2015年12月7日(月)22:00~22:48にNHK総合にて放送された
プロフェッショナル 仕事の流儀では「一徹に直す、兄弟の工場」と題して
自動車整備士・小山 明さん・博久さん兄弟が取り上げられた
小山自動車は、広島県福山市にある小さな自動車整備工場だ
「神の手を持つ」と評される小山明さん・博久さんの老兄弟が
「神の手を持つ」と評される小山明さん・博久さんの老兄弟が
半世紀にわたり二人三脚で営んで来られました
この兄弟はディーラーですらサジを投げたアライメント調整も
他店では直らないと言われた車でも力を合わせ蘇らせてしまう
彼らの辞書に修理不可能という文字はないという内容だった
NHKプロフェッショナル 仕事の流儀
自動車整備士 小山明・博久の仕事 「一徹に直す、兄弟の工場」
僕もこの番組はリアルタイムで見たのですが自分の住む広島県内に
こんな整備士さんがいるのかと大いに興味をそそられた
同じ広島県内だし、出来ればいつか工場を尋ねて、お二人にいろんな話を聞いてみたいと思った
そうこうしてるうちに時は過ぎ、番組放送から約1年余の時が経っていた
1月24日月曜日 天気 曇り時々晴れ
と、いう事で事前に小山さんにアポを取っていた僕は
先日の月曜日に一路、福山の小山自動車さんに行って来ました
当日は冬用タイヤを装着していないゴルフが寒波の影響での積雪・凍結で
山陽道が走れるのかどうか心配でしたが何ら問題なく到着しましたね
(左) 兄 小山明さん 73歳 (右) 弟 小山博久さん 65歳
小山自動車さんの創業は1959年(昭和34年)
2017年の今年で58年という事で代表の明さんは2代目社長なんだそうですよ
兄の明さんは主に車検整備担当だそうで車の安全性を追求し
車検には不要な洗車を欠かさないそうだ
洗車することで壊れたパーツを見逃さずに直すためだそうだ
当日も黙々とリフトで上げた車の裏まで高圧洗浄機を使って洗車されてましたね~
弟の博久さんは故障車の整備を担うそうで、後継ぎになる予定?の
ご子息とあれやこれやと相談しながら整備を行われておりましたね
男の子は父親の背中を見て育つと言いますが傍目に見て良い光景だと思いましたね
博久さんの経験と技術を超えるのは容易じゃないとは思いますが
いつかは父の背中を越えられるように精進して頂きたいものです
せっかく呉から来てくれたのだからとゴルフのボンネットを開けて
あれこれと整備について話を聞かせて下さいました
お兄さんの明さんは最初寡黙な方といった印象でしたが
弟の博久さんと息子さんはとてもフランクで沢山お話を聞かせて下さいました
ご兄弟は若い頃からレースにも携わっておられたようで1969年(昭和44年)に
呉市の野呂山に中国地方初のサーキット「野呂山スピード・パーク」がオープンした頃に
サニーのレーシングマシーンを製作してメカニックとしてレースに参戦されていたそうです
自動車メーカーもレースに参戦する事で自社のテクノロジーを上げるように
昭和の整備士さんもレースに参戦する事で自らの腕を上げていた
昨今は車もバイクもメーカー管理のコンピューターの時代で
町工場の整備士さんでは手が出せない物も多いらしい
乗り物が安全且つ高性能になる事は時代の産物でもあり良い事ではあるのですが
個人的にはある意味乗り物の面白さの一部を失ってるとも言えると思うんですがね~・・・
工場内には約半世紀前の野呂山スピード・パークでの
レースシーンの色褪せた写真が飾られてました
やはり個人的には1960~1970年代のレースシーンはマシンもカッコいいけど
レース場の空気感が何とも言えずノスタルジーで魅力的ですね~
更には博久さんは古いアルバムを持ち出して来て野呂山スピード・パークでの写真や
1971年(昭和46年)に中国地方で2番目に出来た岡山県の
中山サーキットでのレースの写真を見せて下さった
(写真は1971年の中山サーキットのオープンセレモニー 右から2番目が増田建基さん)
「小山さん、僕の仲の良かった呉の知人に当時野呂山や中山で走っていた、後にマツダの
ワークスレーサーになられる増田建基さんて方がいたんですけどご存じありません?」
「いや~ 建基さんならよく知ってるよ!当時凌ぎを削った間柄じゃけんね
名前覚えてないけどメカニックやってた人も、マネージャーやってた長沼さんも覚えてるよ・・・」
「長沼さんは今でもお元気ですが、建基さんは6年ほど前に糖尿を患われて亡くなられたんですよ
僕は彼がお亡くなりになる寸前までお見舞いに通ってたんですけどね・・・」
「えっ、そうなの・・・ おーいアニキ! 建基さん亡くなったんだって」
「おう知っとるよ、誰かが言いよった・・・」
「あの頃の建基さんは腕は抜群に良かったのに大成出来んかったのが残念じゃった
何でじゃ思う?」
「まあ後輩の僕が言うのも何ですが、性格的な問題じゃないでしょうかね~
彼は超我がままでマツダワークスのキャプテンだった片山さんも手を焼いていたみたいだし・・・」
「アハハハハ 納得納得! ワシもそう思うわ」 笑!
増田建基さんの記事
そんな話で盛り上がっていると兄の明さんに
2階の事務所でお茶でもどうぞと誘っていただいた
僕が呉オールドモータースクラブの副代表だと名刺を渡し自己紹介や
ミーティングの趣旨・趣向をお話すると博久さんの息子さんが
呉オールドモータースミーティングに来た事があると言われた
更には毎年ミーティングにご参加くださる福山在住の「プリンスS54クラブ」の方たちとも
お互いに仲が良いって事もわかり話が盛り上がった
明さんはトヨタ2000GTやスカイライン2000GTR、フェアレディーZ432
更にはホンダS600やS800の整備の実体験の話やエンジン特性の話を教えて下さった
と、いう事であっという間に2時間が過ぎ再会を約束して僕は小山自動車を後にした
帰りに長沼さんに電話をかけて事情を説明すると
「懐かしいの~ あの兄弟は当時サニーが得意で腕が良かった・・・」
って懐かしがられていた ジャンジャン!!
おまけ
修理に入っていたフェアレディZ432
日産自動車の当時の名器であるDOHC2000ccのS型エンジン
こういったエンジンがやれるのも確かな腕と経験があるという事なんでしょうな~
こんなBMWも・・・
ベレGも・・・