1973年(昭和48年) 色絵土器皿梅模様
さて、毎週火曜日のお楽しみの年賀切手シリーズですが今回は1973年(昭和48年)をお届けします
洋画、刑事コロンボの名セリフ「ウチのかみさんがね~・・・」って言葉や
1972年に選ばれた交通安全標語「せまいニッポン そんなに急いでどこいくの?」
って言葉が流行った1973年
子供達の間では大人気番組だったドリフの「8時だよ!全員集合」で加藤茶が演じたストリッパーの
「ちょっとだけヨ~ あんたも好きネェ~」や時代劇「遠山の金さん捕物帳」の金さんのキメゼリフ
「これにて一件落着」が大流行した
そんな時代だった1973年はどんな年だったのでしょうか?
と、言う事でここからは1973年(昭和48年)に大ヒットした宮史郎とぴんからトリオ(後のぴんから兄弟)の
「女のみち」を聴きながらお楽しみください!!
女のみち/宮史郎とぴんからトリオ(後のぴんから兄弟) 1973
1973年の世相ニュースを振り返ると、この年に第1次オイルショックが勃発しています
1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発
これをうけて10月16日に石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸産油6カ国は
原油公示価格を21%引き上げと原油生産の削減とイスラエル支援国への禁輸を決定
さらに12月には翌1974年1月より原油価格を2倍に引き上げると決定した
石油価格の上昇はエネルギーを中東の石油に依存してきた先進工業国の経済を脅かした
日本でもニクソン・ショックから立ち直りかけていた景気を直撃
便乗値上げが相次ぎ急速にインフレが加速しました
その結果トイレットペーパーや洗剤などほとんどの物資の買占め騒動
デパートのエスカレータの運転中止などの社会現象も発生しました
当時小学校4年生だった僕にはオイルショックの内容はよく分かりませんでしたが
ウチでも母がトイレットペーパーを大量に買ってきたのは覚えていますね
1973年には本州と九州を結ぶ当時東洋一の吊り橋だった関門橋が開通しました
本州と九州を直結させようという計画はすでに明治の頃から考えられていたそうだ
大正時代には関門隧道計画が立案されて鉄道院の地質調査が始まり
昭和初期には内務省土木局によって大架橋が計画された
これは関門海峡の最狭部「早鞆の瀬戸」と呼ばれる部分に吊り橋を架けるものであったが
軍部の反対に会い立ち消えになった
敵の攻撃目標になりやすい橋よりトンネルの方が軍事上有益というわけだ
関門トンネルの開通は戦時色が強まった1942(昭和17)年
関門海峡に橋が架かるのは遅れること約30年やっと1973(昭和48)年になってからだった
写真の関門橋開通記念の切手シートは僕の切手コレクションの一部だ
関門橋は戦前に計画された幻の吊り橋とほぼ同じであるという事だ
と、言う事だが僕が初めて関門橋を渡り関門トンネルに足を踏み入れたのは
関門橋開通から遅れる事2年後の1975年の事だった
当時、長浜小学校の6年生だった僕は学校の修学旅行で
関門橋・関門トンネルに初めて足を踏み入れた
近年では昨年まで北九州で一人暮らしをしていた次男を訪ねて
毎年GWに関門橋を渡ってましたね
1973年に流行ったファッションに「バギー」ってパンツがあった
当時男女ともに流行した股上が深めで腿幅が広いデザインのパンツがバギーパンツだ
それまでのパンツの流行ラインはパンタロンと言われた股下が浅めで
腿がタイトなのに裾がフレアーなラッパズボンのベルボトムが主流だった
パンタロンに対してバギーは股下が深めで腿・裾共フレアーなラインだった
僕が中学生の頃の不良が愛用する学ランのパンツは呉ではヨコスカと言われた
タック入りのボンタン型のパンツかスリムが定番だったが中には
パンタロンタイプのラッパやバギーを履いている人もいた
当時の僕はラッパやバギーの学生ズボンはダサいと思っていましたがね~ 笑!
僕のイメージではバギーって言えばドラマ「傷だらけの天使」に主演した俳優のショーケンや
当時BIGIのデザイナーだった菊池 武夫・稲葉賀恵さんご夫婦のイメージが強いですね!
僕が子供の頃の卓上ゲームと言えば1958年に発売開始されたエポックの野球盤や
先日記事にした人生ゲームがテッパンだったが1973年にはかつて存在した日本の玩具メーカー
株式会社ツクダオリジナルからオセロゲームがリリースされ大人気となった
オセロをやった事ない人はいないと思うがオセロは交互に盤面へ石を打ち
相手の石を挟むと自分の石の色に変わり最終的に石の多い方が勝ちとなるゲームだ
まあルールは単純なんだが、けっこう複雑なゲームなんですよね
パネルクイズ「アタック25」の親戚みたいな感じと言えばいいだろうか? 笑!
そう言えば小学校の頃、紙に♯を書いて○×を交互に入れて行って
3並べをする単純な遊びが流行ったな~ 笑!
この年にデビューした花の中3トリオは社会現象にもなった
山口百恵さん、森昌子さん、桜田淳子さんは3人とも当時のオーディション番組
「スター誕生」で選ばれて歌手としてデビューした
僕は可愛らしいイメージだった桜田淳子さんのファンになった
百恵さんと淳子さんは人気を二分したが演歌路線だった昌子さんは子供には人気がなかった 笑!
