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年賀切手シリーズ (亥年) 1971 いのしし

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1971年(昭和46年) いのしし
 
さて、週1回を12週に渡って1960年(昭和35年)から1971年(昭和46年)お年玉年賀切手と共に
「年賀切手シリーズ」として各年の世相を振り返ってみましたが、いよいよ今回が最終回になります
 
こうして昭和35年から昭和46年を振り返ってみると日本が戦後から立ち直り
高度成長期を迎えた熱い時代だった事が個人的にはよくわかりましたね
 
2016年の現代から見ると当たり前の事や時代の進化により風化した物も沢山ありますが
その事件が起きた時、新しい物が登場したり流行った時、今でも語り継がれる名作や名曲が生まれた時
人々は驚き、熱くなり、時には涙し、今では思い出と共に脳裏に刻み込まれているんだと思います
 
僕も記事を書きながら多くの事を学んだし懐かしい記憶も蘇りましたね!
 
と、長い前置きになりましたがさっそく1971年(昭和46年)亥年の世相を振り返ってみましょう
 
亥年の人は勇気があり少しの事ではびくともしません
するべき事を決めたらそれに向かってまっすぐ進みます
 
もともと人と喧嘩をしたり言い合ったりするのは好きではありません
言いたい事を一方的に言って終わりという感じです
 
すぐに人を信じてしまうところがあり騙される事もありますが
すぐに忘れるのでまた騙されるってことになったりします
 
 
と、言う事ですが、ここからは1971年の大ヒット曲である
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を聴きながらご覧ください!
 
 
 
 
また逢う日まで/尾崎紀世彦 1971
 
 
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1971年の日本の出来事を調べてみるとNHK総合テレビが全番組カラー化を実施したとか
沖縄返還協定の調印式が挙行されたという事くらいで大した事は起きていない
アメリカにおいてはアポロ14号が月に着陸したという事だ
 
そんな1971年だがプロ野球のオールスター戦において今でも記録が破られていない
9者連続三振という偉業を当時阪神タイガースに所属してた江夏豊投手が達成している
 
1971年のペナントレース前半の江夏は不調だった
6勝9敗と珍しく黒星が先行し防御率も3.12で投手成績15位
この成績では監督推薦でオールスターに選ばれる可能性はない
 
しかし、江夏は選ばれた、堂々のファン投票選出となったからである
 
1回の裏に全セの先発として西宮球場のマウンドに立った江夏投手は
先頭バッターの有藤通世(ロッテ)を得意のカーブで三振に取ると
9人目のバッター加藤秀司(阪急)まで全選手を三振に切って取った
 
最後のバッターになった加藤は1-1からの3球目をキャッチャーフライを打ち上げたが
マウンドの江夏はキャッチャーの田淵に向かって「追うな!」と叫びます
そして4球目の渾身のストレートに加藤のバットは空を切り偉業は成し遂げられた
 
この瞬間はテレビで僕もリアルタイムで目撃した
確かこの時のオールスターは我がカープからは4年後に初優勝を飾った
V1戦士の衣笠、水谷両選手が初出場したと記憶しております
 
 
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当時の若い女性は60年代のアイビーやモッズに続きヒッピーに端を発したサイケデリック、フーテン族と
流行が目まぐるしく変わった1970年代前後の世相
 
1970年に創刊された女性誌「an-an」、1971年に創刊された「non-no」
当時の女性に大きく影響を与えます
 
アンアンとノンノでは多数のカラー写真による旅行特集が掲載され
美しい写真や記事に刺激された若い女性がこれらのファッション雑誌を片手に
雑誌に紹介された特定の観光地に押し掛けるようになります
 
そんな彼女達はアンノン族と命名されます
 
う~ん アイビーブランドVANに端を発した「みゆき族」、ヒッピーに端を発した「フーテン族」
雑誌an-an、non-noに端を発した「アンノン族」
 
当時は現代のように多種多様な物が乱立する時代じゃなかったから
一つの事が流行ったら全国的に皆が一斉に飛び付いたんでしょうな~
 
まあそれだけ時代はまだ未熟で矢継ぎに新鮮な物が出て来たという事も言えるでしょう
今やあらゆるジャンルで出尽くした感があり新鮮な物ってそうそうないですからな~
 
 
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1971年に小学校3年生になった僕はアンノン族なんて当時はまったく知らなかったが
同年に誕生し大人気になった「スマイル・フェイス」の事はよく覚えている
 
皆さんも一度は目にした事があると思うスマイル君は目と口がついただけのまんまるいバッジの事だ
確か当時の長浜小学校では「ニコちゃんマーク」「ピースマーク」って呼んでたような気がする
このキャラクターはアメリカの保険会社のハーベイ・ボール氏という人が考案したんだそうだ
 
このスマイル君は子供にも大流行し当時クラスの女の子だったJYUNKOちゃんの誕生会に招かれた僕は
彼女の誕生日プレゼントにスマイル君の筆箱をプレゼントした事を覚えている
 
彼女は同窓会にも出て来ないし今どこに住んで何をしているのかもわからない
きっとニコちゃんマークの筆箱の事も覚えてないだろうな~ 笑!
 
 
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1971年には日清食品から新しい概念のインスタントラーメンである「カップヌードル」が発売された
 
「カップヌードル」は日清食品の社長である安藤百福が市場調査のためにアメリカに渡った際
どんぶりと箸で食べる製品開発コンセプトの限界を覚え使い捨ての紙コップの普及した姿をみて
機内食のマカデミアナッツのパッケージからインスピレーションを感じ生み出された製品といわれる
 
翌72年2月の「あさま山荘事件」に出動した機動隊員が配布された「カップヌードル」を食べる姿が
テレビに映され、お湯と箸やフォークがあればどこでも食べることのできるこの製品の
特徴が知れ渡った話はあまりに有名である
 
僕の記憶では僕が初めてカップヌードルを食べたのはたぶん1975年の小6の時だったと思う
当時所属してた長浜スポーツ少年団の熊野遠征でのソフトボールの試合後に
カップヌードルを食べた事を今でも強烈に覚えている
 
美味いと思ったし、それくらいインパクトがあるインスタントラーメンでしたね!
 
