(怪人二十面相店内)
今から遡る事49年前の1968年(昭和43年)、東京新宿に
その後伝説となるROCK SHOP「怪人二十面相」がオープンした
店のオーナーは後にファッションブランド「クリームソーダ」を創設し
彼の人生を讃え原宿ゴールドラッシュと言われた山崎眞行氏だった
北海道の炭鉱の町で生まれた山崎氏は高校卒業後に上京し
当時まだ閑静な住宅街だった原宿を若者の街に塗り替えた
その原点になったのが新宿伊勢丹横のビルの4階にオープンした
怪人二十面相だったのだ
怪人二十面相は日本初のロックンロールスナックと言われ
たちまち若者に人気の店となる
店にはドアノブがなく、ベルを鳴らして店員を呼んで
チェックを受けて入店するシステムだったらしい
店は変形5角形の間取りになっておりパイプベットにベニヤ板を置いて
テーブルとして使っていたそうだ
店を開店する資金が乏しかった山崎氏は、ほぼ手作りで店を作ったそうだ
前例のない斬新なショップである怪人二十面相には流行に敏感な若者に交じり
多くの著名人や後に各分野で成功を収めるスターの卵たちも出入りしていたそうだ
そんな中には永ちゃん率いるキャロルや後にクールスになるメンバーたちもいたそうだ
キャロルは怪人二十面相で何度かプライベートライブも行ったそうだ
その時の事をキャロルのメンバーだったジョニー大倉さんは著書の中でこう語っている
僕たちがよく飲んでいたのは怪人二十面相という
オールディーズバーでそこはキャロルの行きつけの店だった
怪人二十面相は新宿にありキャロルの所属事務所である
バウハウスのすぐ近くだった
やり手の店主が、ぜひキャロルに遊びに来て欲しいと
事務所にもちかけたのがきっかけで
場所が近い事もあり僕たちはこの店の常連になった
何度かこの店のステージで演奏した事もあるし
ATG映画「キャロル」の中でも紹介された店だ
僕とウッチャンは怪人二十面相の暗い店内で
毎晩酒を飲みながら音楽談義を交わした・・・
もちろん当時片田舎の小学生だった僕はリアルタイムの怪人二十面相なんて知らないし
行った事もないから確証は持てないが↑は怪人二十面相のステージなんだろうか?
どなたか詳しい方がおられたら是非、ご教授いただきたい!
更には僕はATG映画キャロルは全編通して観た事なく
YouTubeで途切れ途切れで見た程度だがキャロルのメンバーが
怪人二十面相の階段を上がって店内に入る映像は見た事ある
怪人二十面相はビルの4階にあったそうだがエレベーターはなかったそうですね
この写真はATG映画「キャロル」のエンディングロールの一場面だが
キャロルのメンバーの名前の下や元NHKディレクターで同作品の監督を務めた
瀧村仁さん同様に製作の欄に怪人二十面相の名前がある
1973年(昭和48年)、当時まだ閑静な住宅街だった原宿に目を付けた山崎氏は
原宿にAmerican feeling shop 「KINGKONG」をオープンさせる
ちなみにこの時点ではまだ怪人二十面相も同時営業していたようだ
当時山崎さんは親交のあった日本のスタイリストの草分け的存在だった
ヤッコさん事、高橋靖子さんの原宿明治通りの自宅に風邪の見舞いに訪れる
その帰り道に明治通りに貸店舗のビラを見つけた山崎さんは何を思ったのか
その場で即決して賃貸契約を結び、あっという間にキングコングをオープンさせた
山崎さんの半生を描いた森永博志さんの著書「原宿ゴールドラッシュ」には
当時永ちゃんもキングコングによく来ていて店内で一度ヤクザもんと揉めかかったが
永ちゃんは一歩も引かなかったという件の事が書いてあったな~
(キングコング店内)
キングコングは基本的にはスナックだったそうだが昼間から営業していたそうで
明るいうちは高校生などのお客さんも多かったそうだ
キングコングは地下にあったそうで窓がなく店内も狭かったから
一見客には ちょっと敷居が高く、殆どの客が常連客だったそうだ
ちなみにキングコングの店員は赤いVセーターに白いコッパン(コットンパンツ)だったそうだ
キングコングをオープンさせた頃、山崎さんは激しい恋に落ちたそうだ
その恋のお相手とは・・・
当時資生堂などのCMなどで活躍したイギリス人モデルのヴィヴィアン
山崎さんは友人のカメラマンに貰ったヴィヴィアンのポートレートを店に飾っていたそうだ
そんなある日、スタイリストのヤッコさんが仕事の関係で知り合った
ヴィヴィアンをキングコングに連れて来た
山崎さんはヴィヴィアンに猛アタックをかけ恋は成熟したという事だ
ちなみに後に山崎さんがプロデュースする事になるロカビリーバンド「BLACK CAT’S」の
セカンドアルバムのタイトルは「vivienne」と名付けられヴィヴィアン本人も参加している
キングコングの成功を得て翌年1974年(昭和49年)に山崎さんは3店舗目となる
「SINGAPORE NIGHT」を原宿にオープンさせる
確か店の名前は山崎さんとヴィヴィアンがシンガポールで
デートした時の想い出が由来になったんじゃなかったっけ?
