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続・年賀切手シリーズ 1983年 亥年

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1983年(昭和58年) ししのり金太郎
 
 
さて、僕が子供の頃に集めてた記念切手に端を発した年賀切手シリーズ
続編を含め干支にして二回り、24週に渡ってお送りしましたが一応今回が最後という事になります
 
振り返ってみれば初回の1960年(昭和35年)と今回の1983年(昭和58年)という24年間において
我が国「日本」はまるで別の国になったような感じで文明の進化を強く感じますね
そしてそれから33年が経った現代では当然の事ながら更にその思いが強いです
 
当時をリアルに体験した僕にとっては「昔」というには近すぎるような気もしますが
時代性によって人々の暮らしや流行は移ろえど「人」としての本質は昔も今も同じです
 
このシリーズを執筆してみて僕自身も懐かしさもありましたが凄く勉強にもなりましたし
現代社会を生きる者の一人として現代に足りない忘れ去られた”何か”を再確認したようにも思います
 
と、言う事でさっそく1983年の世相に迫ってみたいと思いますが
僕が二十歳になった1983年はどんな年だったのか・・・
 
ここから先は1983年にヒットしたシャネルズ改め、ラッツ&スター
「め組のひと」を聴きながらご覧ください!
 
 
 
 
め組のひと/ラッツ&スター 1983
 
 
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1983年の日本の世相では、まずは何はともあれ東京ディズニーランドの開業でしょう
 
1983年4月15日、「夢と魔法の王国の扉」が開かれ日本のレジャー史に燦然と輝く
歴史の1頁が刻まれたのです
 
開園当日は生憎の雨だったようですが開園を待つ約3000名のゲストの前で
橋社長とディズニー社のカードン・ウォーカー会長、ミッキーマウスなどの
ディズニーキャラクターたちによるテープカットが行われメインエントランスのゲートがオープン
 
ワールドバザール内で行われた式典の壇上に橋社長が立ち
「1983年4月15日、ここに東京ディズニーランドの開園を宣言します!」
と高らかに開園を宣言したそうです
 
と、言う事で東京ディズニーランドのオープンから33年が経った2016年の現在ですが
実は恥ずかしながら僕は一度も東京ディズニーランドに訪れた事がない 笑!
 
娘の万凛が小学校を卒業した頃に大明神様と娘は二人で
東京ディズニーランドに訪れたんですが僕は誘われなかった 笑!
 
ま、個人的にはそこまで行きたいとも思わないんですよね~
 
 
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それはまさに革命だった、テレビゲームが家にやってきた!
 
世界的な家庭用テレビゲーム市場に革命をもたらしたのは
1983年に任天堂が開発し販売したファミリーコンピューターゲームだった
 
突如現れた白と小豆色のファミコンにゲームセンターに入れない子供達は狂喜した
ゲームセンターのゲーム機に遜色のないクオリティー、バリエーションに溢れるソフト群
家庭用テレビが究極のエンターテイメントに変わったのだ
 
僕の記憶では一番最初に流行ったソフトが「スーパーマリオ」だったと思うが
テレビゲームにまったく興味がなかった僕はスーパーマリオも殆どプレーした記憶がない
 
が、家になぜか↑のファミコンがあった事は記憶している
なぜゲーム機があったのかと思い出してみると僕は麻雀ゲームをやっていたんだと思う
それしか思い当たる節がない 笑!
 
今でも僕はデジタルゲームの類は一切やらない、てか、まったく興味がない
昨今流行のポケモンGOに関しても冷ややかな目で見てる時代遅れの僕なんですよね 笑!
 
 
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1983年における第4回日本カー・オブ・ザイヤーに輝いたのはホンダ・シビックだった
 
僕のイメージでは1970年代から長らく続いた族車人気はこの時代にほぼ下火になり
それに伴い族に圧倒的に人気があった日産車人気も下火になり
それに代わって台頭したのがホンダだったような気がする
 
シティシビックの成功もありホンダは上手く時代の波に乗ったという感がありますね
 
しかし何よりこの年の車事情で特筆されるのは1983年は道交法が変更になり
ドアミラーの取り付けが法的に可能になった事だろう
 
現代では昭和ブームという事で逆にレトロなフェンダーミラーがマニアには人気があるが
あの時代はスタイリッシュさに欠けるフェンダーミラーはダサいとさえ思われていた
 
1983年以前は整備不良の違反切符覚悟でドアミラーを取り付けた族車もいたが
ようやく日本でも現代では当たり前のドアミラーが認可されたのだ
 
それに伴い国産車のデザインも一気にスタイリッシュになったと感じた物です
ま、時代は族車人気が下火になった時代だった事が何とも皮肉ではあったのだが・・・ 笑!
 
