のアメリカンオールディーズナンバーが流行り
ファッションにおいても革ジャンやジーンズなどのロックンロールファッションや
古き良き時代のアメリカの50s’ファッションが大流行した
そのブームの火付け役となったのが先月の記事「伝説の怪人二十面相」に
登場した山崎眞行氏が1976年(昭和51年)に立ち上げた「クリームソーダ」だった
伝説の「怪人二十面相」の記事 https://blogs.yahoo.co.jp/prains237/15262633.html
北海道から上京した山崎氏は「怪人二十面相」を皮切りに次々と
ロックンロールスナックを開店して成功させた
次なるアイテムとして山崎氏が目を付けたのがファッションだった
当時の東京はまだ古着屋も、ロックンロールの洋服を売る店も存在しなかった
フィフティーズを好む一部の愛好家はフィフティーズファッションのルーツでもある
IVYファッションを着崩したり、親の当時物の洋服を譲り受けたり
自分で制作したりしていたのだ
ちなみに、古き良きアメリカの50s’を指すフィフティーズという和製英語を考え
定着させたのも山崎眞行氏だったそうだ
学生闘争が終わりシラケ時代になり若者は髪を伸ばしフォークソングで心の叫びを歌い
ヒッピーに魅せられた者はサイケデリックなファッションに身を包み
マリファナやトルエンを吸引して現実逃避を図ってた1970年代初頭
そして1970年代半ば、キャロルやクールスの登場でロックンロールは
エネルギーを持て余してるちょっとヤンチャな若者に支持された
彼らのスタイルはバイクファッションから端を発した黒い革ジャンに
ジーンズ、リーゼントという不良のマストアイテムだった
彼らを支持した不良たちや暴走族は挙って革ジャンを買い求めるようになる
そこに目を付けた山崎氏はアメリカやイギリスに渡り古着の革ジャンを安く大量に
買い付ける事を思い付き、クリームソーダで売ると飛ぶように売れた
仕入れは革ジャンだけに留まらずフィフティーズファッション全般に及ぶようになる
あまりの売れ行きに商品が追い付かなくなったクリームソーダでは
自社ブランドを立ち上げオリジナル商品を製作するようになる
それがあのドクロマークの「クリームソーダ」ブランドだった
11PM 山崎眞行
(左がオープン当時の1976年、右が改装された1978年頃のクリームソーダ)
1970年代後半、ロックンロールと並行して若者に支持されたのが
流行の洋楽で踊るディスコというダンスホールだった
やがてディスコブームは1980年に「竹の子族」というカルチャーを生み出す
暴走族対策で歩行者天国となった日曜日の原宿で彼らは
原色の奇抜なファッションに身を包みラジカセで
流行りのディスコミュージックをかけて踊るようになる
僕の私感では1970年代半ばから1980年代初頭は
複数の不良カルチャーが淘汰した時代だったと思う
暴走族は基本、革ジャンだったが特攻服を着る右翼団体系ファッションも出てきた
後の旧車會のハシリだが、土木作業員が着るような、ドカジャンや
鳶職が履くようなハイウエストのニッカズボン(?笑)も好まれた
女性物のビーズが付いたようなサンダルや便所下駄を履く事もあった
なぜかジャージも大流行して呉では新風連合に端を発したアディダスの
黒字にオレンジの3本ラインが流行り、その後ミズノのグラデーションラインの
スーパースターや、アシックスの1本ラインジャージが流行った
竹の子族はアラビアンナイトみたいな中東民族衣装的なデザインの
紫やピンクなどの派手なサテン地のファッションで統一して踊っていた
フィフティーズほどのブームにはならなかったがパンクも台頭し
イタリアンスクーターに乗るモッズやカフェレーサーのバイクに乗る
ロッカーズも一部では支持された
ロックンロール、暴走族、竹の子族、パンク・・・
何が主流になるかは予想も出来なかったが
次々に押し寄せる波に確実に時代は翻弄されていた
かく言う僕自身も当時、それらを気分やシュチュエーションで着分けてましたね 笑!
(1980年代に入った頃のクリームソーダ)
1981年(昭和56年)になるとフィフティーズを含めたロックンロールが頭一つ抜け出した
日本の不良な若者が最も注目する街、東京原宿においても竹の子族は廃れ
代わってホコ天で踊るようになったのがローラー族と言われた
ロックンロールを支持する若者たちだった
ブームに乗り、不良高校生や暴走族など猫も杓子もフィフティーズ寄りに走った
不良高校生のヨコスカ(ボンタン)の右後ろのポケットからは
クリームソーダの長財布のドクロが覗いてた
同年にアメリカンオールディーズバンド「ザ・ヴィーナス」の「キッスは目にして」が大ヒットし
クリームソーダの店員で結成された「ブラックキャッツ」もデビューし注目された
そしてネオロカビリーブームが勃発したのだが、そのムーブメントを起こした
レジェンドは、まさしくクリームソーダであり、山崎眞行氏だった
クリームソーダがあった原宿から渋谷をつなぐ遊歩道、明治通りの宮下公園 付近から
渋谷区心身障害者福祉センター付近まで続く道をキャットストリートと名付けたのも
山崎氏だったし、今でもその名前が残っている事も凄い事だと思う
クリームソーダ原宿 / ガレージパラダイス / ブラックキャッツ
クリームソーダの姉妹店だった「ガレージパラダイス」も繁盛した
それらに習い「ペパーミント/アット・ザ・ホップ」や「カルコーク」、「ハイヒール」など
沢山のフィフティーズファッションブランドショップが乱立した
ハリウッド・ランチ・マーケットを皮切りにシカゴ商会などの古着屋も次々と登場した
全国の高校生は修学旅行で東京に訪れると必ず東京タワーとクリームソーダに行った 笑!
クリームソーダ系列の店に行けばロカビリーバンドのブラックキャッツのメンバーに会えるのだ
AKB48が実際に会えるアイドルの元祖みたいに言われるが
そのハシリとも言えるレジェンドは個人的にはブラックキャッツだと思う
僕は高校1年で退学になってますから修学旅行には行っていませんが
ウチの大明神様は修学旅行でクリームソーダに行って
ブラックキャッツのボーカルだった高田誠一さんと記念写真まで撮ってますからね
あの頃、ドクロのタグが付いた長財布やコーム、グリース、ステッカーは
飛ぶように売れたでしょうね~
原宿から渋谷に抜ける明治通りの一歩奥に入った場所にある
「ピンクドラゴン」は、実業家、山崎眞行氏の集大成だ
乏しい資金で始めた1968年のキングコングオープンから約15年で
原宿の一等地に屋上にプールまで設置されたビルが建った
まさに山崎氏はジャパニーズドリームを達成したのだ
しかし、このブームも長くは続かなかった・・・
その辺りはまた明日という事で今日はこれまで! ジャンジャン!!