お亡くなりになった松方弘樹さんを偲んで先日「仁義なきの面々の現状」という記事を書いた
戦後における呉で始まったヤクザ戦争を描いた実録路線やくざ映画の
「仁義なき戦い」は もはや僕にとってはバイブル的な作品であるが記事を書いていると
無性に作品が観たくなり全5巻と呉のヤクザを描いた別作品2本をレンタルして見直した 笑!
いや~ 何度見ても面白い物は面白い!
僕は当時の呉・広島におけるヤクザ抗争の実際の登場人物や内容について
マニアのように詳しくはないが大体の流れは把握していると思う
しかし以って作品中で、あくまで個人的な解釈だが当時の呉の
数人の所謂「大物」が登場しない事に少し違和感を覚えるのだ
その一人はシリーズ1で名和宏さんが演じた土居組(土岡組)の土居清(土岡博)親分の
若衆だった後に「最後の博徒」と言われ映画にもなった「波谷守之」氏
もう一人はやはりシリーズ1で伊吹吾郎さんが演じた上田組(小原組)の上田透(小原馨)親分の
若衆だった後の四代目共政会最高顧問・三代目小原組組長となる「門広」氏だ
門広氏に至っては「新・仁義なき戦い」には登場するのだが・・・
そんな門広氏にも半生を描いた実録Vシネマがあるのをご存知か?
それが冒頭の「実録・鯨道10 広島ヤクザ抗争史 総完結編 猛侠・門広」なんですよ
この作品は2009年に制作された物だが、個人的な見解で言わせてもらうと
出演者を見てもらえれば一目瞭然だが、やはり仁義なき戦いのクオリティーには到底及ばない
何せ仁義なき戦いで伊吹吾郎さんが演じた小原馨組長を欽ちゃんファミリーの「小西博之」さん
金子信雄さんが演じた山村辰雄組長を何とコメディアンの「せんだみつお」さん 笑!
仁義シリーズ1で梅宮辰夫さんが演じた悪魔のキューピー事
大西政寛さんを元アイドルの「中村繁之」さん
松方弘樹さんが演じた佐々木哲彦さんに至っては僕が名前を知らない長髪の俳優だ 笑!
主役の門広さん役を演じたのは↑の名倉健太郎という役者だと思うが
恥ずかしながら僕は彼の事は、この作品以外で見た記憶がない
しかし、特筆されるのはこの作品は仁義なき戦いと違い殆どの登場人物が実名で出て来るし
僕が知りうる限りでは、ある程度史実通りに描かれていると思う
(写真前列左から二人目が小原馨組長、3人目が小原光子夫人、後列右端が門広氏)
門氏が最初に起こした事件は当時小原組と揉めていた土岡組との抗争で土岡組の
悪魔のキューピー事、大西政寛さんに日本刀で右腕を切り落とされた小原親分の
敵討ちの流れとして波谷さんの弟分の沖田氏を射殺した事だろう
その時の事をある資料によると門氏はこう語っておられる
波谷と関わりをもったのは土岡組の沖田という若い衆を殺した事件がきっかけじゃった
沖田は波谷の舎弟じゃったが、喧嘩の原因は祭りの時のちょっとしたこと
その喧嘩は土岡と小原の幹部連中が「まあ、仲良うやろうや」で終った
ところが気持ちの収まらんかった沖田は夜の10時ころ小原組事務所に来てドンドン戸を叩いた
何かのォ思うて一応拳銃を持って見にいくと沖田が日本刀持って彼女と一緒に殴り込みに来てた
命懸けの喧嘩に女を連れてくるヤクザも珍しい(笑)
沖田はわしに気がつくと日本刀抜いて飛び掛ってきたので、沖田に向けて一発撃った
弾は沖田の胸を貫通したはずなのに、沖田は倒れもせん、日本刀も放さんからもう一発撃った
沖田は身体をひねって避けようとしたので、尻のあたりに入って抜けた、さすがの沖田も倒れよった
2mの距離から45口径を二発も撃ったんじゃから死んだと思うたよ
わしは事務所に帰らずまっすぐ交番に向かった
「人を殺してきた、すぐそこで死んどるけん」言うとお巡りは信用せず「嘘言えーっ」言うから
「嘘じゃ思うなら調べてこいや、わしここで待っとるけん」と言うてもポカンとしちょる
拳銃も持って出頭しとるのにボケた奴よ
面倒くそうになったんで「ほいじゃわし、帰るで」言うたら
あわてて「ちょっ、ちょっと待っちょくれ」(笑)
わし、この事件で10年打たれた
ほいで広島刑務所に収監されたわけじゃが、そこに波谷がおった
今思うと、わしもよう吠えちょったね、刑務所の中で
沖田の兄貴分の波谷が間近におるし、こいつを生かしとったらわしの恥や!