 
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1983年当時人気があったテレビ番組に1981年から放送が始まった
小林克也さんが司会を務める「ベストヒットUSA」があった
 
アメリカから届くヒット曲が映像と共にやって来る時代になったのだ
 
今では日本のミュージシャンもプロモーションビデオを制作するのは当たり前だが
そのルーツは遠い海の向こうからやってくる洋楽にあったのだ
 
小林克也さんの英語を交えた軽快な語り口と凝った映像に乗って流れる洋楽を紹介する
ベストヒットUSAという番組は僕等に最新の洋楽ってヤツを教えてくれた
 
ジャクソン5のボーカル時代は子供だったマイケル・ジャクソン「スリラー」という曲を引っさげ
まるで別人のような姿になって僕らの前に現れた
 
その後マイケルはどんどん容姿が変わっていくのだが
個人的にはマイケルもこの時代くらいで整形をやめとけばよかったとは思いますな~ 笑!
 
ビリー・ジョエル、マドンナ、ブルース・スプリングスティーン、スティービー・ワンダー
フィル・コリンズ、シンディ・ローパー、プリンス、ライオネル・リッチー・・・
 
ビデオなんてまだ一般家庭になかった時代
眠い目をこすりながらも僕達はテレビの前から離れられなかった
 
 
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1980年代に入り人気絶頂だった永ちゃんは突如日本を飛出しアメリカに拠点を置いた
 
永ちゃんの著書によるとアメリカでの永ちゃんは決して順風満帆ではなかったようで
辛酸を舐めるような腹立たしい経験も沢山したようだ
 
日本では前記したようにベストヒットUSAの影響などで洋楽ブームになり
すっかり永ちゃんの事も聞かなくなった頃、テレビCMで永ちゃんの歌声を久々に聴いた
 
その曲は美しいメロディーが印象的な「ラスト・クリスマス・イブ」という曲だった
ウイスキーのジョニーウォーカー赤ラベル、通称”ジョニ赤”のCMだった
 
実はこの曲にはちょっとしたエピソードがある
 
元キャロルのジョニー大倉さんの著書「キャロル 夜明け前」に書かれているのだが
この曲はすでにキャロル時代に永ちゃんの手によって曲は出来ていたそうだ
ジョニーはその曲に詩を付けようと悪戦苦闘したが結局思うような詩が浮かばなかったらしい
 
で、1983年に矢沢ファミリーの手で詩が付けられ「ラスト・クリスマス・イブ」としてリリースされた
とても残念だったとジョニーは語ってましたね
 
てか、クリスマスソングと言えば今やクリスマスソングの定番となった同年6月にリリースされた
山下達郎さんの「クリスマスイブ」、翌年1984年のワム「ラスト・クリスマス」が有名だが
個人的には永ちゃんの「ラスト・クリスマス・イブ」も甲乙付けがたい名曲だと思います!
 
 
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さて、1983年の日本のテレビドラマは話題作が沢山制作された
 
前回紹介した「積み木崩し」もそうだが「ドジでのろまな亀」という堀ちえみさんのセリフが
流行語にもなった「スチュワーデス物語」が放送されたのも1983年だった
 
日本航空のパイロットであった今は亡き父親の思い出を胸にスチュワーデスへの道を進みだした
高校卒の日本航空のスチュワーデス訓練生である松本千秋(堀ちえみ)が
3か月に渡る厳しい訓練を受けて一人前のスチュワーデスになるまでの物語・・・
 
う~ん、何度か見た記憶はあるがあまりよく覚えていない
ま、個人的に堀さんにはまったく興味もなかったですからな~ 笑!
 
 
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四流大学生の青春群像を描き、そのやるせない学歴社会の壁を垣間見せたドラマだった
「ふぞろいの林檎たち」はよく覚えてますぞ、ハマりましたからな~ 笑!
 
主題歌の「いとしのエリー」もそうだがドラマ全般でサザンの楽曲が使われていた事も良かった!
 
ヒロイン役の手塚理美さんは綺麗だったし石原真理子さんも良かった
まあその後、石原さんは暴露本を出すなど”変な人”になっちゃいましたがね~ 笑!
 
僕はこのドラマを見て一瞬、大学に行きたいと思いましたが高校を中退してる事を思い出して
無理だと気付いて仲間と大笑いした事を覚えてますね 笑!
 
 
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新興住宅街に住む三組の核家庭同志の交流の中で
その一組の夫婦が離婚したことから三組の夫婦に大きな波紋が広がっていく・・・
 
と、言う所謂「不倫」という事をテーマにした「金曜日の妻たちへ」も1983年のドラマだった
 
まあこの時代まだ19,20の独身だった僕には不倫なんて縁のない世界だったから
世間で言う程、このドラマにハマったって事もなかったんですがね~ 笑!
 
