1972年(昭和47年) 宝船
さて、僕が幼い頃に集めてた記念切手に端を発した1960年(昭和35年)~1971年(昭和46年)の
年賀切手シリーズも取りあえず前回で終了したんですが、皆様の熱い声援?(笑)に応え
干支としてはもう一回りになる1972年(昭和47年)~1983年(昭和58年)までを
「続・年賀切手シリーズ」としてお届けしたいと思います
子供の頃にデザインに魅了された昭和35年~昭和46年のお年玉年賀切手でしたが
干支が一回りした1972年(昭和47年)子年からシートも小型になり一綴り4枚だった切手も3枚になり
絵柄のデザインも個人的には魅かれる物ではなくなりました
ちなみに1972年からはハガキの郵便代も7円から10円に値上がりしました
とは言え、1972年に小学校3年生になった僕の切手収集の趣味は続きます
まあ正確に言えば小学校を卒業する1975年(昭和50年)まで続いたんです
と、言う事で今回は1972年の世相を僕の思い出と共に振り返ってみたいと思います
三波春夫さんの「お客様は神様です」や、新しく流行ってる事を「ナウ」
「未婚の母」という言葉が流行った1972年はどんな時代だったのでしょう・・・
ここからはは1972年に大ヒットした天地真理さんの
「ひとりじゃないの」を聴きながらご覧ください!
ひとりじゃないの/天地真理 1972
1972年には1964年の東京オリンピックに続き日本で初めて冬季オリンピックが開催されました
札幌オリンピックは日本の北海道 札幌市で1972年2月3日から2月13日まで行われた冬季オリンピックで
日本および アジアで初めて開催した冬季オリンピックでした
ハイライトとしてはスキージャンプ70m級(現在のノーマルヒル)で日本人が冬季オリンピックでは
初となる金・銀・銅を独占し、後の「日の丸飛行隊」と言われるようになるきっかけになりました
ちなみに↑上の切手シートは僕のコレクションの一部で札幌オリンピックの時の物です
ちなみに1972年はミュンヘンオリンピックも開催されていますね
日本初と言えば1972年10月28日に日中国交正常化を記念して中国政府から
康康(カンカン オス2歳)と蘭蘭(ランラン メス2歳)の2頭のジャイアントパンダが贈られ
日本中がパンダブームに沸きました
カンカン・ランランは東京上野の上野動物園が受け入れ先になり
上野動物園は連日多くのパンダ目当ての見物客で賑わいました
もちろん僕も本物のパンダを見たいとは思いましたが
家庭の事情で(笑)見に行く事は叶いませんでした
ちなみに今年53歳になる僕は未だに生まれてこの方
本物のジャイアントパンダを見た事がありません 笑!
1972年、学生闘争に端を発した赤軍派の幹部の多くはよど号ハイジャックで北朝鮮に亡命しましたが
日本に残った赤軍派は最後の抵抗を試みます
真岡銃砲店襲撃事件で猟銃店を襲って銃と弾薬を手に入れて
逃走を続けていた連合赤軍は警察に追われていました
連合赤軍のメンバーは銃を乱射しながら包囲を突破し近所にあった浅間山荘に逃げ込み
管理人の妻を人質として立てこもりました
世に言う「浅間山荘事件」です
犯人らは人質を解放する案や夜中に山荘を脱出する案も考えたが
結局最後まで人質を取って籠城し発砲を繰り返しました
警察はクレーンを使った鉄球作戦に出ますが失敗に終わります
作戦開始から7時間半後の午後5時半から放水によって犯人が立てこもる
部屋の壁を破壊する作戦が取られ午後6時10分、九機隊長から一斉突入の命令が下り
数分の後、犯人全員検挙、人質無事救出となりました
浅間山荘事件での犯人逮捕で連合赤軍は幹部全員が逮捕され事実上崩壊しました
10日間に渡って立て籠もった様子はテレビで生中継され
総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録しました
いや~ このニュースは子供ながらに衝撃的でよく覚えています
子供目線の僕にはクレーンの鉄球は巨人の星の花形満が
大リーグボールを打つ特訓してるイメージがダブった 笑!
1972年に登場しロングセラーになった商品に大塚製薬のオロナイン軟膏があった
↑の浪花千栄子さんの琺瑯看板は至る所で見ましたね
当時どこの家にもオロナインと赤チン、アロエという万能薬があった
ウチの母はアロエの事をなぜか「医者いらず」と呼んでいた
さしずめオロナイン、赤チン、アロエは当時の万能薬の三種の神器だった 笑!
