今年の3月19日から甲子園球場で行われる、第89回選抜高校野球大会に
呉の高校としては1963年(昭和38年)春の呉港高校以来、54年ぶりとなる
呉市立呉高等学校の出場が決まった
大変おめでたい話であり、市立呉硬式野球部関係者には
心から「おめでとう!」と言いたいのだが・・・
歴史を紐解いてみると呉の高校が甲子園大会に出場したのは過去13回で
戦前の1932年(昭和7年)に呉港の前身である大正中が初出場を果たし
翌年の1933年(昭和8年)に大正中は春夏と連続出場している
1934年(昭和9年)に大正中は呉港中と校名を変え夏の大会に出場
この年に後に初代ミスタータイガースになる藤村富美男さんを擁した呉港中は
決勝戦で後に巨人軍に入団する川上哲治さんを擁する熊本工業を撃破して全国制覇
以降、1935年(昭和10年)夏、1936年(昭和11年)春夏、1937年(昭和12年)夏
1939年(昭和14年)春と呉港は毎年のように甲子園大会に出場していた
第二次世界大戦後は1950年(昭和25年)夏に僕の母校である
呉工業高校の前身である呉阿賀高校が出場
翌1951年(昭和26年)春に後に巨人軍で長嶋茂雄さんと
三遊間を組む事になる広岡達朗さん擁する呉三津田高校が出場
そして1963年春に呉港高校が出場したのが呉勢の出場最後という事だ
54年ぶりに呉から甲子園出場を決めた市立呉は1997年(平成9年)まで
広島県立呉豊栄高等学校という女子高だった
1998年(平成10年)に呉市立呉高等学校となり男女共学校になって
過去尾道商を甲子園に3度導いた経歴を持つ中村信彦監督を招き
野球部を設立して、呉市が強力にバックアップして専用球場を建設したり
j地元中学の有望選手を積極的に招聘したりして甲子園出場を目指した
2015年(平成27年)夏は準決勝で広陵高校に勝利も決勝で広島新庄高校に惜しくも敗れた
で、2016年秋は中国大会に進出し準優勝し、2017年のセンバツ出場が決まった
呉市立呉高等学校硬式野球部の中村信彦監督(62)は
「最後の奉仕だと思って何とか夢を叶えたいと思って市呉に来たので特別な思いがある」
と、語られたそうだ
呉の高校が54年ぶりに甲子園に出場するという事は呉の人間である僕にとっても
とても嬉しい事なのであるが、僕には嬉しい反面情けない感情があるのだ
ウチの次男の母校でもあり野球部OBでもある私学の呉港高校はいったい何をやってるのか?
スポーツ新聞の見出しに「呉港以来・・・」って書かれて悔しくないのか・・・
約10年前の事だから時効と言う事でお話しますが思い返せば
次男が呉港から勧誘された時に理事長を始め当時の校長、教頭
硬式野球部OB会長などそうそうたる方たちと懇談したが彼らは大風呂敷を広げた
ちょうど市立呉が野球部を創部した頃の話だ
呉港首脳陣は甲子園出場実績のある監督を招いてグランドも造り直し
学校も全面バックアップして本気で甲子園を目指すと・・・
その熱意を信じた僕は次男と話し合い地元の呉港高校入学を決めた
僕にとっても呉から甲子園に出るというのは夢でもあり悲願でもありましたからね
しかし実際に入学してみると、学校首脳が入学前に言ってた話と全然違う
確かに新監督は迎えたが何の実績もない5時になったら帰ってしまうような
「5時まで監督」で野球部は荒れ放題で甲子園と言うより野球をする以前の問題だった
僕は保護者会副会長として野球部の体質改善や入学前の約束を訴え続けたが
結局ノラリクラリとかわされ不完全燃焼で3年間は終わった
当時の事を今思い出しても腹立たしく思わない事もないが、それらはもう過去の事だし
今更恨んでもないし逆にいい経験だったのかもと思う節もある
政治の世界だって政治家は選挙前には大風呂敷を広げ公約を述べるが
選挙が終われば公約はノラリクラリとかわされ私利私欲や保身に走りますからね
高校野球においては甲子園に出るという事が最大の目標なのかも知れませんが
高校野球をする目的は人間形成を含めいろんな要素がある事は確かだ
しかし学校サイドが本気で甲子園出場を目指し常勝チームを作るのであれば
学校サイドは口先だけじゃなく最低限やらなければならない事があると思う
これはあくまで私見だが結局試合に出るのは選手だから有望な選手を集める事が最重要だ
そんな有望な選手は何を求めて希望校を決めるのか?
①実績のある学校と指導者 ②大学やプロへのパイプ
③入学の待遇 ④グランドや寮などの環境
学校サイドが野球に取り組む熱意があるという事は当然の事だがこれらの条件を
高いレベルで提供できる学校が甲子園に出る確率が高いと思う
稀に強豪校ではない公立校が勢いで出る事はあるが常勝チームにはなれない
とどのつまり、甲子園に出る学校を作るには金がかかるという事だ
ある程度のベースが出来てる学校ならいざ知らず新参の学校だったら
どれだけ資金が出せるかという事が現実的な目標達成方法論なのだ
呉から54年ぶりとなる初出場の市立呉も呉市がバックアップして相当の投資をしたと思う
新参高だから学校としての大学やプロへのパイプは希薄だと思うが
実績のある中村監督を迎える事で監督のパイプで補ったんじゃなかろうか
広の虹村には呉市の財政で立派な専用球場も作って見せた
私学じゃないから特待生などの裏条件の事はわからないが
地元呉の有望中学生を中心に口先だけじゃない誠意を示し熱心に勧誘したんだろうと思う
それでも目標達成するのに実績を積みながら10年の歳月がかかったという事だ
この理論は広島県の高校野球の歴史を見ても当てはまる
長らく続いた「広商」「広陵」時代に割って入った新参高の「如水館」や「高陽東」もそうだったし
昨今では「総合技術」や「新庄」も同じような経緯を辿っている
だから学校サイドの首脳が口先だけで噓を言うような学校では・・・ 笑!
まあ、兎にも角にも市立呉には呉の代表として甲子園で頑張っていただきたいし
更には夏の大会で是非広島県代表の座を掴み取ってほしいですね! ジャンジャン!!