先日僕が美容学校を卒業して初めて美容師としてスタートを切った
美容室ミヤニシの先輩の城戸君が営むSNOBが今年オープン
30周年を迎え開催したパーティーの記事を書いた
彼には僕がミヤニシに就職した1982年4月の18歳の時から現在に至るまで
本当にお世話になってるし当時若気の至りで暴走族が抜け切らない僕に
人として多大な影響を与えてくれた
高校を退学になり将来の事など何も考えず成り行きで美容学校に入学し
就職したミヤニシで何とか仕事が続いたのも彼の存在があったからに他ならない
もちろん、そこには宮西先生を始め諸先輩や同期の仲間の存在があった事も確かだ
ヤンチャで我がままで尖っていた僕を時には優しく、時には厳しく皆が導いてくれたんだと思う
「あの頃は・・・」で始まる話は往々にして今では手に入らない夢物語だ
しかし、誰の人生においても「あの頃」があったから今がある事も確かなのだ
人の人生なんて社会に出れば良い事より得てして嫌な事や辛い事の方が多いものだ
しかし時が経って振り返れば嫌だった事も、辛かった事も懐かしい思い出に変わる
高校を中退し誰にも束縛や強要されず本能のまま自由奔放にやってた18歳の僕は
ミヤニシに就職して毎日朝から晩まで延々と続くシャンプー地獄に気が滅入っていた
そんな僕に影になり日向になり気遣ってくれたのが城戸君だったが
もう一人、僕に多大な影響や刺激を与えてくれた先輩がいた
それが城戸君と同級生でありライバルでもあった座賀白先輩だった
彼は当時ミヤニシのファッションリーダー的な存在であり
僕同様の族上がりだった城戸君とは全然タイプが違う色白で華奢な美形の先輩だった
当時城戸君も若い女性客からモテてはいたが、モテるという事でいえば
座賀白君の方が勝っていたんじゃなかろうか
シャコタンのケンメリに乗ってた城戸君とは対照的に座賀白君はVWビートルや
ヴェスパに乗りDCブランドで身を固めた洒落たシティーボーイだった
そのファッションセンスは誰もが一目置いており僕も多大な影響を受けた
それまでロックンロールやロカビリーに傾倒しクリームソーダやペパーミントなどの
フィフティーズスタイルにリーゼントだった僕のファッションへの価値観は変貌した
彼らと時間を共有するうちに急に自分の恰好がガキに思えてきたのだ
僕はミヤニシ入社当時、店で一番の年少者で
ヤンチャな末弟という感じで座賀白君にもよく目を掛けてもらった
毎日朝から晩までシャンプー地獄で気が滅入ってる僕に時に優しい言葉をかけてくれた
営業が終われば後片付けを率先してやるのは1年生の僕たちの仕事だったが彼は
「ワシの方がオマエより給料よ~け貰いようるんじゃけん、オマエらより働かんとの~・・・」
って、片付けを代わってくれて「一服して来い」って言葉をかけてくれてた
その言葉は35年経った今でも忘れてはいない
そんな座賀白君だったが彼は僕が入社3年目になった頃
、突然ミヤニシを退社して上京した
退社前に話をすると上京してフリーのヘア・メイクを目指したいという事だった
上京した彼は当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった東京原宿にあった
モッズヘアを経て独立し郷ひろみさんや、元木雅弘さん、本田美奈子さんなどの
ヘアメイクを担当していると風の噂で聞いた
その後紆余曲折あったようだが座賀白君が
33年ぶりに呉に帰って来たと連絡があった
と、いう事で僕がミヤニシに入社した当時の主なメンバー
で集まり宮西先生を囲んで飯を食った
座賀白君と会うのは33年ぶりで、当時たったの2年しか時間を共有出来なかったし
城戸君も彼に会うのは約30年ぶりだと言ってたが当時のメンバーが揃えば思い出話は尽きない
僕も城戸君も、座賀白君も他のメンバーも「あの頃」から歩んだ人生は様々だ
でも、若い時代に同じ釜の飯を食った仲間だから何十年経っていようと
会った瞬間から昨日の続きのようになれるんだと思う
時差はあっという間に埋められるんですよね
皆歳は取ったけど人生はこれからも続いていく、頑張らなくっちゃね! ジャンジャン!!
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