でも1985年に放送された「金曜日の妻たちⅢ」のドラマの主題歌としてヒットした
小林明子さんの「恋におちて」は良い曲だと思ったし思い出深い曲でもある
当時付き合ってた大明神様がよくカラオケで歌ってた事を今でもよく覚えています 笑!
 
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1983年の朝のNHK連続テレビ小説で放送された「おしん」は社会現象にもなった
 
山形の寒村に生まれたヒロインが明治から昭和まで80余年の激動の時代を
懸命に生きる生涯を描いた人間ドラマ
 
けなげな少女期を小林綾子、青春期から中年期を田中裕子、晩年を乙羽信子という
3人の女優が演じ分け日本中に「おしんブーム」を巻き起こした
 
とは言え、当時ミヤニシで働いていた僕は朝ドラなんて見てる時間なんてなかったから
だいたいのあらすじは知ってるが、これまた特にハマったって事でもなかった 笑!
 
 
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さて、1983年はテレビドラマの当たり年だったような感があるが映画界はどうだったのか?
 
邦画に関しては高倉健さん主演の「南極物語」や松田優作さんの「探偵物語」
上位にランクインされているが個人的には草刈正雄さん主演の「汚れた英雄」を押したい
 
天性の美貌を武器に上流社会の女たちに金を貢せレースに生命を賭ける
若きライダーの青春を描いた「汚れた英雄」はカッコよかった!
 
草刈さんは現在NHK大河ドラマ「真田丸」で主役の真田幸村の父の
真田昌幸を演じられ好評を得てるようですが今でもカッコいいですよね!
 
 
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1983年の洋画は前回取り上げた「E・T」が年を跨いで好成績を収めてますが
個人的にはシルベスタ・スタローン主演の「ランボー」も捨てがたいんですが
ジェニファー・ビールス、マイケル・ヌーリー等が主演した「フラッシュダンス」を押したい
 
フラッシュダンスはブロのダンサーをめざす19歳の溶接工の愛、友情、
そして夢を描いた青春映画だった
 
映画のヒットに合わせて主題歌になったアイリーン・キャラ
「フラッシュダンス・ホワット・ア・フィーリング」も大ヒットした
 
当時ミヤニシの有線でもよく流れていた事を今でも覚えていますね
 
 
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さて、1983年の日本歌謡界に目をやるとポップスでは、わらべ「めだかの兄妹」
映画「探偵物語」の主題歌にもなった薬師丸ひろ子さんの「探偵物語/すこしだけやさしく」
 
松田聖子さんの「ガラスの林檎」、サントリーのCMでブレイクした「SWEET MEMORIES」
中森明菜さんの「セカンドラブ」、杏里さんの「キャッツ・アイ」あたりがヒットしています
 
翌年ブレイクするチェッカーズ「ギザギザハートの子守歌」をリリースしてますね
 
この年は演歌が強く、大川栄策さんの「さざんかの宿」、細川たかしさんの「矢切の渡し」
佳山明生さんの「氷雨」、都はるみさんの「浪速恋しぐれ」辺りがヒットしています
 
そんな中で僕の一押しはシャネルズがラッツ&スターと改名後に初めてリリースした
資生堂のCMソングにもなった「め組のひと」を押したい
 
当時浜田にキャンプに行ってた車中で良く聴いた思い出深い曲の一つですね!
 
 
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と、そんな1983年でしたが僕はこの年の春に2年間の免許証取り消し処分の期限が過ぎ
19歳にして晴れて普通乗用車の運転免許証を取得し、更には自動二輪中型の免許を再取得しました
 
で、車の免許を取って初めての愛車になったのがハコスカでありバイクはヤマハSR400を買った
 
写真がその時のハコスカですが、この時僕が着ているセーターはドン・小西フィッチェ
パンツはニコルというDCブランドの商品だったと記憶しています
 
 
 
と、言う事で24週に渡ってお届けした年賀切手シリーズはこれにて一応完結となります
しかし以て結果論ではありますが「昭和」という時代はこれから約5年後に
幕を閉じる事になるのですが、そんな事この時の段階では夢にも思いませんでしたね~
 
ついでに昭和が終わる1988年までシリーズも続けようかとも思ったのですが
もう僕はこの時代にそこまでの思い入れもないんですよね~
 
まあ、気が向いたら書きますが、取りあえずこれにて「続・シリーズ」は一応完結
長らくのご清聴ありがとうございました! ジャンジャン!!
 
 
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