さて、書いてて懐かしくもあり楽しい名作アニメコーナーですが
1972年に始まった僕の思い入れがあるアニメにデビルマンがありました
青年・不動明の体に乗り移ったデーモン族の勇者デビルマンは人間社会への侵攻を目論む
先兵としての大任があったがなんと明のガールフレンド・美樹に一目惚れ
彼女を守るためだけに同胞を裏切ってしまったデビルマンを抹殺すべく刺客の妖獣が次々と襲い来る!
「♪あれは誰だ 誰だ 誰だ あれはデビル デビルマ~ン デビルマン・・・」
当時の男の子は皆好きだったんじゃないかな~?
ガッチャマンが始まったのも1972年の事だった
世界征服を企む秘密結社ギャラクターと戦う5人の少年・少女で結成された
科学忍者隊の活躍を描いた作品でした
戦隊ヒーローとしての様式美やメカニック描写などその魅力は数多い
ちなみに僕はリーダーの「大鷲のケン」より「コンドルのジョー」が好きだった
子門真人さんが歌った主題歌「♪誰だ 誰だ 誰だ~ 空のかなたに踊る影・・・」
は名曲で今でも中学校の同窓会のカラオケで皆で大合唱します! 笑!
昨今リメイクでの実写化でテレビドラマとして放送された、ど根性ガエル
ある日はずみで少年ひろしの下敷きになったカエルはそのままシャツに張り付いて
人間の言葉を喋る"平面ガエル"となった
ピョン吉と名乗る彼を中心に、ひろしのガールフレンド京子やガキ大将のゴリライモ
寿司屋の梅さんといった面々が騒々しい日常を加速させていく・・・
ドラえもんのジャイアン同様、ど根性ガエルのゴリライモのキャラは
日本全国の小学校のクラスの中に1人はいたと思います 笑!
先日「みどり屋」さんの店仕舞いの記事で当時みどり屋で超合金マジンガーZを買ってもらったて書いた
それまでフィギュアと言えば塩ビ素材が大多数だった時代に超合金ってのは画期的だった
そんなマジンガーZが放送開始されたのも1972年の事だった
大人気になったマジンガーZは、その後グレートマジンガーへと引き継がれる
昭和を代表するロボットアニメだった事に異論を挟む人はいないだろう!
さて、映画界に目をやると洋画で興行収入1位になってるのは
マーロン・ブランド、アル・パチーノ、ジェームズ・カーン等が主演したゴッドファザーだ
マフィアの世界を克明に描きベストセラーとなったマリオ・プーゾの同名小説を
フランシス・コッポラが映画化した一大叙事詩
ゴッドファザーのテーマは暴走族が好んでバイクや車に取り付けた
8連ホーンとして馴染みが深い! 笑!
1972年の日本歌謡界は僕にとっても思い入れがあるヒット曲が目白押しだ
小柳ルミ子さんのデビュー曲「瀬戸の花嫁」、吉田拓郎さんの「旅の宿」
ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」、青春ドラマ「飛び出せ青春」の主題歌になった
青い三角定規の「太陽がくれた季節」・・・
しかし個人的には長浜小学校3年生の時の担任の先生だった山本先生の影響で
僕が生まれて初めてファンになったアイドル天地真理さんのデビュー曲「ひとりじゃないの」を押したい
白雪姫と異名を取った天地真理さんは本当に綺麗だった
そして・・・
忘れてはならないのは1972年12月に「ルイジアンナ」でデビューを飾ったキャロル
キャロルデビューにおいてはシリーズ「CAROOLS 70’」で
詳しく取り上げているので興味のある方はそちらをご覧いただきたい
CAROOLS 70’ ルイジアンナの記事
小学校3年生になった1972年(昭和47年)の僕はまだまだ子供である事には違いなかったが
少しづつではあるが当時の世相や世の中の事も理解し始めていた
夏休みには毎日のように三角浜で泳ぎ、堤防から飛び込み、魚を釣った
裏山でセミやトンボを獲りクヌギ林にカブトムシやクワガタも獲りに行った
取り分け蝶の標本を趣味にしていた僕は捕獲網を持って野山を駆け回った
沼や田んぼに入って蛭に血を吸われながらタガメやタイコウチなどの水中昆虫も捕獲した
絵に描いたような普通の昭和少年だった
↑の写真に写る男子のうち僕以外はもうこの世にいない
ついこの間のような気もするが遠い昔のような気もする・・・
と、言う事で今日はこれまで!次回は1973年(昭和48年)丑年やります!
乞うご期待! ジャンジャン!!