僕が生まれてこの方唯一ファンレターという物を書いたのも桜田淳子さんだった
さて、お次は恒例のテレビアニメシリーズだが1973年にも個人的に思い入れのある
テレビアニメが続々と放送開始になっている
全部を紹介すると莫大な誌面になるから全部は紹介できないが
先ずは大人気を呼んだ横山光輝のエスパー漫画の第1回目のアニメ化「バビル2世」だ
少年・古見浩一は毎晩見る夢のイメージに導かれ突如飛来した
巨大怪鳥ロプロスに乗って砂漠の中の塔に向かう
それは彼の遠い先祖といえる宇宙人バビル1世が遺した科学システム・バビルの塔だった
ロプロス・ロデム・ポセイドン、三つのしもべを従える超能力者バビル2世となった浩一だが
その彼の前にもう一人の1世の末裔で世界制覇の野望に燃える男ヨミが現れる・・・
「♪す~なの嵐にまもら~れた~ バビルの塔に住んでいる ちょ~のうりょく少年バビル2~世・・・」
怪鳥ロプロス、海神ポセイドン、黒豹のロデム、カッコよかったっすね~!
女子バレーを描いたサインはVに続き、世にテニスブームを巻き起こした
スポ根少女漫画の決定版「エースをねらえ」
高校テニス界の名門・西高で先輩である天才プレーヤー・竜崎麗華に憧れて入部した岡ひろみは
新たに赴任した鬼コーチ・宗方によって突然代表選手として抜擢されてしまう
その事により周囲との軋轢に苦しむ彼女だがやがてその秘めたる才能を開花させていく・・・
まあ当時から「ありえん!」と皆でツッコんでいたのが高校生のくせに茶髪の巻き髪を振り乱して
テニスするお蝶夫人、高校生なのに「夫人」ってのは何なんだ? 笑!
OP曲の「♪コ~トでは~誰でもひとり ひとりきり~」ってのも懐かしいが個人的には
EDの「♪夕焼けのテニスコートで折れたかわいそうなラケットを見たわ・・・」って
切ないバラードの「白いテニスコート」が感慨深い! 笑!
数年前に人気歌手の倖田 來未が主題歌をリメイクしてブレイクした
永井豪の原作によるスーパーレディ・アクションアニメ「キューティー・ハニー」
科学者・如月博士は、宝石など希望の物質を自在に実体化しうる空中元素固定装置を完成させる
これを狙うのは女性サイボーグ戦士を主力とする国際犯罪組織パンサークローだ
絶命する博士だが装置は彼の娘として養育されていたスーパーアンドロイド
如月ハニーの体内に隠されていた、ハニーが変身、パンサークローに挑む・・・
う~ん、僕が子供の頃のアニメの3大エロキャラは、ルパンの峰不二子
メルモちゃん、そして間違いなく如月ハニーだったでしょうな~ 笑!
他にも1973年には「キャシャーンがやらなきゃ誰がやる?!」の「改造人間キャシャーン」や
「ドロロン閻魔くん」、「侍ジャイアンツ」が放送開始になっている
さて映画界に目をやると個人的には1973年は何と言っても「仁義なき戦い」でしょうな~!
この年には仁義なき戦いは「広島死闘篇」「代理戦争」と計3本も封切られている
是非とも「仁義なき戦いミュージアム」の建設を実現してほしいですな~! 笑!
さて、1973年の日本歌謡界に目をやると、この年は後世に残る名曲や
個人的にも思い入れがある曲が目白押しです
先ずは歌謡曲で言うとジュリーの「危険なふたり」、ちあきなおみさんの「喝采」
天地真理さんの「恋する夏の日」「若葉のささやき」、TBSのホームドラマ「時間ですよ」の
挿入歌になり大ヒットした浅田美代子さんの「赤い風船」
フォークからはガロの「学生街の喫茶店」、かぐや姫の「神田川」、チューリップの「心の旅」
そんな中で迷いに迷ったんですが個人的には宮史郎とぴんからトリオの「女のみち」を押したい
当時小学校4年生だった僕は演歌にあまり興味はありませんでしたが
今思えばこの曲こそ「THE 昭和歌謡演歌」だと思うんです
ピンカラトリオのグループ名の由来は「ピンからトリを」だそうでボーカルの宮史郎、実兄の宮五郎と
並木ひろしの3人でデビューしたがギャラや印税を分ける事がもったいなくなったという事で
兄弟は並木ひろしを切ってぴんから兄弟になったと当時聞いた事がある 笑!
ま、あくまで当時の噂の記憶ですから確証はありませんぞ 笑!
CKBの横山剣さんもぴんから兄弟のファンで確か宮史郎さんと数年前に共演したような・・・
しかし残念な事に宮史郎さんは2012年に69歳という若さで鬼籍に入られました
1973年当時、ウチの実家の隣に住んでいた男3人所帯だったNさんご一家
母の隣の長男さんをブンブン、その隣の次男さんをナマズと僕は呼んでいた
ナマズさんに僕は可愛がってもらい「平凡」「明星」の芸能雑誌を借りたり
歌謡曲やフォーク、ロックと多彩なジャンルのレコードもよく聴かせてもらった
初めてキャロルを聴いたのもこの頃でナマズさんに聴かせてもらったんですよね
蝶の標本を作る事もナマズさんに教えて貰った
二人でよく裏山に蝶を採りに行ったし、灰ヶ峰にも蝶採集に連れて行ってもらった
もう何十年もご家族に会っていないが元気なんだろうか・・・?
ちなみに僕が被ってる帽子はまだ赤ヘルになる前のカープの帽子ですね
と、言う事で今日はこれまで!来週は1974年(昭和49年)寅年やります!
乞うご期待! ジャンジャン!!