 
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あれは1971年4月3日土曜日7時半の事だった
 
テレビに映し出されたバイクに乗るヒーロー「仮面ライダー」を見た
当時小学校3年生だった僕は強い衝撃を受けた
 
ー ぶちカッコえ~! 笑!
 
ウルトラマンウルトラセブン、更には仮面ライダー放送開始の前日から放送が始まった
帰ってきたウルトラマンと並ぶ永遠のヒーロー「仮面ライダー」が始まったのも1971年の事だった
 
 
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ま、仮面ライダーの事は説明不要だと思いますが、その後、仮面ライダー1号の
本郷猛を演じる藤岡弘さんが撮影中に怪我をして急遽2号の一文字隼人が登場した
 
1973年以降には仮面ライダーV3、仮面ライダーX、仮面ライダーアマゾンとシリーズは続いた
 
仮面ライダー人気にあやかって1972年に登場したカルビーの仮面ライダースナック(当時20円)は
おまけのカード欲しさに買ったスナックを捨てるという現象を生み出し全国の小学校で社会問題にもなった
現代においても仮面ライダーカードはマニアの間で高値で取引されるほど人気が高い
 
僕の切手収集に始まった「物を集める」って自己満足の価値観は
仮面ライダーカードの収集により決定的な物になった 笑!
 
 
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1971年に始まったアニメの代表作にギャグの神様・赤塚不二夫の代表作「天才バカボン」がある
 
植木職人バカボンのパパの家は近く産まれる新生児を待ちわびていた
やがて産まれた赤ん坊ハジメちゃんは天才児とわかる
 
善人だが頭のネジのゆるいパパ、のんびり屋の長男バカボンは
優しくてしっかり者のママと共に新たな家族の誕生を喜んだ・・・
 
バカボンのパパのキメセリフ「これでいいのだ!」は小学生の間で大流行した
 
 
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1971年に始まったアニメでもう一つ忘れてはならないのがモンキー・パンチ原作の
人気劇画がアニメ化された「ルパン3世」がある
 
初期のアダルト路線は後年マニアックな人気を呼んだがより一般層にアピールすべく
番組後半は高畑勲、宮崎駿がスタッフとして参加した
 
現代のように普通の子供向けアニメやゴールデンタイムにお色気がなかった当時
初期のルパンは異色のアニメで何と言っても峰不二子のお色気は悩殺物だった 笑!
 
現代では声優陣も全員変わっちゃいましたがルパン人気は不変ですよね!
 
 
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さて、1971年の映画界は邦画では渥美清さんの「男はつらいよ寅次郎恋歌」
相変わらず高倉健さんの「網走シリーズ」が人気を博しています
 
洋画の方はライアン・オニール、アリ・マッグローなどの「ある愛の詩」
エルヴィスの「エルヴィス・オン・ステージ」、スティーブ・マックイーンの「栄光のルマン」など
名作がどんどん公開されますが個人的にはマーク・レスター、ジャック・ワイルドなどが主演した
少年少女の淡い恋心を描いたラブ・ストーリーの傑作「小さな恋のメロディー」を押したい
 
当時人気アーティストだったビージーズの曲が全編で使用され
取り分けテーマ曲「メロディ・フェア」は大ヒットを記録した
 
今作品を観ても、メロディ・フェアを聴いても胸が切なくなりますね~・・・
 
 
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日本歌謡界に目をやると1971年は小柳ルミコさんのデビュー曲「わたしの城下町」
加藤登紀子さんの「知床旅情」、ヘドバとダビデ「ナオミの夢」、五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」
 
堺 正章さんの「さらば恋人」など僕にも馴染みの深いヒット曲が目白押しですが
個人的には尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を押したい
 
オリコンランキング9週間にわたり1位に輝き第13回日本レコード大賞、第2回日本歌謡大賞を受賞
声量のある歌声と迫力のあるモミアゲは子供心にもインパクトがあった! 笑!
 
 
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昭和40年代の子供の遊びに「ごっこ遊び」というものがあった
 
ごっこ遊びとはこどもの遊びの一種で何かになったつもりになって遊ぶ ものである
子供の遊びのうちで普遍的に見られる様式の一つだが
子供が興味や関心 を抱く対象を模倣することで行なわれる
 
男の子の間ではアニメや特撮ヒーローの主人公になり切って遊ぶ事が主流で
仮面ライダーやウルトラマンになったつもりで変身して戦う真似事を皆でやった
 
子供の中にも力関係がありリーダー的な子供がヒーロー役になるが
怪獣や怪人役になった奴は嫌がったものだ 笑!
 
ちゃんばらごっこもごっこ遊びの主流だった
当時は時代劇が全盛期だったし忍者「赤影」「ライオン丸」など子供向けの時代劇もありましたからね~
女の子はお母さんごっこ(ままごと)お医者さんごっこがメジャーだったんじゃないかな~?
 
昨今の子供はごっこ遊びなんてやらないのか?
当時はこうして想像力を膨らませて自分達で工夫する遊びをよくやった
 
現代はデジタルな遊びが主流だからゲームのプログラマーに操られてるような気がする
こうした子供の頃の遊びの変化が人としての気質を変えているような気がしますね
 
と、言う事で1960年~1971年までの「年賀切手シリーズ」はこれまで!
長らくのご清聴ありがとうございました! ジャンジャン!!

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