シンガポールナイトはトロピカルな南国ムードが漂う雰囲気だったそうで
店内も広く原宿でのデートに使われるような洒落た感じだったそうだ
DJブースもあったそうで、スタッフが交代でレコードを回していたそうだ
壁には怪人二十面相、キングコング同様に日本における50’sロックンロールの世界観を
確率したとされるイラストレーターのマシンガン・ケリー氏のペイントが描かれていた
ちなみにシンガポールナイトの店員は青いVセーターに白のコッパンを履いていたそうだ
(シンガポールナイト店内)
当時ルート20の暴走族の総長だった遠藤夏樹さんの青春時代を描いた
彼の著書「原宿バット・エンジェルス」にクールスのムラさんと
シンガポールナイトで遊んだ時の件が綴られている
50年代のアメリカとトロピカルをミックスしたような店はブルーの外壁で
英語の単語なのか文字が幾つも並び数字が書いてある
店の前後にはフィフティーズの奴らが好んで乗るVWビートルや
オールドなアメ車の改造車が数台停まっていた
辺りはまるでアメリカン・グラフティーの映画に出て来るような
雰囲気のシュチュエーションだ
(怪人二十面相のスタッフ(左)とシンガポールナイト店内のファニーカンパニーの横井康和氏)
俺たちはムラさんと店の中で座っていた
店内の雰囲気に圧倒され周りを見ていた
ゆったりしたスペース、外観もそうだが店の中は
まさにロックンロールとトロピカルの空間だった
ペパーミントグリーンで統一された壁面には映画のアメリカン・グラフティーの
ワンシーンのような絵が描かれている
壁には50年代のアメリカを思わせる小物が幾つも貼られている
ジュークボックスからはロックンロールの曲が心地よいボリュームで流れ
所々に観葉植物が置かれていた・・・
(上海娘店内)
シンガポールナイトがオープンした時は、怪人二十面相とキングコングの
3店体制の営業だったそうだが、まずは怪人二十面相が閉店する
次にキングコングが閉店して「アイ・アム・ターザン ユー・アー・ジェーン」って店が出来たが
なぜかこの店は一瞬で閉店したそうで、次に「キャロル」という店が出来た
で、シンガポールナイトが閉店して「上海娘」「ランデブー」という店が出来たそうだ
上海娘は山崎さんが手がけた店では一番大人っぽい内装でエキゾチックな
上海の夜というイメージだったそうで客の年齢層も比較的高かったそうだ
オリエンタルを意識していたそうで実際にチャイナ服を着た女性スタッフがいたそうだ
(ランデブー店内)
ロックンロールダイナーの「ランデブー」は上海娘と、ほぼ同時期にオープンしたそうで
両店舗は広い間取りだったそうで、マシンガン・ケリーが
ダギー・フィールズ風の絵を描きよりフィフティーズ色が強くなったそうだ
北海道から単身上京し、無一文からのし上がった山崎氏を評して
彼の功績は「原宿ゴールドラッシュ」と呼ばれた
今回紹介したのはダイナーやバーの飲食系のショップだが彼は古着屋から発展させた
「クリームソーダ」という50’sファッションブランドも立ち上げましたからね~
その辺りの事は、また近いうちに記事にしようと思います
山崎眞行さんの残した格言に
「人生の宝は、いつもあなたの足元にある」
という言葉がある
確かに時代性はあったろうが間違いなく彼には情熱と先見の明があったんだと思う
2013年3月に山崎さんがお亡くなりになって、早4年が経とうとしている
こうして記事を書きながら改めて山崎さんの功績を再確認しましたね
でもいい時代だったんだろうな~ 体験したかったな~! 笑!
と、いう事で山崎さんがプロデュースしたBLACK CAT'Sが1981年にリリースした
セカンドアルバム「vivienne」からヴィヴィアンが歌う「CAT’S EYES」をお届けして
今日は終わりにしようと思います! ジャンジャン!!
CAT’S EYES / BLACK CAT'S & vivienne 1981
作詞:VIVIENNE 作曲:東山光良 訳詞:BLACK CATS