何とか刑務所のなかで始末しちゃる!シャバで殺すよりその方が刑も軽い
そう思って毎日暮らしとったわ・・・
この辺りはVシネマにほぼ忠実に描かれている
(左、門広氏の盟友、石谷恒雄氏)
二度目は結果的に門氏が実行犯ではないが呉・広島の絵図を塗り替えたと言われる
山村組若頭の佐々木哲彦氏射殺事件の首謀者として20年の刑を食らった
抗争の流れで小原馨組長が射殺され小原組は妻の光子さんが
跡目となっていたが女は正式な組長にはなれない
佐々木氏は自分が経営する遊郭に小原組組員を招集して言った
岡崎義之を小原組二代目とする・・・ 岡崎氏は佐々木組の若頭である
その案に一人敢然と反対する門広氏を一蹴
岡崎氏の襲名披露の日取りまで決めてしまった
門氏は小原馨組長の実弟小原光男氏を推したが無駄であった
そればかりか昭和34年7月14日、佐々木氏は造反分子の門氏を岡崎氏の
二代目襲名式の前日配下に襲撃させた
門氏は一命を取り留めたが佐々木氏を殺る事を決意する
門氏は自分で佐々木氏を殺る覚悟だったが、それを知った若い衆が実行役を買ってでた
三宅譲氏と平本義幸氏だった
その時の事を門氏の盟友の石谷氏は後にこう語っておられる
(当時のビリヤード場「廣一」の前)
佐々木さんはビリヤード場「廣一」から出て来ると数メートルほど離れたところに立っていた
三宅と平本に気づいて手招きした、まさか二人が刺客とは夢にも思うておらんかったようじゃ
三宅はゆっくりと佐々木さんに近づいて「こんにちわ」と頭を下げた
平本の方は、何を思うたか別の方面へ走って行った
あとで聞いたら、拳銃がうまく操作できるか心配になって
近くのデパートの便所で確かめよったそうじゃ
佐々木さんは平本が走り去っても、何の疑問ももたんかった、三宅も落ち着いとったしね
挨拶したあと、佐々木さんがタバコを取り出したんで三宅がマッチを擦り
佐々木さんは少し背をかがめるようにしてタバコに火をつけた
そこへ平本が走って戻り、三宅の肩越しに佐々木さんを撃った
どこに当たったかわからんが、ともかく最初の一発が命中し、佐々木さんは倒れた
佐々木さんは、その後すぐに起き上がって平本らに後ろ見せながら走って逃げた
平本はその背中を狙って五、六発撃ち込んだ
佐々木さんはまた倒れ、動かなくなったのを見届けると、三宅が平本に何か囁いとる
わし(石谷氏)はもう完全に命を奪ったと思い、三宅と平本に
「早うこっちこい逃げるんじゃ!」と怒鳴ったら平本だけが逃げ出した
平本はあわてたのか打ち合わせと違う方へ逃げよった・・・
こうして佐々木哲彦さんは射殺されたのだが、この時駆け付けた救急隊員の一人が
尾崎さんの父だった事は誰にも知られていない 笑!
仁義なき戦い最後の大物と言われた門広氏は1999年(平成11年)に
お亡くなりになられたが僕は高校を退学になってフラフラしてた頃に
先輩に連れられて何度か事務所に行き門氏に会った事がある
さすがに当時16歳だった僕のような鼻タレ小僧の事など眼中にはなかったろうが
当時は中通りや夜の繁華街でも時々若衆を連れてらっしゃる門氏を見かけた
僕がミヤニシに勤めてた頃には当時のミヤニシの隣にあった
服地のローズメリーでもよく見かけた
門氏には強烈なオーラがありファッションも個性的だったが
服を仕立てる生地を見ておられたのだろう
忘れもしない、僕が美容雑誌「しんびよう」の撮影で
東京に向かう飛行機で席が隣になった事があった
席に着くなり門氏は睡眠に入られ窓際の席だった僕はトイレにも行けなかった 笑!
羽田空港には黒塗りの高級車数台と
一目見てその業界の人とわかる面々が出迎えに来られてた
晩年の門氏は時々雑誌などのメディアにも出てらしたようだが何とご自身が
作詞された歌を数曲リリースもされていらっしゃる
空想
作詞・門ひろし 作曲・大野
この「空想」の他にも「極道花」「おれの道」「女賭博師」「度胸太鼓」など
数曲を手掛けられておられるようだ
門氏が享年何歳で他界されたのかは僕にはわかりませんが
彼はご自身の人生で約30年は獄中にいたと語られている
仁義なき戦いの抗争では多くの方の命が失われましたが獄中にいたからこそ
命を失わずに済んだ方も多くいらっしゃるのではなかろうか?
渡世の世界では生きながらえる事が決して美学ではないのでしょうが
そこに僕はある種、男の美学を感じるしロマンを感じるのです
大人の男は往々にして歴史好きが多いものですが一家や親分を第一に考える所に
戦国武将にも似たニュアンスを感じる事も理由の一つなのかも知れませんね
と、いう事で全国の仁義なき戦いファンの皆様!仁義なき戦い同様に
「最後の博徒」と「実録・鯨道10 広島ヤクザ抗争史 総完結編 猛侠・門広」も
合わせて是非ご覧になってみて下さいね! ジャンジャン!!